心奪われた赤坂立体交差での高速ドリフト 71歳の元プロが心酔した“師の走り”

箱根の峠で夜な夜な猛特訓 「全て盗んでいきましたね」

 運転は箱根の山で教えてもらいました。林道をひたすら走ったり、それから箱根の手前に足柄峠ってあるじゃない。その周辺にもすごいくねくねの道があって、夜な夜なそういうところに行って練習しましたね。ドリフトもガンガンやっていましたよ。まず永山さんの横に乗せてもらって、いやこんなスピードで動くんだ、こんな挙動するんだみたいなのを、体で覚えていくわけ。本当に攻めているときは、ああだこうだと言ってくれなくて、極端な話、どこからブレーキングするかとか、全て盗んでいきましたね。

 永山さんは、初めて習って帰ってきたときに、「今日のレッスンは30万ね」とか、平気で冗談を言うわけですよ。そんなの払えるわけないじゃない。「ありがとうございます。だけど、無理です」と答えたら、「今度、お前日曜日にちょっと仕事あるから来い」と言われて、内装の仕事を手伝わされたりしました。一番面白かったのは、いきなり鶴見の家に行ったら、目の前にジャガーX(テン)という、ものすごいでかいロールスロイス並みの車がボンと置いてある。「純、これ京都で撮影があるから京都まで持ってけ」と言うから、「なんですか?」と聞いたら、「いやそれは行けば分かるから。撮影だから」と言って出ていっちゃった。

 それで東名を走り出したら雨が降ってきて、ワイパーも動かない。タバコのヤニを塗りながらなんとか京都に着いたら、そしたら「俺の空」って漫画が当時はやったんだけど、それの映画化で、運転手役の仕事だった。いきなり「このYシャツに着替えて、運転手やって」とか、当時ひげをはやしていたから、「そのひげが生意気だからそれ」とか言われてさ。「それ無理です」となって、一悶着あって、結局そらなかったけれど、そんなことがあったり、面白い経験をさせてもらいましたよ。

 永山さんは運転の教え方も、「ハンドルを切らないで曲がれ」とか、すべてを教えてくれるわけではなかった。要はアクセルで車は曲げられるんだと。あくまでもハンドルはきっかけだけだぞとかね、そういう当時としてはちょっとなぞなぞ的な感じだったけれど、すごくいい勉強になりましたね。

 その後、転機となるTBSの朝の番組「おはよう700」(おはようセブンオーオー)に出演が決まるんだけど、それもトヨタのマネジャーの紹介だった。人との縁は不思議なもんだよね。そこから、世界を回る車の旅が始まったんだよ。

□根本純(ねもと・じゅん)1951年5月25日、神奈川・藤沢市出身。81年、日本人として初めてパリ・ダカールラリーに挑戦。97年まで13回出場し、完走6回、リタイア7回。5大陸55か国200万キロを走破。元文京区議会議員。現在はツーリングイベント「THE銀座RUN」などを主催。秋には「THE清里RUN」を行う。「VAZ☆Club De i」主宰。

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