クラウンとカローラで北南米縦断「人生が変わっちゃった」 71歳元プロの冒険ドライブ

元プロラリードライバーの根本純さん(71)は激流のような人生を歩んできた。湘南の裕福な家に生まれたものの、父親の会社が倒産し、6畳一間に家族4人で暮らす少年時代を経験。17歳で免許を取り、ラリーの道に進むと、箱根の峠での猛特訓を経て、世界で最も過酷とされるパリ・ダカールラリー(現ダカールラリー)に日本人として初挑戦、トータル13回にわたって出場した。その後は文京区議会議員、国会議員の公設秘書などを経て、現在は旧車イベントなどを主催している。ぶっ飛んだ人生をひも解く連載の3回目。

根本純さん【写真:ENCOUNT編集部】
根本純さん【写真:ENCOUNT編集部】

「世界の車窓から」の先駆け 車で北米、南米縦断の旅へ

 元プロラリードライバーの根本純さん(71)は激流のような人生を歩んできた。湘南の裕福な家に生まれたものの、父親の会社が倒産し、6畳一間に家族4人で暮らす少年時代を経験。17歳で免許を取り、ラリーの道に進むと、箱根の峠での猛特訓を経て、世界で最も過酷とされるパリ・ダカールラリー(現ダカールラリー)に日本人として初挑戦、トータル13回にわたって出場した。その後は文京区議会議員、国会議員の公設秘書などを経て、現在は旧車イベントなどを主催している。ぶっ飛んだ人生をひも解く連載の3回目。(取材・構成=水沼一夫)

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 1976年、俺はトヨタワークスのマネジャーの紹介で、TBSの朝の番組「おはよう700」(おはようセブンオーオー)出演の話をもらった。番組内のコーナー「キャラバンII」のドライバーで、アラスカのユーコン川のほとりから始まり、北米、中米を経由して南米最南端のフエゴ島(アルゼンチン、チリ)まで、計10か国、8万キロを走破するという内容で「世界の車窓から」の先駆けのような企画だった。報道局がやっていたから真面目な作りで、観光地を巡っているわけじゃなくて、割と地域の生活に根差した内容。当時は相当人気あって、「カントリー・ロード」というレコードも出たくらいだった。

 マネジャーから「トヨタがスポンサーで車を出すからお前行かない?」と言われたときはうれしかったですよね。当然興味があって、おやじに相談したら「お前は大学を受けもしなかったんだから、人生の大学だと思って行ってこい」と言って、送り出してくれた。

 それで人生が変わっちゃったんだよね。

 24のとき、まずカナダのバンクーバーに行って、クラウンとカローラの2台を受け取って、アラスカまで運んだ。2台必要なのは、撮影は2台で行うから。1号車がチーフドライバーやレポーターが乗るメインの車で、当時はカローラだった。出たばかりのハッチバックで、要はトヨタが宣伝したい車を出していた。

 俺はサブのドライバーで、乗ったのは2号車のクラウンのワゴン。機材車だから、撮影用のビデオやフィルムを積んだりする。企画が始まると、2台合計で、ドライバーとカメラマンが2人ずつに、あとはレポーター、ディレクター、通訳の7人体制で移動した。

 アラスカに行くまでは大変だったね。カナディアンハイウエーを通っていくんだけど、舗装していないダートが2000キロもあった。そこをクラウンとカローラでぶっ飛んでってさ、ラリー気分で。いい練習にもなったけど、クラウンのウィンドーがスタート地点に着くまでに跳ね石でひびだらけになっちゃって…怒られた怒られた(笑)。

 それは直したんだけど、スタートしてわずか2か国目のカナダで、今度は別のアクシデントが起こった。一緒に走っていた車のチーフが結構日本人的な繊細な人で、ちょっと精神的な面でまいっちゃってさ、途中で帰っちゃったわけ。俺はサブといって、チーフの車を後ろから撮影する車を運転していたから、チーフがいなくなると、誰かがメインの車を運転しなくちゃいけない。

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