【プロレスこの一年 ♯40】“潰すか潰されるか”新日本対Uインターの決着戦 13団体が集結「夢の架け橋」95年のプロレス

今も語り継がれる武藤敬司と高田延彦のIWGPヘビー級王座戦(95年10月9日東京ドーム)【写真:平工幸雄】
今も語り継がれる武藤敬司と高田延彦のIWGPヘビー級王座戦(95年10月9日東京ドーム)【写真:平工幸雄】

6万7000人という大観衆を動員した新日本とUインターの対抗戦

 8月24日には新日本とUWFインターナショナルが会見を開いた。7月2日に退団を表明し、平成維新軍7・25横浜に参戦した山崎一夫を巡り新日本とUインターが話し合いを行ったのだが、長州と高田延彦の電話会談により両団体の対抗戦が電撃決定。10・9東京ドームが雌雄を決する舞台に選ばれた。その前の9・23横浜アリーナには安生洋二&中野龍雄が新日マット登場、長州&永田裕志組を破り、ドーム決戦に向け先陣を切った。

 10・9ドームは6万7000人という大観衆を動員。全8試合が新日本VSUインターの対抗戦(シングル7試合、タッグ1試合)で、長州が“200%男”安生をサソリ固めで一蹴、メインは武藤VS高田のIWGPヘビー級王座戦で、最後はドラゴンスクリューからの足4の字固めという、いかにもプロレスらしいスタイルでU系の高田から勝利し頂点のベルトも防衛。新日本がUWFを葬る印象を与えることに成功した。

 女子プロレスでは、全女が3・21大阪城ホール大会を開催、WWWA世界タッグ王座決定トーナメントが行われ井上京子&貴子のW井上が王座奪回に成功、第100代王者となった。4月15日には長与千種率いるGAEA JAPANが後楽園ホールで旗揚げ。里村明衣子をはじめとする6名の一期生が一斉デビューを果たした。12月24日&25日には吉本女子プロレスJdが大阪でプレ旗揚げ。この大会には、猪木がジャガー横田の激励に駆け付けている。

 男子でもこの年は新団体が続々旗揚げ。主なところでは3月16日に大日本プロレスが横浜文体、3月31日にレッスル夢ファクトリーが熊谷、藤波辰爾の「無我」が10月29日に大阪でスタート。11・19横浜のリング上で卒業の意志を示した石川雄規らが12月12日、格闘探偵団バトラーツの設立を発表した。

 デスマッチ系ではFMW5・5川崎球場で大仁田厚がハヤブサとのノーロープ有刺鉄線金網電流爆破時限爆弾デスマッチでFMW初(通算2度目)の引退。5・17熊谷で、ハヤブサをエースとする新生FMWがスタートした。FMWがビッグマッチで使用してきた川崎球場には、IWAジャパンも8月20日、夢の架け橋ならぬ「悪夢の架け橋」で進出。ワンナイト・デスマッチ・トーナメントが行われ、カクタス・ジャックがテリー・ファンクを破り優勝。FMW退団のターザン後藤がダン・スバーンのNWA世界ヘビー級王座に挑戦した。

 また、前年12月に安生の道場破りを返り討ちにしたグレイシー柔術のヒクソン・グレイシーが2度目の来日。初代タイガーマスク佐山サトルが創始した修斗の4・20武道館「バーリ・トゥード・ファイティング・チャンピオンシップIIジャパンオープン1995」に参戦した。ヒクソンは、リングスの山本宜久を1回戦で破ると、準決勝でプロレスラー木村浩一郎、決勝で格闘家・中井祐樹を破り優勝。総合格闘技がプロレス界に本格侵攻する序曲的な出来事となったのである。(文中敬称略)

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