事故で体のまひ、子宮に悪性腫瘍…苦難乗り越えた女性医師の壮絶人生「置かれた環境で、今何ができるのか」
2児の子育てに励む女性医師が見舞われた2度の闘病。たどり着いたのは、「過去を振り返るでもなく、未来を案じるのでもなく、今この瞬間を生きる」という人生観だった。30歳で不慮の事故に遭い、下半身に感覚障害やしびれが残り、回復するのに10年もの歳月を要した。それもつかの間、42歳の時に、悪性腫瘍の一種である子宮肉腫が見つかった。手術・治療は成功。医療の仕事を全うする覚悟を決め、前を向き続けている。城西内科クリニック(埼玉・新座市)院長を務める54歳の高橋聡美医師に、困難を乗り越えてきた人生について聞いた。

「長く生存できるケースに自分が入ればいいじゃないか」 そう心を切り替えた
2児の子育てに励む女性医師が見舞われた2度の闘病。たどり着いたのは、「過去を振り返るでもなく、未来を案じるのでもなく、今この瞬間を生きる」という人生観だった。30歳で不慮の事故に遭い、下半身に感覚障害やしびれが残り、回復するのに10年もの歳月を要した。それもつかの間、42歳の時に、悪性腫瘍の一種である子宮肉腫が見つかった。手術・治療は成功。医療の仕事を全うする覚悟を決め、前を向き続けている。城西内科クリニック(埼玉・新座市)院長を務める54歳の高橋聡美医師に、困難を乗り越えてきた人生について聞いた。(取材・文=吉原知也)
最初の闘病は、研修医を経て、大学病院の医局に入って2年目のことだった。事故に巻き込まれる形で下半身に大きなダメージを負った。腰から下の感覚障害、右脚の運動まひ。3か月半の入院の後は、リハビリの日々を送ることになる。
車いすから歩行器、つえへと段階を踏んで回復していったものの、腰痛やしびれ、機能障害はその後10年間続いた。当初は自分で尿意や便意すら分からなくなったこともあったという。獣医師だった祖父に憧れ、医師の道を歩み始めた。内科医としてこれからという時に描いていた将来像は大きく崩れた。
当時2歳だった長男を抱えながらの闘病生活。愛息の抱っこもしてあげられない。心が張り裂けそうになった。
「(事故前は)子育てをしながら寝る時間もなく、自分を追い立てるように働き続けてきました。積み重ねてきたものが一瞬にして崩れたという現実を突き付けられました。体の痛み・まひはいつ治るのか分からない。この苦しみはどこまで続くのかと、当時は絶望しました」と振り返る。人前では泣かないよう気丈に振る舞いながらも、病室で1人、これからどうやって生きていこうかと涙したこともあったという。
困難に直面し、自問自答を重ねる中で、高校時代に読んだヘミングウェイの小説「老人と海」を読み返した。自分の運命と向き合い、「置かれている環境で、今何ができるのかを考えて生きていこう」と考えを深めていった。
「医師を辞めようかな」。そう漏らしたこともあった。同じ医師である夫から、叱咤激励を受けた。これまで医師として一生懸命に頑張ってきたことへのねぎらい。そして、「わずかでも医療に携わり続けて、白衣は脱ぐな」。この言葉が大きな支えになった。

「これが最後の誕生会や運動会になるかもしれない」
今でも腰痛にしばしば悩まされてはいるが、10年かけて復調を遂げた。そこで大切な“気付き”があったという。
「生まれたばかりの赤ちゃんは、何も持っていない状態からのスタート。それでも寝返りができた、立てた、歩けたと、一つひとつの“できるようになったこと”をみんなで喜んで、成長していきますよね。病気との向き合い方については、この“できるようになったこと”が大事になると思っています。まだ痛い、まだ具合がよくないと、悪いところばかり見てしまっては、もっと状態が悪化してしまいます。ここで視点を変えてみましょう。前よりよくなってきた、これができるようになった。そういった『いいところ』にフォーカスすること。一歩一歩進んでいきましょう」。失ったものを嘆くのではなく、今できることに目を向けていく――。この考え方は、診療を通して患者に伝え続けている。
