川﨑麻世が社会派作品で映画初主演! プロデューサーがコロナ禍の逆境でも製作した理由

「『わたし』の人生(みち) 我が命のタンゴ」でモナコ国際映画祭4冠受賞

 母親が亡くなってしばらくして、精神科医の和田秀樹先生と知り合って、「プロデューサーを探してる」と、認知症の父と娘の絆を描いた映画「『わたし』の人生(みち) 我が命のタンゴ」の脚本を見せてもらったんです。それがすごい良くて、親子の話やから共感する部分も多くて、「よし、オレがやろう!」と。で、和田先生が監督やって、この作品でモナコ国際映画祭4冠受賞し、日本でも13年に「シネスイッチ銀座」で上映したら2週連続満足度1位になったんですよ。うれしかったですね。それからです、人の心に響く、人の役に立つ映画を作り続けよう、と思ったのは。

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 映画製作にはお金がかかります。そのお金を集めるのも僕の仕事。企画書を書いて、知人の紹介でいろんな方にお会いして、“驚きと感動”を伝える。そういうのが苦手な人もいるやろうけど、僕は苦手じゃない。僕は高校出て、大学に入ったんやけど「早く稼いだろう」と中退して生命保険会社に就職したんです。そこで11年営業やって、結構、優秀やったんですよ。26歳でマンション買ったから。個人宅だって企業だって飛び込んでいって、塩をまかれたこともありましたよ(笑)。でも、稼ぐため、生きていくためにはそれぐらいどうということはなかったですね。

全日本チャンピオンになった空手で忍耐力を培った

 つらいといえば、こんなにいい映画や舞台を製作してたくさんの人に観てもらっても、差別や偏見、子どもの貧困とかが減っている実感がもてないこと。僕、「遠き夏の日」という反戦朗読劇も10年ぐらい前から毎年、東京と大阪で上演しているんです。今、コロナでみんな苦しくて自殺者が増えているとニュースになりましたけど、苦しくても生まれたからには一生懸命生きてほしい。「遠き夏の日」の製作にあたり鹿児島・知覧の「知覧特攻平和会館」に行ったんです。そこで、片道の燃料で飛び立った10代の子たちのことを知ったら、それ以外でつらい、苦しいなんて思わなくなりました。

 なかなか社会が良くなっている実感がもてないけど、やり続けますよ。僕、高校2年のときに空手を始めて、20代のときに3回(87年、88年、91年)、全日本大会で優勝し、今も道場へ通って指導もしています。空手の基本の稽古って、ずーっと同じことの繰り返し。それを40年。ひとつのことをぶれずにやり通して、忍耐力が培われたと思いますね。だから、社会派映画の製作もそう簡単にはやめませんよ。作るのは好きやから、どんどん作っていきたいですね。

□井内徳次 (いうち・とくじ)1963年12月7日、大阪市北区生まれ。大学中退後、住友生命保険相互会社入社。97年退社し、98年上京。衣料品製造販売会社・イトキン、女優・向井亜紀(56)のマネジャーを経て2002年、芸能事務所・テンダープロ設立。舞台や映画の製作を積極的に手がけ、12年公開の映画「『わたし』の人生(みち) 我が命のタンゴ」が第11回モナコ国際映画祭で4冠受賞。19年公開の青春映画「笑顔の向こうに」が第11回モナコ国際映画祭で最優秀作品賞など2冠を受賞した。21年5月、映画「僕が君の耳になる」、6月に「ある家族」公開予定。「ある家族」はクラウドファンディング実施中。
https://motion-gallery.net/projects/familyhome2020

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