体重超過、夢遊病、通路で号泣…「お騒がせ格闘家」の第一人者・KINGレイナが本音激白
RIZIN時代のビギナーズラック
先にも触れたが、KINGが最も注目されていたのは17年にRIZINのリングに上がっていた頃だろう。いつだったか、試合後には高田延彦統括本部長(当時)に対し、マイクを使って「私と契約しないと海外に行っちゃいますよ」と大口をたたいていたこともあった。
KINGは当時について、「あの頃は生意気じゃないですか、だいぶ。でも、あれをやらせてもらえていたぐらい、勝てていたし、すごい大きい外国人に勝っていたからこそ、ああいうふうにやらせてもらっていたし、佐伯さんからも好きなことをしゃべれって言われていたし」と話すと、佐伯代表は「考えたら、みんなちょっと(KINGに)気を使っていたね。ひょっとすると気を使っていたかもしれない」と続けた。
間髪入れずにKINGが「今より扱いが丁寧でした」と振り返った。
では、破竹の勢いだったKINGがなぜ失速してしまったのか。
「弱くなったとか、なんでそういう試合展開になっちゃったの? って言われるんですけど、今、いろいろなジムに私、行って来たじゃないですか。そこでは基礎・基本を教えてもらいながらやっているんですよ。今まではパンチをもらいながら、ただ殴りに行っていたんです。だからこれからはそういうことを考えつつ、やれるようになったら、昔の印象に近いようなKINGレイナに戻るのかなって思ってやっているんですけど、今は何も考えずに前にバーって行くのは結構怖くて」
簡単にいえば、RIZINで注目を浴びていたのはビギナーズラックだったということになる。
「そうです。だって基礎・基本なんか教えてもらわないで、今の今まで来たくらいなので。総合格闘技をやっていたわけじゃなくて、ただ殴りに行くのをやっていただけなので」(KING)
「RIZINの時も最後はスタミナがなくなって行けない。昔だったらこっから頑張ったのにな、っていうので終わっちゃうのが最後は何度かあった」(佐伯代表)
つまりは荒削りだったからこそ、「見る側」にはダイレクトに伝わるものがあった。いわば、ボブ・サップが02年に日本でのデビュー戦を飾って、一気にスターダムに駆け上がっていったものの、数年後には失速してしまったのと似ているといえばいいだろうか。