「鬼神」ターザン後藤さんの素顔 迫力の鬼軍曹もグズる子どもに「いない、いない、ばあ」

晩年は再婚した奥様と町中華のお店を切り盛り「また飲もう」

 そんな中、1989年に全日本で兄貴分だった大仁田厚がFMWを旗揚げすることになり、後藤さんも誘われて帰国。FMWの鬼軍曹として大活躍が始まった。

 1990年8月、史上初のノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチを大仁田と闘い、同年のプロレス大賞ベストバウトを獲得している。この時には各所から抗議の電話を頂いた。当時はデスマッチを文字通り邪道扱いする選手、関係者が大半だった。「いや、投票の結果で
すから」と何度も応じたものだ。

 その後、大仁田と袂を分かったが、自分で団体を興したり、さまざまな団体で暴れまわった。いつ何時も、その存在感は大きかった。若手選手の指導はファイト同様「鬼神」だった。「強くなってほしい」という思いを不器用に発揮する後藤さんだった。

 晩年は再婚した奥様と町中華のお店を切り盛りしていた。何度か電話で昔話に花を咲かせたが、取材のオファーには「俺はもういいよ」という返事だった。「取材じゃなくてまた飲もう」と話していたが、「そのうち」「今度」と思っているうちに訃報に接してしまった。あの笑顔に会いに伺えば良かった。人には会いたい時に会っておかないと…悔やんでも悔やみきれない。

 後藤さんの通夜、葬儀は柏屋ハートホール(東京都墨田区京島3‐16‐5)で営まれる。
通夜が6月4日午後6時~7時、葬儀は5日午前11時~12時。喪主は妻の後藤好江さん。にぎやかに送り出してあげたい意向だという。

 リング上で真っ直ぐ前を見て腕組みしていた後藤さんは、迫力満点で怖かった。だが子ども好きな一面もあり、グズっているちびっ子ファンをあやそうと「いない、いない、ばあ」をしていた現場に遭遇したこともある。しかし、子どもは余計に泣いてしまい「あ、どうしよう」とオロオロする後藤さん。憎めない人で、お茶目で愛嬌もあった。怖くてかわいらしくて。そんな稀有なキャラクターであった。

 きっと天国で馬場さんが「何だ、もう来たのか。早すぎるぞ」と叱っていることだろう。後藤さんは恐縮して「はい…」と大きな体を丸めていると思う。安らかに。合掌。

次のページへ (3/3) 【写真】「さあ、どう料理するか」と舌なめずりのターザン後藤さん
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