【気になる人】実母に運転免許証を強引に返納させたダイアモンド☆ユカイが明かす今も苦しい胸の内

「みんなで考えてアイデアを」と語ったユカイさん【写真:山口比佐夫】
「みんなで考えてアイデアを」と語ったユカイさん【写真:山口比佐夫】

内緒で母の車を売ってしまった…!

 あるとき、またオフクロの車がへこんでるのに気付いた。それで、オフクロに「修理に出してくるわ」と告げて、知り合いの車屋さんのところへ乗って行って、そのまま売っ払ったんです。オフクロには黙っていたんだけど、しばらくしたら「あんた、私の車はどうしたのよ」と聞いてくるので「まだできてないんだよ」と、はぐらかして。でも、だんだんごまかしきれなくなって、「実は」と白状。オフクロは「そんなことだと思ったわよ」と怒ったね。

軽トラからセンチュリー、バイクにバギー…大御所タレントの仰天愛車遍歴(JAF Mate Onlineへ)

 オフクロは諦めなかった。「また買うからいいわ!」と言うんですよ。ヤベェ!と思って、オフクロが懇意にしているディーラーとかに電話をかけまくって「売らないでくれ」とお願いした。オフクロには「免許を返納すれば自治体がタクシー券をくれるから」と説き伏せた。オフクロは聞く耳持たず、だったけど、どこも売ってくれないと悟るとようやく諦め、オレと一緒に警察署へ行って免許返納をしてくれた。ホッとしたよ。でも、オフクロは2年前に亡くなるまで根に持ってたみたい。「あんたのせいで買い物にも行けなくなった」と言うばかりで、「あのときはありがとう」とは言わなかった。

 オレだって、親をだますなんてしたくなかった。胸が痛かった。でも、真っ当な方法では無理だと思ったんだ。「じゃあ○歳になったら返納する」というから、1年ほど我慢していたんだけど、いざその年齢になったら「そんな話したっけ?」ときたからね(笑)。これはもうダメ、事が起こってからでは遅いと、オレも心を鬼にして行動に移した。息子って母親には弱いから、行動に移すのはなかなか難しいもんだけど、オレにそれができたのは、人前に出る仕事をしているからかもしれない。オフクロもトークバラエティー番組に「ダイアモンド☆正子」なんて名前で出演してくれていたから、世間の目を強く意識していたんだよね。

自分の身に置き換えると決断ができるのか…

 免許返納後、間もなく心臓弁膜症で入院し呆けが進み、鉄人だったオフクロがこんなふうになっちゃうんだ、というほど老け込んだいった。なのに、十分にサポートしてあげられなかった。オレも子どもができるのが遅かったから、最初の子どもができたとき、オフクロはもう83歳。そのあと双子が生まれ、オレも子育てで忙しくなってしまって。だから、オフクロに対しては今も心が痛みっぱなしだけど、免許返納に関してはあの方法しかなかった、あれで良かったと思ってる。「親を親と思っちゃいけない」が、オレの得た教訓だった。

 オレは今、“還暦イブ”で来年60歳。精神面では落ち着いた反面、体力面ではやっぱり老いを感じるんだけど、自分の身に置き換えるとわからなくなるね。オレにもいつかは免許を返納しなくちゃなんないときがくると思うけど、自分の状態を俯瞰で見て、免許を返納する決心がつくのか。難しい決断だと思う。国がある年齢で区切って返納すると決めるのがいいのか、それ以外の方法があるのか、みんなで考えてアイデアを出していかないといけないと思うね。

□ダイアモンド☆ユカイ 1962年3月12日、埼玉県大宮市生まれ。本名:田所豊。専修大学法学部中退。86年、4人組ロックバンド「RED WARRIORS」のボーカルとしてデビュー。日本武道館公演を成功させるなどしたが、89年に解散しソロに。俳優としては88年、日米合作映画「TOKYO POP」でデビューし、映画「弾丸ランナー」やミュージカル「ミス・サイゴン」などに出演。タレントとして多くのバラエティー番組で活躍。2009年、一般女性と再婚。無精子症と判明し不妊治療を行い2男1女に恵まれたことから、男性不妊の啓発活動も熱心に行っている。21年10月17日、「東京アメリカンクラブ」(港区麻布台)で「THE PREMIUM DINNER SHOW 2021」を行う。

次のページへ (4/4) 【画像】若かりし頃のダイアモンド☆ユカイさんと“鉄人”だった母・正子さんのナイスなツーショット写真
1 2 3 4
あなたの“気になる”を教えてください