【週末は女子プロレス♯12】全女OG・山田敏代のいま 対抗戦ブームを作った豊田真奈美とのライバル関係

同期・豊田真奈美への思い「豊田がいたから頑張れた」

「あの頃は、とにかく必死でした。毎日が試合と練習で何も考える暇がない。正直プロレスのことはあんまり好きじゃなかったんですけど、だからといって嫌いなわけじゃない。長与さんのそばにいたくて入ったプロレス、決して楽しくはないです、厳しいです。いちばん怒られたくない人(長与)に怒られますしね。まったく余裕がなかったです。でも、当時はそれが当たり前。それが普通だと思ってたから、どんなに厳しくても逃げようとも思わない。冷静になれたのは、けっこう上の方に行ってからですよ」

 山田は長与が旗揚げしたGAEAにも所属した。全女とGAEA、両団体の“いい時代”を経験したのは、彼女にとって大きな財産になったという。

「長与さんは全女の嫌な部分を取り除いて団体を作りたいと思ったんですよ。たとえば食事。全女では忙しくて、1日中食べられない状態で仕事することもあったんです。そんなときは3キロくらい平気でやせてたり。それって身体によくないじゃないですか。それでも私たち、強く育ったんですけどね(苦笑)。でも、GAEAではそういうことがないようにしようと。地方に行ったらみんながご飯を食べてホテルに入るとか。ただ、全女で厳しいことを受け入れられた経験もすごく大事だったと思います。先輩が白いものを黒だと言えば黒だし。それがGAEAでは、白いものはちゃんと白だと言わせるんですよ。全女は全女の世界しか生きていけないけど、GAEAの子たちはちゃんと外でも生きていけるようにしたんですね。私にはどっちも大事だし、それがいまのの私を形成していると思うんです」

 では、全キャリアを通じてもっとも印象深い出来事とは何だろう。その答えはやはり、対抗戦時代を生き抜いた昭和62年組の同期・豊田真奈美とのライバル関係だった。

「タッグはいつから組んだんですかね。なにがきっかけか、覚えてないです。ただ、2人のライバル関係がありつつ対抗戦がスタートしましたよね。あの頃、『一緒になになにをしようね』『力を合わせようね』なんて話をしたことは一切ありませんでした。敵がいたら自然と向かっていく、タッグを組みながらも(パートナーと)闘っているみたいな感じでしたね」

 関西&尾崎組とは通算で3度闘い、対抗戦時代を象徴する名勝負を残した。とはいえ最初からスイングしたわけではなく、初戦は手が合わなかった。これが他団体と闘う難しさを表していたわけでもあるが、試合をこなすうちに「不思議と手が合ってきてキレイになっていった」と山田は言う。そして、「あの時代があったから、あの2人とはいま仲良くしてます」とも。それは、豊田との関係も同様だ。シングルでしのぎを削り、タッグを組んでも会話は少ない。ライバルとお互いを強烈に意識していたためだ。が、現在は2人ともいい関係を築いている。いまになって初めて知ることも多いという。

「お互い引退したから話せることもあるよねって言うんですけど、あのときはこう思ってくれてたんだと聞かされてうれしかったり。けんかもしたけど、嫌いと思ったことは一度もないんですよ。コノヤローとムカついても嫌いではない。それは豊田も同じだったそうです。豊田は『やまさんには(実力で)勝てない』と、ずっと思ってたそうなんですね。私は私で、豊田がシングルで先にガーッと上がったのが悔しかった。悔しかったけど、(ケガなどで)遠回りをした分、豊田が見ていない景色を見て気持ちが強くなった自負があります。ホント、豊田がいたから頑張れたと思うんです」

 山田敏代、豊田真奈美、三田英津子、下田美馬…昭和62年組の絆は固い。なかでも山田と豊田の関係は別格だ。いまでは笑顔で昔話に花を咲かせることができる。

「2人して老眼鏡かけてるし、元気でいたいねえって2人でしてる会話が若くないです」

 そう言って爆笑する山田。もちろん、まだまだ老け込む年齢ではない。女子プロレスでの経験により、すべてにおいてポジティブに考えることができるようになったと山田は言う。だからこそ、10年、20年、30年後にも2人で談笑する姿を見てみたい。

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