歌手、母、学生…相川七瀬、“3足のわらじ”の原動力 50代で「等身大」の自分になれた理由とは

歌手の相川七瀬は、ロック・シンガーとして一時代を築いただけでなく、3児の子どもを育てる母としての顔を持ち、現在は國學院大大学院で学ぶ学生でもある。“3足のわらじ”を履き、51歳となった今なお精力的に活動できる原動力とは――。キャリアの転機と、挑戦を続けられる理由について聞いた。

インタビューに応じた相川七瀬【写真:増田美咲】
インタビューに応じた相川七瀬【写真:増田美咲】

東日本大震災と大学進学の2つの転機

 歌手の相川七瀬は、ロック・シンガーとして一時代を築いただけでなく、3児の子どもを育てる母としての顔を持ち、現在は國學院大大学院で学ぶ学生でもある。“3足のわらじ”を履き、51歳となった今なお精力的に活動できる原動力とは――。キャリアの転機と、挑戦を続けられる理由について聞いた。(取材・文=小田智史)


【PR】世界の公道が舞台…ラリーの最高峰『WRC』をABEMAが全戦無料生中継

 1995年11月、シングル『夢見る少女じゃいられない』で鮮烈デビューを飾った相川は数々のヒット曲を飛ばすアーティストとして活動するかたわら、2020年に國學院大神道文化学部に入学した。

 高校を中退して上京した中で、20代、30代は子育てもあって「いつか高卒認定試験を受けたい」という思いを実現できなかった。しかし、3人の子どもたちが受験勉強に励む姿に刺激を受け、高卒認定試験のための勉強をスタート。2018年に高卒認定試験に合格すると、45歳で國學院大に入学し、学生生活を送ることになった。

「うちは子どもたちの年が6歳ずつぐらい離れているので(全員9月生まれで長男24歳、次男18歳、長女13歳)、受験や卒業入学が重なるんです。誰かが受験勉強していて、誰かだけが遊んでいるのは不公平感があるから、みんなが勉強している状況にしておかないと勉強をしなくなってしまうと思いました。その中で、私自身も勉強して、子どもたちも『ママが頑張ってるから仕方ない』と受け入れてくれたので、一緒にひとつずつ乗り越えることができました。まさに相乗効果ですね」

 相川はキャリアのターニングポイントとして、2つの出来事を挙げる。1つは2011年3月11日に起こった東日本大震災。「自分のステージはそれまでとは全く違うものになりました」と歌に対する考え方が変わったと明かす。そして2つ目が、大学進学だ。

「大学は私の価値観を全部変えてくれました。世界が広がったし、大学生活が私の人生をより豊かなものにしてくれたと思います」

伝統文化継承の活動にも力を入れている【写真:増田美咲】
伝統文化継承の活動にも力を入れている【写真:増田美咲】

“知らない”が生んだ赤米神事への関心

 音楽シーンで確かな実績を残してきた中で、40代からの大学挑戦。歌手として活動しながら、私生活では3人の子どもを育てながら、再び勉強をするのは勇気とエネルギーのいることだろう。もっとも、相川本人は「好きだということが(行動力の)源です。好きじゃなかったら、“やらされていたら”、絶対にやらないですね」と笑う。

「私は自分の仕事も大学も好きです。大学はとてもキツいんですけど、自分の好きなことを研究テーマにしていて、自分の実動とリンクしているからやりがいがある。自分がそのフィールドに毎年行くからこそ刺激もあるし、課題も見つけられるんです。でも、自分軸でやる気の時は仕事も勉強もやる気満々な反面、『やれ』と言われた途端にやりたくなくなるタイプなので、そこが難しいところではありますよね(笑)」

 相川は30代の頃からライフワークとして、長崎県対馬市、岡山県総社市、鹿児島県南種子町の3地域のみに伝わる、赤米を使った豊作を願う行事「赤米神事」の継承活動に関わってきた。2市1町の赤米大使を務め、後継者不足を解消すべく、伝統文化継承の活動に力を入れている。

