シーザー武志の激烈武勇伝 前田日明もビビった関西の“元祖・路上の伝説”

RENAらを輩出したシュートボクシング(SB)を率いるシーザー武志会長(65)。1985年にSBを創設してから早くも35年の月日が流れたが、その間、格闘技界の栄枯盛衰を間近に体感した。そんなシーザー会長に、実は“元祖・路上の伝説”としてケンカに明け暮れた日々を過ごしていた思春期の話から、アントニオ猪木、佐山聡、前田日明、高田延彦、千代の富士、朝青龍、RENA、那須川天心……といった時代を彩った主役たちとの様々なエピソードを語ってもらった。衝撃の第3回!(聞き手◎“Show“大谷泰顕)

これまでの自分史を振り返ってくれたシーザー武志会長【写真:ENCOUNT編集部】
これまでの自分史を振り返ってくれたシーザー武志会長【写真:ENCOUNT編集部】

前田日明も震え上がったシーザー武志の本名

 RENAらを輩出したシュートボクシング(SB)を率いるシーザー武志会長(65)。1985年にSBを創設してから早くも35年の月日が流れたが、その間、格闘技界の栄枯盛衰を間近に体感した。そんなシーザー会長に、実は“元祖・路上の伝説”としてケンカに明け暮れた日々を過ごしていた思春期の話から、アントニオ猪木、佐山聡、前田日明、高田延彦、千代の富士、朝青龍、RENA、那須川天心……といった時代を彩った主役たちとの様々なエピソードを語ってもらった。衝撃の第3回!(聞き手◎“Show“大谷泰顕)

――実は今回、シーザーさんが本名の村田友文時代の“元祖・路上の伝説”だった頃の話を聞かせてほしいなと。高校時代の前田日明さんも震え上がるほどの伝説だったとか。

「いや、俺も知らなかったんだよ。前田が俺のことを知っているとは」

――そうだったんですね。

「ある時、UWFの道場でちゃんこを食っていたら、前田が『シーザーさん、学校どこですか?』って聞くから、『箕面学園や』って言ったら、『え! 箕面の村田さんですか!』って聞くんだよね。そしたらアイツ『箕面の村田さんて人3人ぐらい殺してるんですよね?』って言うから、『3人殺していたら、ここにおるかい!』って(笑)そんなことしてたら刑務所に入ってるよ」

――風評被害ですね(苦笑)。

「そんなヤバいことはしてないんだよ、俺。結構、知能犯だから(笑)」

――知能犯(笑)。

「俺がキックボクサー時代に大阪の生野っていう場所でランニングをしていたら、子どもたちがバーッと追いかけてくるんですよ。あんまりうっとおしいから、『うるさいコラーッ!』って叫ぶと、バーッと逃げるんですよ。その中の1人に、前田がいたらしい(笑)」

――あ、その中に。

「(前田は)『怖かったです、その頃は』って言っていたよ(笑)。いろんなことありましたね。だからそんなにケンカばっかりしてたわけではないんですよ。ただ、みんなが警戒しているだけでね。結構、ハッタリが多かったね(笑)」

――いや、実際に強くなかったら、下に誰もついていかないですよ。

「ま、他校にも僕のことを尊敬してくれているヤツ結構いましたからね(笑)」

――ケンカが強かったら尊敬されるでしょうね。例えば、どんなケンカを?

「高校1年になった時に、仲間と『俺たちも名前を売らなきゃいけねえな』みたいな。まだ1年坊主なのに3年生にケンカを売ってボコボコにしちゃったりね。あと○○大学の空手部のヤツらが学ラン着て偉そうに歩いててさ。アイツら襟のところに拳のマークの四角いバッチをつけてるんだよ。だから、『なんやこれ、お前がグーならパー出したろかい』って因縁つけてさ。大学生だから体はデカかったけど、動きが遅いからバッチバチにシバいたった(笑)。俺その話忘れてたんだけど、当時の同級生からその時の話をされて思い出したよ。いろんなところでそんなことしてたなあ」

――いろんなところで(苦笑)。

「ある時、天王寺っていう通天閣があるところに清風高校っていう体操で有名な学校があって。そこに紺の制服を着ていた学生がいて、ウチの高校と同じ色でね。なぜか『生意気やな』って話になって。『なん年や?』って聞いたら、『3年や』って言ってたけど、やっぱりボコボコにして。『お前、いくらか持ってるやろ。早よ出せ』って、要はカツアゲですよね」

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