ケイン・コスギ、30歳で挑んだハリウッドの厳しい現実「どんなオーディションに行っても全部落ちた」

俳優のケイン・コスギは、30歳で日本の仕事を離れ、子どもの頃からの夢だったハリウッドに挑戦した。そこで待っていたのは、オーディションに落ち続ける現実だった。映画『四十九-SEEK』(公開中)に出演したケインが、挫折と再起、父ショー・コスギへの思いを語った。

映画『四十九-SEEK』に出演したケイン・コスギ【写真:冨田味我】
映画『四十九-SEEK』に出演したケイン・コスギ【写真:冨田味我】

父ショー・コスギの勧めで18歳の時に来日

 俳優のケイン・コスギは、30歳で日本の仕事を離れ、子どもの頃からの夢だったハリウッドに挑戦した。そこで待っていたのは、オーディションに落ち続ける現実だった。映画『四十九-SEEK』(公開中)に出演したケインが、挫折と再起、父ショー・コスギへの思いを語った。(取材・文=平辻哲也)


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 ケインが日本に来たのは18歳。日本語は話せず、台本も読めなかった。高校卒業後、大学へ進むか、米国で俳優を目指すか。将来を迷っていたケインに、父はこう勧めた。

「半分日本人だし、日本に行って、ちょっと日本語を勉強して、アクションを勉強して、それから考えればいいじゃない」

 来日後は皿洗いをしながら道場に通った。最初はホームシックになり、半年で帰るつもりだったという。

「でも、日本の俳優はテレビに出たり、歌ったり、バラエティーに出たりしていました。それがすごく新鮮でした。アメリカでは当時、テレビの俳優はテレビしか出ない。マルチにやるのは見たことがなかったから、すごいなと思いました。日本にいて、もっともっと勉強したいなと思ったんです」

 それから30年以上。今では米国へ行くと「早く日本に戻りたい」と思うほど、日本が生活の拠点になった。

 最初の大きな現場の一つが特撮だった。米国で『ウルトラマンパワード』を撮影し、日本では『忍者戦隊カクレンジャー』に出演。戦隊は1週間で1本という速いペースで進んだ。

「日本語が全然話せなかったし、とにかくスピードが速かったですね。途中で台本が間に合わないこともありました。僕は読めないので、何本か全然ストーリーが分からないけど、何となくパターンがあるから、みんなについていっただけですね」

 台本を読めないまま現場に立った経験は、突然アドリブやアクションを求められても対応できる力になった。当時のジャパン・アクション・クラブ(現JAE)のメンバーにもかわいがられ、スタントを含む多くのことを学んだという。

 当時の子どもたちには、ウルトラマンとニンジャブラックの両方に変身することを不思議がられた。

「『アメリカに帰るとウルトラマンになるんです。日本にいる時は戦隊です』と、そういう言い訳をしていました」

ハリウッド挑戦を振り返った【写真:冨田味我】
ハリウッド挑戦を振り返った【写真:冨田味我】

30歳でハリウッド挑戦「オーディションに行っても全部落ちた」

 日本で人気を得た後、30歳で大きな決断をした。日本の仕事をすべてやめ、ハリウッドへ渡った。

「子どもの時の夢はハリウッドに挑戦することでした。日本ですごく忙しかったけど、やっぱり映画俳優、アクション俳優を目指したい。マネジャーとかエージェントを全部探して、1から全部やりました」

 待っていたのは厳しい現実だった。

「オーディションに行って、全然ダメだった。そのショックが大きかったですね。どんなオーディションに行っても全部落ちた。それが大きかったです」

 アクションには自信があった。だが、米国のオーディションでは技を見せる前に台本を読まされる。

「これが全然ダメでした。どんなにいいアクションができても、役はもらえない。もっと演技の勉強をしないといけないと思って、演技の学校にも行きました。セリフの言い回しとか、やり方がやっぱり違うんです」

 ハリウッドで主演作にたどり着くまで、約10年かかった。ケインによると、『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』では最後の2人まで残り、米国で演技を披露したが、役をつかめなかった。

「何本か本当にやりたかった作品があって、それをやっていたらだいぶ違ったなと思うものもあります。当時はすごく落ち込んでいました」

 それでも、自分に足りない部分を学び直した。失敗の受け止め方も、少しずつ変わった。

「『ワイルド・スピード』で最後まで残ったということは、自分がコントロールできなかった部分もあったかもしれない。勝ち取れなかったけど、やっていることは間違っていないかもしれない。とりあえず次を頑張ろう、という感じです」

 その挑戦を通じて、初めて父のすごさも分かったという。

「30歳までは、本当に親のすごさは分からなかったですね。自分がアメリカに挑戦して、初めて父親のすごさが分かりました。父親は英語を話せなくて、それでそういう作品に出ていた。本当にすごいなと思いました」

 ショー・コスギが米国で忍者ブームを起こした時代は、アジア系俳優の役が今よりはるかに少なかった。ケインは、渡辺謙や真田広之らによって役の幅が広がった現在と比べ、父の功績の大きさを実感している。

 現在51歳。「海外のアクション俳優は40代、50代がベスト」と考え、香港や米国の作品で世界のトップ俳優と共演することを目指す。80歳でも現役の倉田保昭と撮影し、「まだまだ頑張らないと」と刺激も受けた。

 18歳で日本語の読めない現場に飛び込み、30歳で一からハリウッドに挑んだ。何度落ちても、ケイン・コスギは次のチャンスを取りにいく。

□ケイン・コスギ 1974年10月11日、米ロサンゼルス出身。8歳の時に映画『ニンジャII/修羅ノ章』(83年)で子役としてデビュー。抜群の身体能力を生かし、TBS系『スポーツマンNo.1決定戦』では歴代最多となる6度の総合No.1を獲得。2002年に映画『マッスルヒート』で初主演。05年から本格的にハリウッドへ進出し、映画『DOA/デッド・オア・アライブ』(07年)などで活躍。大正製薬「リポビタン」シリーズのCMでも親しまれている。

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