大黒摩季、中島美嘉、清春らが絶大な信頼を寄せる「歌える!J-POP」仕掛け人の素顔とは?
NHKは14日、BSプレミアム&BS4Kで「歌える!J-POP黄金のヒットパレード決定版!」第2弾を放送する。1980年代から2000年代に数々の名曲を生んだアーティストたちが、無観客のNHKホールに集い、今回もフルコーラスによる“心を動かす音楽”でステージの熱気をダイレクトに視聴者に届ける。ENCOUNTでは、第1弾に続いて今回も出演者や関係者の生の声を独占取材。これを読むときっと“番組を10倍楽しめる”特集。1回目は、出演者が全幅の信頼を置く番組仕掛け人の知られざる素顔とその魅力に迫った。
「歌える!J-POP」目指したのはアーティストの「名球会」
NHKは14日、BSプレミアム&BS4Kで「歌える!J-POP黄金のヒットパレード決定版!」第2弾を放送する。1980年代から2000年代に数々の名曲を生んだアーティストたちが、無観客のNHKホールに集い、今回もほぼフルコーラスによる“心を動かす音楽”でステージの熱気をダイレクトに視聴者に届ける。ENCOUNTでは、第1弾に続いて今回も出演者や関係者の生の声を独占取材。これを読むときっと“番組を10倍楽しめる”特集。1回目は、出演者が全幅の信頼を置く番組仕掛け人の知られざる素顔とその魅力に迫った。
今年5月に放送された「歌える!J-POP黄金のヒットパレード決定版!」第1弾は、誰もが歌える名曲の数々であの頃を懐かしんだり、現在も第一線で活躍しているアーティストのパワーを感じとってもらいたいというコンセプトで放送された。
「当初の目標は野球でいうところの『名球会』。30代~50代だけでなく、60代以上の皆さんにも楽しんでいただけるような歌番組を作りたいと思いました」
そう語るのは番組の仕掛け人でありNHKエンタープライズのエグゼクティブプロデューサーの長尾賢治氏。数10メートル離れていても目立つ派手な色のパンツにパーカ姿。街ではあまり出会いたくない“やんちゃ”なルックスだが、アーティストから新人ADまで分け隔てなく、誰にでも気さくに話しかける元気な60代のおじさんだ。
そんな長尾氏自らアーティストの出演交渉を行い、ステージ演出も全て手掛け、紅白歌合戦でも一堂に集う事がなかった“豪華すぎる”出演者と全曲「フルコーラス」を実現させた1回目。放送時はSNSでも盛り上がるなど、多くの視聴者の共感を呼び、番組は「編成局長特賞」を受賞した。
「とても良い形で1回目の結果が出たので2回目もオールスターでいこうと。今回は紅白出場経験のあるアーティストを中心に全曲誰もが知っている歌で視聴者の皆さんと一緒に歌えるような番組を企画しました」
今回もスタッフと人選を重ね、1回目に続いて大黒摩季、小柳ゆき、WANDSの出演に加え、米米CLUB、中島美嘉、NOKKO、TRF、m.c.A・T feat.ISSA、清春、岡平健治、小比類巻かほる、田村直美、久宝留理子、大橋純子、世良公則、渡辺真知子(順不同)と前回とは一味違った魅力を放つアーティストがそろった。
「NHKだからこそ作れる番組。NHKホールだからこそ実現できたというステージを見せたかったんです」
長尾氏は1956年生まれの64歳。大分県で生まれ、高校1年生の頃、吉田拓郎に衝撃を受け、いつか一緒に仕事がしたいという一心でこの業界を目指したという。
「高校生の頃、吉田拓郎さんの追っかけでした。ツアーで大分に来た時、1度でいいから話しかけたいと思って、アンコールで会場を飛び出して、泊まっているホテルの前まで一目散に走りました。戻ってきた拓郎さんに『拓郎ー!』って叫んだら返事をしてくれましたね。うれしかったですよ。それから1975年のつま恋(『吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋』)、も行きました。3日前から座り込んで1番前で見ましたね。将来、拓郎さんと一緒に仕事するにはどうしたら良いのか真剣に考え、猛勉強してNHKに入りました」
長尾氏はその後「ポップジャム」(93~03年)や「新・真夜中の王国」(95~04年)の演出・制作をはじめ、80年代以降のNHKのエンターテインメントを支えてきた1人。特に浜田省吾や大黒、MISIAなど、これまでテレビの露出がなかったアーティストを初めて登場させるプロデューサーとしても名をはせた。
「NHKの横浜放送局にいた時、帰りに伊勢佐木町のモールで牛丼食べて店を出たら、たまたまそこで歌っていたのが、ゆずの2人だったんです。彼らの歌があまりにもうまくて、終わった後、いきなりラジオ出演のオファーをしました。その後デビューして、最初の番組を担当することになり、東京ドームでやった『ふたりのビッグ(エッグ)ショー』を担当しました。
MISIAはファーストアルバム『Mother Father Brother Sister』で感動して、一般客として何度もライブを見に行きました。その2、3年後にようやく楽屋であいさつができて。たまたま僕と誕生日が一緒だったんで、MISIAに覚えてもらって。それがきっかけで何本か番組を作ったあと、12年の紅白(第63回NHK紅白歌合戦)に初めて出ていただいた。
とにかく僕は初物好きというか、人が行かないところを進むのが好きなんですよ。これまでやったことがないものを1番最初に作ると皆さんにも喜んでいただけるじゃないですか。ただ、ここまでやれたのは、運がよかったからで、人にも恵まれた。それに尽きます」