【ズバリ!近況】仕事ゼロから復活! タレント・森脇健児が大阪で聖火ランナーを「喜んで走る」ワケ

“走り”再開のきっかけは吉田栄作さんだった【写真:稲葉訓也】
“走り”再開のきっかけは吉田栄作さんだった【写真:稲葉訓也】

名門高校陸上部の厳しい練習で「がんばれるレベルが高い」

 もともと走るのは好きで中学から陸上競技部、高校は陸上の名門・洛南高校で短距離の選手でした。インターハイにも出場したんですよ。近畿大会で100メートル走ったときは、後に五輪へ行った青戸慎司クン(53)が隣にいました。「ヨーイドン!」でスタートした瞬間、彼は身体ひとつ前に飛び出していて、「あ、これは一生勝たれへん」「世界で勝つ練習してる人はこんなに速いんや」と思いました。五輪は天才が努力しないと行けない、やっぱり夢の舞台なんですよ。

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 洛南高校陸上競技部の練習はすっごいハードでしたねぇ。入学早々、あまりの練習の厳しさに入学・入部したことを後悔しましたから(笑)。あの練習に耐えた経験が原点にあるから、仕事なくてつらかったときも、今、走ってて苦しいときも、「あの時に比べたら楽やな」って思える。高校卒業後、当時の仲間と会うとよく話すんです。「あの厳しい練習を乗り越えたら、社会に出てからも少々のことではへこたれへん、まだまだがんばれる、って思えるよな」って。がんばれるレベルが高いんです。そう考えると、あの厳しい経験ができたことも、今となってはありがたいことです。

売れて遊んでる人を横目に歯を食いしばって走っていた

 高校までで陸上を止めた僕がもう一度走り始めたのは、25歳で初出演した“ギャッツビー”のCM撮影がきっかけ。当時、大人気だった吉田栄作さん(52)と共演して、タイのプーケットへ行って海水パンツ姿になったんです。そうしたら、栄作さんは締まってええ身体してるのに僕の身体は……。こんな忙しい人がこんだけの身体作ってるのにオレは何をしてるんや!と反省し、プーケットから帰った次の日に「一番厳しいところへ入ったろう」とボクシングジムへ飛び込み、トレーニングで走るようになりました。栄作さんを見て、超一流の人の姿勢というのも学ばせてもらいました。

 関西へ帰ってきてすぐは、ずーっと走ってボクシングばっかりやっていました。売れて遊んでる人を横目に、誰も見てないとこで走りながら、「絶対もういっぺん復活して、今度は仕事の量が増えるにつれ、練習量も増やしたろ。そうしたらカッコええやろ」と歯を食いしばっていました。まあ、仕事はそんな簡単に増えませんでしたけど(笑)。ずっと走ってきたおかげで、一番重かったときは68キロあった体重が、今は高校時代と同じ58キロをキープ。身長170センチ、体脂肪率8%です。

 27歳のときに結婚した妻は東京へ出ていく前から交際していた関西人なので、一緒に関西に戻ってくれました。当時は子ども2人も生まれていました。今、長男は26歳、長女は23歳。2人とも芸能界には興味がなかったみたいで、会社員になりました。下の子はこの4月に社会人になったとこですから、もう子育ては終わり。上の子は仕事が充実してきたみたいやから、もうはよ結婚したらええのに、と思っています(笑)。

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