理系出身だった“はぐれ熊”鶴見五郎さん 悪党軍団で暴れまわる髭面の勇姿も独特だった

国際プロレス、全日本プロレスなどで活躍した鶴見五郎さんが8月26日、低血圧、敗血症のため亡くなった。73歳だった。

国際プロレスのパンフレットで紹介される鶴見五郎さん【写真:柴田惣一】
国際プロレスのパンフレットで紹介される鶴見五郎さん【写真:柴田惣一】

国際プロレス、全日本プロレスなどで活躍

 国際プロレス、全日本プロレスなどで活躍した鶴見五郎さんが8月26日、低血圧、敗血症のため亡くなった。73歳だった。

 鶴見さんは東海大学理学部物理学科出身で国際入り。1971年12月にデビューした。80年には独立愚連隊を結成し、悪党ファイトを展開。国際解散後は全日本マットに上陸し国際血盟軍の一員として大暴れ、その後、SWS、NOWなど多くの団体に参戦した。グローブをはめた拳を振るう裏拳を得意とし、持ち前のパワーを生かしたスープレックスも豪快に決めていた。

 神奈川県茅ケ崎市に「鶴見五郎トレーニングジム」を開設し、後進の育成にも力を注いだ。パーティーなどには積極的に顔を出し、出席者に声をかける姿も目撃されている。

 今年でDDTを退社する今林久弥GMは「鶴見五郎のおい」として鶴見亜門を名乗ってプロレス界に参入してきた。DDTの高木三四郎大社長ともども鶴見さんに感謝の言葉と共に、弔意を表している。

 鶴見さんは献体登録していたという。献体とは、医学、歯学の大学における教育、研究に役立たせるため、自分の遺体を無条件、無報酬で提供する厚志行為のこと。

 闘う東京都文京区議会議員・西村修の亡くなった祖母が「医学の発展に寄与したい」と、生前から慶応大学病院に献体登録していた。かわいがっていた孫の西村がガンを患ったことも関係しているのかも知れない。それを聞いたプロレスファンが感銘を受け、西村に詳細を教えてもらい、同じく慶応大学病院に献体登録したそうだ。

 鶴見さんはそれとは別に、独自に献体登録していたようだが、「世の中、縁の下の力持ちがいるから、活躍できる人がいるんだよ。誰かが支えないとね」と、達観したようにおだやかに話してくれたことがある。献体もまさにそうだ。

 全日本の最強タッグ入場式で乱闘になっても、常に周りの様子を見て全体を把握しているかのような独特な動きだった鶴見さん。ワーワーやっているようでいて、どこか冷静なところもあったように思う。

 健康で長生きし、天寿を全うした体ももちろん参考になるが、プロレスラーは特殊な仕事。人の何倍も鍛え、人の何倍もあちこち傷めてきた体だ。献体により、未来を担う医学生にとって大いに勉強になることは間違いない。「そうだといいな」とちょっと照れたように、控え目にほほ笑む鶴見さんの真ん丸な笑顔が浮かんできた。

 くしくも亡くなったのは8月26日。1979年(昭和54年)に日本武道館でオールスター戦が開催された日である。鶴見さんは第1試合の3団体参加バトルロイヤルに出場。新日本プロレスからは山本小鉄、小林邦昭、平田淳二、前田明(現・日明)、ジョージ高野。全日本プロレスからは渕正信、大仁田厚、百田光雄。国際プロレスからは高杉正彦、デビル・ムラサキ、若松市政などがエントリー。オープニングマッチから豪華な顔ぶれだった。

 そんな日に亡くなるなんて……。引退はしていたが、鶴見さんはプロレスに生きた人だったのだろう。合掌。(文中敬称略)

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