「覚えている」より「忘れない」 『君の名は。』川村元気が世界的絵本の原題を意訳した深い理由
世界中で1000万部を超える大ヒットを記録し、日本でも広く愛された絵本『ぼく モグラ キツネ 馬』(飛鳥新社、2200円)。そして、待望の続編となる『きみをわすれない』(飛鳥新社、2200円)。この世界的ベストセラーの翻訳を手がけたのが、映画『君の名は。』『8番出口』、小説『世界から猫が消えたなら』など数々のヒット作を生み出している映画監督・作家の川村元気氏だ。なぜこの絵本の翻訳を引き受け、そこにどんなメッセージを読み取ったのか。

『8番出口』、『世界から猫が消えたなら』などヒット作を生み出す
世界中で1000万部を超える大ヒットを記録し、日本でも広く愛された絵本『ぼく モグラ キツネ 馬』(飛鳥新社、2200円)。そして、待望の続編となる『きみをわすれない』(飛鳥新社、2200円)。この世界的ベストセラーの翻訳を手がけたのが、映画『君の名は。』『8番出口』、小説『世界から猫が消えたなら』など数々のヒット作を生み出している映画監督・作家の川村元気氏だ。なぜこの絵本の翻訳を引き受け、そこにどんなメッセージを読み取ったのか。(取材・文=平辻哲也)
物語は、好奇心旺盛な「ぼく」と、ケーキが大好きな「モグラ」、物静かな「キツネ」、そして思慮深く力強い「馬」が、どこまでも続く大自然を旅する姿を、詩的な言葉とともに描き出す。特別な事件が起きるわけではないが、彼らが交わす会話の中には、「愛とは何か」「自分を許すとはどういうことか」といった、人生において見失いがちな真理が散りばめられている。
2019年に初版が発行され、サンデータイムズのベストセラーリストに100週以上ランクインし、同書を原作とした短編映画は2023年、アカデミー賞で短編アニメーション賞を受賞している。
翻訳のオファーを受けた当初、川村氏は「翻訳は専業の方もいらっしゃる世界で、自分がやって本当に良くなるのだろうかと考えてしまったんです」と躊躇(ちゅうちょ)したという。しかし、原作者のチャーリー・マッケジーの経歴を知り、考えが変わる。
「チャーリー・マッケジーさんご自身が、リチャード・カーティス監督(『ラブ・アクチュアリー』や『アバウト・タイム~愛おしい時間について~』で知られる)と映像の仕事をしていたり、文章も書かれている。自分とちょっとキャリアが似ていると思ったんです」
絵と文章、そしてデザインの組み合わせで読ませるこの本なら「もしかしたら自分の経験がうまく生きるかもしれない」と感じ、何より「単純にこの本がとても好きだったから」とオファーを引き受けた。
いざ翻訳に向き合った川村氏は、「チャーリーさんの“声”のようなものを生かしつつ、アイデアの部分で面白くしたい」と考えた。そのひとつが主人公の呼称だ。
「直訳すると『少年』『モグラ』『キツネ』『馬』なんですけど、日本語で『少年』とした瞬間に、原作の持つ柔らかい、個人的な感じとは違う気がしたのです」
もっとプライベートな感じを出したいと原作者に直談判し、「ぼく」と翻訳する許可を得た。「『ぼく』という風に翻訳させてほしいとお願いして、ご了承いただいたのは大きかった」。「少年」ではなく「ぼく」とすることで、読者が自分事として物語に入り込めるようにしたのだ。
さらに川村氏は、日本語ならではの特性を視覚的に活かすアイデアを提案する。
「日本語は、ひらがなとカタカナと漢字が共存しているすごく珍しいキャラクターを持っています。『ぼく』がひらがなで、『モグラ』と『キツネ』がカタカナで、『馬』を漢字にすることで、全く個性の違う者たちが一緒に旅をするというニュアンスを、デザインとして表現できるんじゃないかとご提案しました」
これは、ひらがな・カタカナ・漢字が並立する情報量を使った「一種の発明」といっていい。
日本語版のタイトルや手書き文字などを担当した島野真希氏のカリグラフィーについても、「すごくオリジナルの雰囲気に合っている。素晴らしい感性だと思います」と称賛を惜しまない。
翻訳を通じて新たな発見
前作『ぼく モグラ キツネ 馬』が世界中で受け入れられた理由について、川村氏は時代の空気との見事な合致を指摘する。
「コロナ禍後にみんなが誰かと触れ合いたいという感覚だったり、外に出て自然の中を冒険するみたいな、失われた感覚をすごく感じさせてくれる本で、それがばっちりマッチしたのかなと」
さらに、スマホの中にフェイクニュースなどの嘘の情報が蔓延していた時期だったことも大きいと語る。
「人間の言葉が信頼できなかった時期だと思うんですけど、動物からそれを言われることによって受容しやすかったというのはあると思います」。
第2作『きみをわすれない』では、「嵐」という新たなテーマが描かれる。
「コロナ禍で家の中にいて感じてる孤独感みたいなものを埋めるのが1作目だとしたら、コロナが終わって学校や仕事場に行ったら、それはそれで人間関係とかで結構疲れちゃったり、家の中にいた人たちが外に出た時に、外は外で嵐だったという。すごく時代の気分をつかんでいる作家だなって思います」
この続編の原題は「Always Remember(いつも覚えている)」だが、川村氏はこれを「きみをわすれない」と訳した。
「日本語ってなんだろう、影から光を見つけるようなところがあって、『覚えている』よりも『忘れない』の方がいいなと思いました」。
さらに、前作の主体が「ぼく」だったのに対し、本作では読者に向けるべく対象を明確にした。
「『いつでも覚えている』よりも『きみをわすれない』が、この本の声に合っていると思った。絵との相性もすごく考えました」。読者へのメッセージとしてより強く響くタイトルは、こうして生まれた。その言葉からは、翻訳という作業を通じた新たな発見が浮かび上がってくる。
□川村元気(かわむら・げんき)1979年生まれ。映画プロデューサー、作家、映画監督。2010年、米ハリウッド・リポーター誌の「Next Generation Asia」に選出される。12年に初小説『世界から猫が消えたなら』を発表。その後も『億男』『四月になれば彼女は』『私の馬』等の小説を発表。22年には自身の小説を映画化した長編監督デビュー作『百花』で、第70回サンセバスチャン国際映画祭にて日本人初となる最優秀監督賞を受賞した。最新監督作『8番出口』はカンヌ国際映画祭正式招待作品となり、国内外で大きな話題となった。
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