体が回復し仕事に打ち込めるようになった頃、さらなる試練に見舞われる。42歳の時、体に異変が。過多月経のような出血や動悸、強い疲労感が続くようになった。検診で異常は指摘されなかったが、どうしても違和感が拭えず、知人の医師に相談し、詳しく調べてもらったところ、子宮肉腫が見つかった。
「希少なタイプの悪性腫瘍でした。人生で初めて、死を意識しました。自分で文献を調べて読み漁ったのですが、生存率は厳しいもので、もう見ないことにしました。長く生存できるケースに自分が入ればいいじゃないか。そう心を切り替えました。私の場合は子宮全摘の手術を受けたほか、自由診療の免疫細胞療法も受けました」。主治医と相談を重ねた。手術は成功し、リンパ節への転移は見られなかったという。
子宮肉腫の闘病時、長男は中学生、次男は小学生。育ち盛りで元気いっぱいの息子たちを見ると、胸が痛んだ。「これが最後の誕生会や運動会になるかもしれない」。子どもたちとの時間を心に刻みながら過ごした。闘病のつらさ、悲観してしまう気持ちはぐっと抑え込み、笑顔で接することを大事にして2人の息子を育て上げた。
過去を振り返って後悔したり、先のことを考えて不安になったりすることに時間を使うのはやめよう――。そう心に決めた。「病気が再発したら、その時はその時。今この瞬間に集中する以外に、時間の使い道はない。そう思っています」と実感を込める。
「1人で思い詰めないこと、1人で悩まないこと」
自身の闘病経験を経て、西洋医学の標準治療だけでなく、セルフケアや心身のバランスなど幅広いアプローチも合わせて健康を目指すことを追求。複数の医師と研究者が集まる団体「自然未来医療研究会」を立ち上げ、研さんを積んでいる。
子宮肉腫の闘病中には、がん患者やその家族が交流する患者会にも参加した。医師でありながら患者として参加する高橋医師の存在は珍しく、多くの参加者から関心を寄せられたという。「医師になってからがんになったあなたが、どう感じてどう考えているのか」。そう繰り返し聞かれ、患者から人生相談を受ける中で、多くのことを学んだと振り返る。「私を“灯り”のように思ってくれる人もいる。それを実感できたことが、今の活動の原点になっています」。
患者会の場で強く実感したのが、「1人で思い詰めないこと、1人で悩まないこと」の大切さだった。悩みや苦労を共有できて、前向きに話し合える仲間の存在が、希望につながっていく。「何かを変えたいと思って参加する。だからこそ、元気になって帰っていく方が多かったです」。また、大切な人を亡くした家族同士が支え合い、新たな人間関係を築いていく姿を何度も目にしたという。
自分が病気になっても、明るい方向に視点を向けること、できることを一つひとつ積み重ねていくこと、そして前向きになれる場所に自ら足を運んでみること。それが困難と向き合う多くの人にとってのヒントになるはず――。心から伝えたいメッセージだ。そして、今までの生活習慣や食事を見直すこと。病気を通して人生や自身について、ここからどう向き合って生きていくかを考えていく。そこが何より大切だという。
事故による長い体の痛みとの闘い、死を意識した病。絶望に突き落とされながらも、少しずつ前へ進んできた。「暗く不安の多い世の中ですが、自分にできることをやっていきたいと思っています。自分が病気の当事者になって、初めて得られた学びは多くありました。私は『心の艶』と呼んでいますが、一瞬一瞬を明るく楽しく、笑顔で過ごすこと。目の前の小さな幸せを積み重ねて生きていくこと。前向きになれる生き方について、これからも伝え続けていきたいです」と優しい笑顔で語った。
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