志茂田景樹、奇抜ファッションに当時は罵詈雑言「コップ酒を浴びせられた」ことも

奇抜で過激なファッションは批判を浴びたこともある
奇抜で過激なファッションは批判を浴びたこともある

「あと10年したら、銀行員の男性でもカラーリングが普通になっていると思う」

――価値観や個人の考え方の話が出ましたが、志茂田さんは90年代の時点で奇抜なファッションやヘアカラーをされていました。当時は相当珍しかったのでは?

「タイツを軸に、頭もカラーリングしたファッションはまだなかったですね。あれは衣装ではありませんので、普段の格好のままテレビに出ていました。そういう格好がとても心地よいからやっていただけ。でも当時は、通りがかりに『なんだ、その格好は』って目で見られた。年に何回か行っていた屋台風の焼き鳥屋さんで一杯飲んで出ようとしたら、『死ね』って言葉とともに、コップ酒を浴びせられたこともあります。そういう時代だったんです」

――目立つ格好や人と違うことが受け入れられづらい時代だったのですね。

「今はカラーリングだけでいえば、20代30代の人たちにとってはごく普通のことになってきました。タイツやレギンス姿も。車椅子ユーザーになるまでは原宿かいわいなど歩いて(ファッションチェックして)いました。とてもいい時代になったなと。意外とそういうスタイルを受け入れられる時代になってきた。あと10年したら、銀行員の男性でもカラーリングが普通になっていると思う。とても美しく清潔なカラーリングをした人が、預金をいっぱい集めるようになるんじゃないかな」

――志茂田さんは超多忙だった時代に、自分のやりたいこととして「よい子に読み聞かせ隊」を立ち上げ、絵本の読み聞かせを始められました。にぎやかで華やかな世界から踏み出したきっかけはあったのでしょうか?

「『よい子に読み聞かせ隊』のきっかけは、福岡のデパートでのサイン会です。隣が玩具コーナーで子どもたちがたくさんいたので、初めて読み聞かせをやったら子どもたちの目が輝いた。終わって1人の40代女性が、『非常に嫌なことがあって凹んでいたけど、読み聞かせを聞いていたら元気が出ました。ありがとうございます』と言って帰ったんです。その時僕は、読み聞かせってこんな力があるんだと思いました。僕も心を洗われたような感じがありましたね。『これ、いいじゃないか。続けていこうかな』と思ってライフワークにしました。今はこういう状態になったので中断せざるを得なかったんですけど、それでも1900回以上しました。その子たちが時々ツイッターに現れるんです。『僕が幼稚園の時に来てくれました』って。10年15年20年たっての反応が今現れていて、とても楽しくうれしく感じています」

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