激動の2021年プロレス大賞は? 大混戦の賞取りレースを前に思い出す「選考の難しさ」

1年遅れで開催された2020東京オリンピック。ここにきて新規感染者は激減したものの、まだまだ先行き不透明でしばらくは続くであろうコロナ禍……激動の2021年も残り1か月半。そろそろプロレス大賞が気になってくる。

2003年にZERO-ONEへ移籍した葛西純【写真:柴田惣一】
2003年にZERO-ONEへ移籍した葛西純【写真:柴田惣一】

今年のMVP、ベストバウトは?

 1年遅れで開催された2020東京オリンピック。ここにきて新規感染者は激減したものの、まだまだ先行き不透明でしばらくは続くであろうコロナ禍……激動の2021年も残り1か月半。そろそろプロレス大賞が気になってくる。

 MVPは誰か? ベストバウトは? かつて選考に関わっていた者としても、ワクワク感を押さえきれなくなってくる。と同時に、賞選考の難しさを思い出す。議論を尽くし、その年のプロレス界を振り返る受賞者リストが出来上がったと思っても、全員を納得させることはできない。選考委員長として毎年、お叱りのお電話、メールをいただいたものだ。

 中でも思い出すのは2009年のベストバウト「葛西純VS伊東竜二」のデスマッチ(大日本プロレス、11月20日、東京・後楽園ホール)。カミソリボード、画鋲、サボテン、蛍光灯など様々な凶器が、ところ狭しと聖地のリング上やリングサイドに飛び散り、葛西は2階バルコニーから決死の5メートルダイブを敢行した。

 デスマッチもどんどん進化し、凶器の種類は増え続け、選手が自ら新たな凶器を作り出す。加えてこの一戦には、葛西と伊東のストーリーがあった。02年に大日本を退団、フリーを経て翌年ZERO-ONEに移籍した葛西。デスマッチがあまりできず鬱々たる思いを抱いていたが、大日本のBJW認定デスマッチヘビー級王者・伊東から対戦要求を突き付けられた。

 葛西は即座に反応しZERO-ONEを辞めデスマッチに復帰したものの、なかなかタイミングが合わない。そのうち、伊東が大けがをし、葛西も内臓疾患で欠場と何度も延期され、もはや交わることがない2人なのか……とさえ思われた。

 いつの間にか6年半の時が過ぎ、やっと実現した一戦だったのだから、ゴング前から期待感がすでに頂点に達していた。果たしてド迫力の血戦となり、見事にベストバウトに選出された。

 選考結果が伝わるや、お電話やメールをたくさんいただいた。09年当時、メジャーとインディーの境界線はまだまだ存在していた。MVPとベストバウトを始め、プロレス大賞の受賞者リストにはメジャー選手の名前が主に並ぶことが常だった。

大日本のBJW認定デスマッチヘビー級元王者・伊東竜二【写真:柴田惣一】
大日本のBJW認定デスマッチヘビー級元王者・伊東竜二【写真:柴田惣一】

歴史的偉業だった葛西と伊東のデスマッチ

 今ではメジャーもインディーの区別もないが、いわゆるインディー育ちでインディー団体のリングを主戦場にしている戦士が、MVPとベストバウトに名前を連ねることは、なかなか難しいのも事実。今、振り返っても、葛西と伊東は歴史的偉業をやってのけた。

 受賞パーティーに出席したデスマッチファイター・佐々木貴は「この2人で受賞したことに意義があるんですよ! デスマッチが受賞したんです。嬉しいなあ」と興奮気味にまくし立て、我がことのように喜んでいたのが忘れられない。

 葛西と伊東は、今でもデスマッチ戦線の最前線に立っている。葛西のデスマッチ人生を追ったドキュメンタリー映画が製作され「狂猿」の異名は、プロレス界だけでなく世間に轟いている。伊東は大日本プロレスのデスマッチの重鎮である。

 ちなみに葛西自身は自身のベストバウトには、MASADA戦(フリーダムズ、12年8月27日、後楽園ホール)を上げている。「スペシャルガラスボードデスマッチ」に「ノーキャンパス」が追加されたこの一戦。リング上のキャンパスを外し、むきだしの板の上で2人はファイト。血だるまの激闘の末、葛西が勝利しているが、本人は全く記憶が飛んでいた。

 マイクアピールまでした葛西は、観客席にいた息子さんを抱き上げているのだが、ここも覚えていないという。無意識で試合をし、挨拶をし、観客の中から息子さんを見つけ出しているのだ。またまたプロレスラーの凄み、超人ぶりを思い知らされる。

 いずれにせよ葛西を始めとした受賞者や、悔しい思いをした選手はもちろん、ファンのプロレス大賞への思いは変わらない。数々の名勝負、マット界を彩った名レスラーの顔が浮かんでは消える。果たして誰が受賞するのか、ベストバウトにはどの試合が選ばれるのか。21年のプロレス大賞が楽しみで仕方ない。

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