湿疹治療を続けていたら「左足の一部が壊死」 働き盛りを襲った難病、激痛で寝たきりに…再就職までの道のり

30代後半の働き盛り、健康自慢だった体が一変した。全身のかゆみ、高熱、両足の激痛。夜はほとんど眠れず、ついには仕事を続けられなくなった。立て続けの病気、のしかかった困難。厚生労働省の指定難病「特発性大腿骨頭壊死症」などと闘いながら、家族のために懸命に働くサラリーマンがいる。宮城県の建設会社「さくら株式会社」で人事課長として活躍する、42歳の渡邉恵太さんだ。4年以上に及ぶ闘病を続けており、「どんなにつらくても、卑屈にならず、前を見続けること」。不屈の人生に迫った。

「特発性大腿骨頭壊死症」人工関節の手術直後に撮影【写真:本人提供】
「特発性大腿骨頭壊死症」人工関節の手術直後に撮影【写真:本人提供】

指定難病「特発性大腿骨頭壊死症」と「蕁麻疹様血管炎」

 30代後半の働き盛り、健康自慢だった体が一変した。全身のかゆみ、高熱、両足の激痛。夜はほとんど眠れず、ついには仕事を続けられなくなった。立て続けの病気、のしかかった困難。厚生労働省の指定難病「特発性大腿骨頭壊死症」などと闘いながら、家族のために懸命に働くサラリーマンがいる。宮城県の建設会社「さくら株式会社」で人事課長として活躍する、42歳の渡邉恵太さんだ。4年以上に及ぶ闘病を続けており、「どんなにつらくても、卑屈にならず、前を見続けること」。不屈の人生に迫った。(取材・文=吉原知也)

 最初の異変は小さなものだった。2021年12月、体に湿疹が出始めた。もともと湿疹が出やすい体質ではあったが、病気知らずの健康体。しかし、何か月たっても一向に改善しない。翌22年3月、病院で精密検査を受け、告げられた病名は「蕁麻疹様血管炎(じんましんようけっかんえん)」だった。「血管の炎症で、臓器に影響が出るケースもあるとのことで、私の場合は皮膚で収まっていてまだ軽いほうという説明を医師から受けました。でも、首から下はほぼ全身に発疹とかゆみが広まっていました」。寝ても覚めても、「神経をずっと触られている」かゆみが続き、精神的にも追い詰められていった。ステロイド薬を服用、薬の量を増やすと症状は落ち着くが、減らすと再燃する。その繰り返しが続いた。

 さらなる試練が訪れたのは23年の春。介護士の仕事に就いていたが、お年寄りを抱える介助中に、左の股関節に痛みを覚えた。レントゲンを撮るも異常なし。仕事中に痛めたのかと思ったが、どうにも治まらない。そうこうしているうちに蕁麻疹様血管炎も再発し、38度前後の高熱も出るようになり、仕事は休業を余儀なくされた。

 同年5月、MRI検査などを受け、「左足の一部が壊死している」ことが分かった。診断は指定難病の「特発性大腿骨頭壊死症」。痛みの正体だった。厚労省の資料によると、「青・壮年期に好発して労働能力を著しく低下させることから、労働経済学的にも大きな損失を生じる」と説明。また、一般にはステロイドやアルコールの関連が指摘されているが、原因は十分に分かっていないという。

 かゆみ、激痛、高熱の三重苦で、睡眠時間は1~2時間がやっと。「寝返りを打つと痛くて、背中がかゆいので、うとうとしても20分ぐらいで起きちゃうんです。股関節痛にはむらがあり、不思議と痛みのない日もあれば、杖を使用しながら歩いている最中に突如激痛が走る日もありました」。次第に右股関節にも症状が進み、24年2月に、15年働いた介護職を退職。その2か月後にはベッドから起き上がることができず、はって動くにも痛みを伴い、歩くことができなくなった。

