商談先で突然「体が動かない」 50代会社員を襲った病魔、失語症や記憶障害の後遺症も…仕事復帰の今

商談のため赴いた取引先の駐車場で車を降りたら、「体がだんだん動かなくなっていって」……。右半身がまひして倒れ込んだ。グラフィック・ウェブデザイナーとして仕事をバリバリこなしていた50代男性会社員を襲った病魔。診断されたのは、脳の血管に異常が起こる指定難病「もやもや病」だった。倒れてから4年。高次脳機能障害や失語症などの後遺症と向き合いながら、デザイナーの職場に復帰を果たしている。「常に感謝の思いを持って仕事に取り組んでいます」と前を向いている。

もやもや病と後遺症を抱えながら働くグラフィックデザイナーの浅川綱次さん【写真:本人提供】
もやもや病と後遺症を抱えながら働くグラフィックデザイナーの浅川綱次さん【写真:本人提供】

「もやもや病」で倒れ、高次脳機能障害・失語症・記憶障害などを抱えながらも職場復帰

 商談のため赴いた取引先の駐車場で車を降りたら、「体がだんだん動かなくなっていって」……。右半身がまひして倒れ込んだ。グラフィック・ウェブデザイナーとして仕事をバリバリこなしていた50代男性会社員を襲った病魔。診断されたのは、脳の血管に異常が起こる指定難病「もやもや病」だった。倒れてから4年。高次脳機能障害や失語症などの後遺症と向き合いながら、デザイナーの職場に復帰を果たしている。「常に感謝の思いを持って仕事に取り組んでいます」と前を向いている。(取材・文=吉原知也)

 OA機器関連商品の開発・販売事業、ウェブマーケティングなどを手がける「株式会社メディアブレイン」(山梨・甲府市)で働く54歳の浅川綱次さん。商品企画プロデュースからデザイン、アートディレクターまで、数々の企業を渡り歩いてきた“職人”だ。同社には2018年に入社し、責任ある仕事を任されてきた。

 2022年7月、50歳の時だった。取引先である山梨・身延山の宿坊を訪れた際、駐車場で突然倒れた。通りかかった女性が異変に気付いてくれた。ヘリコプターで病院に救急搬送された。当時のことは断片的にしか覚えていないというが、そのまま入院。脳の血流を改善するための手術などの治療を受けた。高次脳機能障害があることが分かった。浅川さんの場合は、思うように言葉が出てこない失語症、物の置き場所や約束を忘れてしまう記憶障害などを抱えるようになったという。

 浅川さんが倒れた日の様子を鮮明に覚えているのが、同僚で広報を務める深澤のぞみさんだ。「浅川がコンサルティングやデザインの面でずっとお付き合いをさせてもらっていたお客様との約束がある日だったのですが、先方から『様子がおかしい。病院に行くことになりそうです』と当社に連絡が入りました」。入院後も苦労が重なった。深澤さんは「当時は新型コロナウイルス禍で面会がままならず、こちらも心配が募りました。社員たちは千羽鶴や手紙、お守りを浅川に送りながら、回復を願って待っていました」と振り返る。

 1型糖尿病を抱えながら経営に奮闘する同社の黒田啓彰社長からも励ましを受けた。病室には千羽鶴が飾られ、ベッドの上は願いを込めた手紙であふれた。

 浅川さんは「当時のことは、頭がぼーっとしていて、ところどころしか覚えていないですが、会社の皆さんからいろいろなものをいただきました。とにかく『生きなきゃ』。そう思っていました」と振り返る。

 手術後は約6か月間、失語症や記憶障害のリハビリに取り組んだ。自宅に戻れるようになってからは、職場復帰に向けた支援機関のサポートを受けた。専門機関による運転練習やシミュレーターを使った評価を経て、自動車の運転も再開できるように。現在はマイカー通勤も可能になった。

 深澤さんによると、会話ができるようになった段階から、病室からオンラインで勉強会や報告の場に参加してもらうなど、テレワークを挟みながら少しずつ職場に戻る形をとっていったという。

 倒れてから約1年後に、正式に仕事に復帰し、今年5月からフルタイム勤務へ。着実に前進する一方で、後遺症は今も残る。「しゃべる分はよくなってきているのですが、頭では考えられているのに文字が書けないことがあります」。物忘れの対策として、財布やハンカチ、鍵にはひもを付けている。人との会話はAIボイスレコーダーで記録し、議事録を作成しているという。「しょうがないこと」として受け止め、善後策を講じながら、日々の業務にまい進している。

 また、意図せず笑ってしまうことも「後遺症の一つ」だという。会社の同僚・上司には事情を伝えており、理解を得られている。ただ、公共の場に行く際は、マスクで表情を隠すようにしている。「特に笑うと失礼になる場所へは、なるべく行かないようにしています」。

入院中に会社の仲間たちから届いた千羽鶴【写真:本人提供】
入院中に会社の仲間たちから届いた千羽鶴【写真:本人提供】

長年担当してきた和菓子店担当者から復帰後に「おかえりなさい」

 健康を考えて「ゆでる・蒸す・煮る」料理を中心に食事をとるなど、工夫しながらの生活。脳の定期検査も年1回受けている。理学療法士のもとに通い、身体機能の維持・向上に向けたサポートを受けている。

 仕事ぶりについて、浅川さんは「若い人たちに任せていますから」と謙遜するが、大事な役割をきちんとこなしている。現在は自社ホームページや自社ブランドビジョンのビジュアル制作などを担当。社内ミーティングでは積極的な意見・アドバイスを伝えている。

 うれしいこともあった。長年手がけてきた老舗和菓子店のブランディング事業。復帰後に、和菓子店の担当者から「おかえりなさい」と声をかけられた。顧客に信頼されている証しだ。

 一緒に汗を流してきた深澤さんは「浅川のつくるデザインは、手に取った時、目についた時にインパクトがあって、それでいて、なんだか温かくて、柔らかい。心に届くものがあるんです。お客様から『おかえり』と言っていただき、弊社としても本当にうれしかったです」と笑みを見せ、わがことのように喜ぶ。

 突然の病、変わってしまった自分の体。浅川さんは「必然的運命」という言葉を繰り返す。「私は『闘病生活』と考えず、必然的運命と考えるようにしています。偶然はなくて、全ては必然で成り立っているのだと思っています。『何で私だけ』とか、『こんな病気に』とは思わないことです。ここで生かされていることには、何か意味があるんです。何のために今の自分が生かされているのか、分かった気がしました」。

 病気を機に見つめ直したのは、身近な人だけでなく見知らぬ他人にも優しくできるかどうかという視点だという。「周囲に迷惑をかけるマナー違反や交通ルールの無視に対して、どうすれば改善するのか、社会的な視点でより考えるようになりました。それに、自分の家族や親しい友人以外で、まったく関わりのない他人にも優しく接することができるか。それがこの病気の後に気付かされたことでした。『与えられる』ことも重要ですが、まだまだこれからも、自分が『与える』ということを磨いていきます」と実感を込める。

 そして、日々の感謝の気持ちを大事にしている。会社の仲間からの声がけ一つもサポートになる。「会社の皆さんには私のことを理解してもらっています。みんなのおかげでここまで来ることができました。だから感謝ですね。何をするにも、いつも『ありがとう』と伝えるようにしています」。利他の精神を大切に、浅川さんは今日も感謝の言葉を口にしながら、大好きなデザイナーの仕事に励んでいる。

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