「ズッコケ三人組」の那須正幹さんを原田大二郎が追悼「まだまだあなたの話を聞きたかった」

児童文学シリーズ「ズッコケ三人組」や、自身の被爆体験を踏まえた作品などで知られる児童文学作家の那須正幹さん(享年79歳)をしのぶ「お別れの会」が14日、東京都内のホテルで開かれた。会場には、映画「ズッコケ三人組」に出演して以降、親交を深めていた俳優の原田大二郎ら関係者らが集まり、遺品や手書きの原稿、在りし日の声を聞きながら思い出を語り合い、那須さんを悼んだ。

「ズッコケ三人組」などのキャラクターたちに囲まれた献花台【写真:ENCOUNT編集部】
「ズッコケ三人組」などのキャラクターたちに囲まれた献花台【写真:ENCOUNT編集部】

昨年7月22日に急逝

 児童文学シリーズ「ズッコケ三人組」や、自身の被爆体験を踏まえた作品などで知られる児童文学作家の那須正幹さん(享年79歳)をしのぶ「お別れの会」が14日、東京都内のホテルで開かれた。会場には、映画「ズッコケ三人組」に出演して以降、親交を深めていた俳優の原田大二郎ら関係者らが集まり、遺品や手書きの原稿、在りし日の声を聞きながら思い出を語り合い、那須さんを悼んだ。

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 フランス人歌手のクロディーヌ・ロンジェの「恋はみずいろ」、アメリカ人歌手のベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」など那須さんが愛聴していたという5曲が流れる会場には、デビュー作の「首なし地ぞうの宝」やズッコケシリーズ、直筆の原稿や「遊びは勉強 友だちは先生」と書かれた色紙などが並んだ。

 胡蝶蘭や、トルコキキョウ、カーネーションなどで飾られた祭壇には、「ズッコケ三人組」、遺作となった「めいたんていサムくん」など手掛けた作品に登場するキャラクターたちも設置。温かい笑顔で笑う那須さんを囲んでいた。

 那須さんは2021年7月22日に山口県防府市の自宅で肺気腫のため急逝。コロナ禍で追悼の場を設けることが叶わなかったことから、没後1年を迎えるのを前に那須さんと親交があった原田や、児童文学作家の肥田美代子、絵本作家の西村繁男らが発起人となり、偲ぶ会を行うことを決めた。

 那須さんとは共通の趣味だった釣りなどを通じて、家族ぐるみの付き合いをしていたという原田。「マーちゃん。大ちゃんと呼び合う仲で、マーちゃんの『いつでもおいで』という言葉に誘われて、(那須さんが暮らしていた)山口県に行ったら、立派なクルーザーに乗せてくれて驚きました。50歳を過ぎて、こんな親友付き合いができるなんて……」と声を詰まらせた。

お別れの会に出席した原田大二郎【写真:ENCOUNT編集部】
お別れの会に出席した原田大二郎【写真:ENCOUNT編集部】

 また那須さんからは被爆体験を聞いたと言う原田。坂の上に来た女性と、自身の母が話すのを、横で聞いていた那須さんは、その時の様子を「ピカッと光ってドーンちゅうて。おばちゃんは光りを浴びて、溶けて消えたんよ。ピカは家の裏の方ではじけた」と話してくれたと振り返り「聞いているその場で、原爆が落ちたようなリアルさがあった。あなたは自分が経験した人生をそのまま書く人でした。まだまだあなたの話を聞きたかった。あなたの訃報を聞いた時は悔しかった。この偲ぶ会には足りないものが一つある。それはあなたの誠実そうな温かい笑顔です。マーさんどうもありがとう」と涙声で原稿を読み終えると、那須さんの写真に一礼した。

 会場ではズッコケシリーズ50巻目を発売する前日の2004年12月1日に、発起人のひとりでフリーアナウンサーの村上信夫のラジオに出演した際の音声を流す場面もあった。流れた音声の中で「健気な子どもや、頑張りすぎる子どもは好きじゃない」と話した那須さんは、その理由について「子どもは裏切ったり、ウソをついたりするもの。自分の子どもの時もそうだったでしょう。それなのに自分の子どもに押し付けるのはおかしい」と続けた。

 音声の中で那須さんは「子どもが第1ページから最後まで、夢中になって読んでくれることが読書の醍醐味。つらいことがいっぱいある世の中、人生の中で、2時間でも主人公と駆け回ってくれたら。それ以上のことは望んでいません」と呼びかけていた。

 1942年6月に広島県で誕生した那須さんは、東京で会社員経験をした後に帰郷し、児童文学の道へ。72年に初の長編作品「首なし地ぞうの宝」でデビューした。同じ小学校に通う、おっちょこちょいの「ハチベエ」、物知りだけどテストは苦手な「ハカセ」、大柄で何をするにもゆっくり、のんびりの「モーちゃん」が、お互いの苦手部分を補い合いながら事件を解決していく「ズッコケ三人組」シリーズは78年の刊行以降、大人気に。テレビドラマや映画、マンガ化もされた。2004年に全50巻で完結した後も、読者から「続編を読みたい」という声が相次ぎ、翌年から40代になった3人を主人公にした新シリーズを開始。2015年まで筆を取り続け、累計発行部数は2500万部を突破している。

 3歳の時に、爆心地から3キロほどのところにあった自宅(現:広島市西区)で被爆した経験を持つことから、子どもたちに平和な社会の残すために活動にも尽力。戦争を題材にした作品も多く手掛けた。2011年に戦後の広島でたくましく生きる人たちを描いた「ヒロシマ」3部作は「日本児童文学者協会賞」を受賞している。

次のページへ (2/2) 【写真】那須正幹さんが書いた直筆の色紙
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