学生時代は無名だった陸上選手が50代で日本記録を作れたとっておきの“継続の秘訣”とは

日本人選手が大躍進した東京五輪が終わり、パラリンピックが開幕した。スポーツの素晴らしさに触発され「自分も運動をやろう!」と始めたものの、早くも三日坊主に陥っている人もいるのではないか。運動は始めることより続けるのが難しい。秘訣(ひけつ)はないのか。そこで、学生時代に陸上を始めて地道に走り続け、51歳のときにはマスターズで日本記録を出した市民ランナー・後口洋史さん(53)に、経験をもとにモチベーションの維持方法や続けるための注意点などについて聞いた。

「自分を追い込んで限界に挑戦するのが好き」と語る後口洋史さん【写真:ENCOUNT編集部】
「自分を追い込んで限界に挑戦するのが好き」と語る後口洋史さん【写真:ENCOUNT編集部】

学生時代の走力は“普通”でまったくの無名選手だった

 日本人選手が大躍進した東京五輪が終わり、パラリンピックが開幕した。スポーツの素晴らしさに触発され「自分も運動をやろう!」と始めたものの、早くも三日坊主に陥っている人もいるのではないか。運動は始めることより続けるのが難しい。秘訣(ひけつ)はないのか。そこで、学生時代に陸上を始めて地道に走り続け、51歳のときにはマスターズで日本記録を出した市民ランナー・後口洋史さん(53)に、経験をもとにモチベーションの維持方法や続けるための注意点などについて聞いた。(取材・構成=中野裕子)

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 自分は学生時代はまったく無名選手でした。小中学校時代は野球をやっていましたが、野球は小柄な自分には限界があると悟り、高校で陸上部に入りました。短距離走ではクラスで真ん中ぐらいだったのですが、長距離走なら学年で5本の指に入るぐらいではあったので、中長距離走の中でも走力だけの勝負ではない障害走なら、がんばって粘れば県大会に行けるかな、と思ったのです。それで、3000メートル障害をメインに練習していました。大学付属の高校だったので受験がなく部活動が盛んで、地元の埼玉県大会に出場。でも、全国レベルなんてとてもとても、大学も運動系に進もうなんて、考えたこともない普通の高校生でした。

 大学では体育会の陸上競技部に入っていましたが、自分の大学は当時はスポーツ推薦がなかったので、自分のような走力の選手でも体育会の部に入部し陸上を続けられたのです。自分は授業優先だったこともあり、週5回程度、大学周辺や近くの公共グラウンドを借りて練習していました。サークルで楽しむ程度でもよかったのですが、自分は結構熱い性格なので、ただ楽しいだけではなくて、目標をもち、自分を追い込んで限界に挑戦し、目標をクリアする方が、達成感が得られて面白かったのです。

 大学3年のとき、「走力のピークは今だろう」と河口湖マラソンに出場し、フルマラソンに初挑戦しました。すると、2時間43分で走れて、今では世界選手権の選考レースになっている別府大分毎日マラソンへの出場権を獲得できました。夢のようでしたね。ところが、4年生でその大会に出場すると、自分より年上の一般のランナーが僕をスイスイ追い抜いていったのです。そのとき、「長距離のピークはまだまだこれからなんだ」と確信し、一般企業に就職後もチャレンジを続けようと思いました。

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