「私は2011年の東日本大震災があった直後に対馬で『赤米神事』に出合いました。感動して、『この田んぼの持ち主は誰ですか?』と歩いている人に尋ねました。そして、その持ち主の家に尋ねて、話を聞いて、今もその人と一緒にその活動をやっている。いまだにあの時は『よく来たよね』と語り草です(笑)。今振り返ってみても、なぜあんなにガッツがあったのか分からないですし、今だったらもうできないと思います。好奇心が勝った形なので、“知らない”って『最強だな』って私は思っています。向こう見ずな好奇心が、私をその世界に連れていってくれ、人生を変えてくれたので赤米に感謝しています。赤米に出合っていなければ、大学にも行っていなかったと思います。2011年は震災の他にも、私にとってすごく大事な恩人が亡くなった年でもあって、私の“生まれ変わりの年”でした」

デビュー30周年を迎え、「やっと等身大でいられる」と語った【写真:増田美咲】
デビュー30周年を迎え、「やっと等身大でいられる」と語った【写真:増田美咲】

俯瞰して見た自身は「欲張り(笑)」

 自身を「好奇心旺盛」だと表現する相川。俯瞰(ふかん)して見た相川七瀬はどんなキャラクターなのか。

「織田(哲郎/シンガー・ソングライター)さんには欲張りだと言われます(笑)。『あれもしたい、これもしたい』と言って本当に全部やるから、『もう、1つにしろ』とよく言われるんですけど、やりたいことをやらないと後悔するのは先々の自分だと思うと、やってしまうんです。そういう意味では、たまに“生き急いでいる”と思う時もあります(笑)。『大丈夫?』と心配されるのも分かります。3人分ぐらいの人生を生きちゃっている実感もありますが、今はそういう時期なんだと思っています」

 では、多忙な日々を過ごす中で、1日24時間はどのように使って過ごしているのか。

「今、大学は研究生なのでちょっと落ち着いてはいるんですけど、今も週に2回、大学に行っています。私は寝ないと声が出なくなるタイプなんですけど、学部生・院生だった時は睡眠を削らないと時間が捻出できなかったので、寝る時間を削って勉強していました。あとは、子どもの習い事に一緒に行って待っている時間にカフェで勉強するとかを6年間ずっとやってました。今もう3人とも大きくなって、それぞれ自分の時間を過ごしてるので、割と時間があります。夏になってコンサートが結構本格化してきたので、深夜0時までには絶対寝る、寝室には携帯を持ち込まないことを徹底して、睡眠時間をとにかく確保して歌うことに備えています」

 子どもたちとは勉強の話もするという。「成績が悪くて、責めたくなる気持ちもあります」。くすっと笑い、我が子たちの存在の大きさをかみ締めるように言葉を続ける。

「親としては、物の見方というか、体験や刺激しか子どもに与えられない。いくら知識を与えたいと思っていい塾に入れても、いい家庭教師つけても、本人がやる気がないとできない。勉強が全てではないけど、勉強の大切さは自分も学生なのですごく分かる。でも、自分が高校の時にどうだったかと考えると、子どものことは言えないところもありますよね(笑)。先生に三者面談で『大丈夫ですかね』と聞いたら、『学校では楽しくやってますから、お母さんはそれ以上、口うるさく言わないでください』と言われて、グッとこらえたりしています(笑)。そんな風に、子どもたちの頑張りはすごく励みになっています。勉強面に関しては、本当に彼らの影響は大きかったですね」

 50代となり、今年はデビュー30周年を迎えた。「やっと等身大でいられる」と実感を込める。

「この年になって精神的にも円熟して、変に背伸びせず、ありのままでいいんだなって。『今が一番楽しい』と思うのは、等身大の自分で歌が歌えるからだと思います。かつてとは少し違う、私のエネルギーもきっと受け取っていただけるはずです」

 日々進化を見せていく相川。これからも自身のストーリーに新たなページを刻み続ける。

□相川七瀬(あいかわ・ななせ)1975年2月16日、大阪府出身。1995年に『夢見る少女じゃいられない』でデビュー。1stアルバム『Red』は270万枚を超えるミリオンセラーで女性ロックボーカリスト初のオリコン1位を獲得。その後、『恋心』『トラブルメイカー』『Sweet Emotion』『彼女と私の事情』など数多くのヒット曲を世に放ち、2025年にデビュー30周年を迎えた。音楽活動の一方で、高卒認定試験を経て45歳で大学に入学し、民俗学を専攻。24年3月に大学を卒業後、同大学院で民俗学を専攻し、修士課程を修了している。

トップページに戻る

あなたの“気になる”を教えてください