 治療の検討を重ねた。人工関節に取り換える手術だ。若い年齢で手術をすると、耐用年数の都合によって将来の再手術が必要になるケースもあり、思い悩んだ。だが、体は限界に。医師と熟考の末に、一度に両股関節の手術を決断した。

 24年5月に受けた手術は無事に成功。リハビリに励み、夏には退院することができた。現在は股関節の痛みはほとんどなくなり、以前と変わらない生活を送ることができている。蕁麻疹様血管炎についても別の薬の点滴投与により改善。現在はステロイド薬を止めることができている。「2つの病気は現在も経過観察中ですが、大好きなマニュアル車の運転について不自由なく乗ることができています」と現状を語る。

 現役世代の闘病で懸念されるのが、収入面だ。渡邉さんは“救世主”との出会いがあった。現在勤めるさくら株式会社の高橋和義代表だ。「介護士の仕事を辞めた時、2人の娘は上が小学校高学年で下が幼稚園。家も買って間もない時期でした。経済的な不安はもちろんありました。人工股関節の手術を控えていた時期で、そんな時に高橋さんが声をかけてくれたんです。もともと知り合いで、互いの身の上話をして励まし合ってきた仲で、『事務仕事なら無理なくできるんじゃないか』と誘っていただきました」。理解ある会社への再就職は力強いサポートになった。

渡邉恵太さんは懸命のリハビリで復活を果たした【写真:本人提供】
渡邉恵太さんは懸命のリハビリで復活を果たした【写真:本人提供】

「今まで当たり前にできていたことは、こんなに大変なことだったんだ」

 家族の存在も大きかった。「僕は生来の楽天家で、なんとかなると話していましたが、家族はつらかったと思います。それでも、妻は『仕事ができなくなることは気にしないで。治すことを考えて』と言葉をかけてくれました。娘たちはいかにパパをサポートできるかを考えてくれて、物を持ってくれたり、立ち上がる時に手を引っ張ってくれたり。家族が支えになりました。手術の日に『行ってらっしゃい』と涙ぐんで送り出してくれた家族の姿は忘れられません。妻も介護職をしているので経済的にも支えてくれて、本当にありがたいです」。最大限の感謝を口にする。

 逆境を乗り越えた経験は、仕事人としての渡邉さんをより強くしている。人事課長として東北各地の高校や大学を訪れ、採用イベントや就職説明会に参加。企業にとって重要な人材登用・人材育成に全力を注いでいる。

 自身の闘病体験を話す機会も多い。「困難に直面した時に、逃げてしまうのか、成長のチャンスと見るか。逃げることも手段の一つだけど、どのような価値観を持って挑戦していけるか。糧にできるかどうかは自分次第だよ。そんな話をしています」。この春の新入社員は7人。社内研修などを通じて、従業員の心身の健康向上に尽力している。

実際のごみの写真【写真:本人提供】
実際のごみの写真【写真:本人提供】

 つらくなった時に、自らを奮い立たせるものがある。LINEのプロフィールのアイコン画面だ。「病室に落ちたごみの画像を使っています。手術後、5日目のことです。病院食を食べている時に、ごみを落としてしまいました。あっと思って拾おうとしたのですが、かがむことができない。麻酔をしても激痛で、目の前にあるのに拾えない。地球の裏側ほど遠く感じました。今まで当たり前にできていたことは、こんなに大変なことだったんだと。あの時感じた思いを忘れないように、ずっと使っています」。

 耐え難い痛みを語る場面でも、笑顔を絶やさない渡邉さん。絶望に突き落とされても、下を向くことは一度もなかった。「病気って、なりたくてなるわけじゃないですよね。でも、それを乗り越えた時に、人の気持ちがもっと分かるようになる。闘病を通じて、そう思いました。つらい時に悪い方向に考えては、状況はもっと悪くなるばかりです。困難も楽しむこと。これからも前を向いて歩いていきたいです」と結んだ。

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