73→51キロ、22キロ減量の記者が2週連続42.195キロ完走「ビリが当たり前だった私が」【東京マラソン体験記】

東京マラソン2026が1日、開催された。過去最多の約3万9000人がスタートラインに立ち、晴天の東京を駆け抜けた。ランニング歴5年のENCOUNT編集部員・幸田彩華もその中の1人だった。コロナ禍の落ち着いた時期にダイエット目的で走り始め、今回、念願だった東京マラソンを初めて走った。一人のランナーとして、この大会ならではの景色、魅力、そして走る意味を伝えたい。5年で22キロの減量に成功した過程、自己ベスト4時間27分22秒で完走した42.195キロの「旅」をレポートする。

東京マラソン2026が1日開催【写真:(C)東京マラソン財団】
東京マラソン2026が1日開催【写真:(C)東京マラソン財団】

大阪の悔しさ、東京で晴らして自己ベスト

 東京マラソン2026が1日、開催された。過去最多の約3万9000人がスタートラインに立ち、晴天の東京を駆け抜けた。ランニング歴5年のENCOUNT編集部員・幸田彩華もその中の1人だった。コロナ禍の落ち着いた時期にダイエット目的で走り始め、今回、念願だった東京マラソンを初めて走った。一人のランナーとして、この大会ならではの景色、魅力、そして走る意味を伝えたい。5年で22キロの減量に成功した過程、自己ベスト4時間27分22秒で完走した42.195キロの「旅」をレポートする。

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 午前7時30分。大江戸線・都庁前駅のホームに降り立つと、ひんやりとした空気の中に特別な日特有の「熱気」が混じっていた。今回で19回目の開催。私はスタートの1時間40分前に現地入りし、大勢のランナーとともに準備に入った。頭にあったのは、初めてのサブ4.5(4時間30分切り、1キロ6分24秒を切るペース)と2月23日に出場した大阪マラソンのリベンジだった。1週間前、私はハーフを超えたあたりで両足を激しくつり、後半はほぼ歩いてしまった。記録は5時間00分34秒。悔しさと同時に、ダメージを負った体が回復できるのかが心配になった。階段の昇り降りはもちろんのこと、平地でも足がガクガクして、いわゆる「歩く子鹿」のようになっていたからだ。

 それでもレースはやってくる。まずは、2日間は完全休息で睡眠時間を多く取った。血流を良くして疲労物質を取り除くために、ぬるめの風呂に浸かった。4日目にようやく筋肉痛が治まり、軽いジョグを再開。前日には鍼治療院で体をほぐしてもらった。

 伝えておくと、私は身長157センチ、体重51キロ。だが、かつては違った。関西から上京後、暴飲暴食と運動不足で一時は73キロまで増加した。そこから一念発起したのだが、学生時代から走ることは大の苦手。部活動や学校のマラソン行事ではビリが当たり前で、「なぜ、あんなしんどいことをするのだろう」と、走る人の気持ちが全く理解できなかった。そんな私が「やせるために皇居を一度走ってみよう」と思い立ち、インターネットで情報収集。皇居周辺にはロッカーやシャワーを完備したランニングステーションが多く、初心者でも始めやすい環境が整っていることを知った。

 現実は甘くなかった。最初の練習では数百メートル走っただけで息が上がり、1キロすら連続で走れなかった。歩きと走りを繰り返し、なんとか1周5キロをフィニッシュ。それでも、ランナーの聖地をさっそうと駆ける先輩ランナーたちの姿にあこがれを抱いた。そして、「いつか自分もああなりたい」の一心で街ランやイベントに参加。次第にランニング仲間も増えていった。以降、肉離れなどのけがに悩まされながらも、練習と大会参加を重ねた。フルマラソンの大会1か月前には20~30キロ走を取り入れ、準備を進める。それが常になった。

 東京マラソンは、ボストン、ロンドン、シドニー、シカゴ、ベルリン、ニューヨークと並ぶ、世界で最も名高い「アボット・ワールドマラソンメジャーズ」の一つ。その人気は凄まじい。抽選倍率は非公表ながら、筆者の周囲でも「まず当たらない」という声が絶えない。エントリー方法は、10万円以上の寄付を行うチャリティランナーのほか、一般・都民・3連続落選者枠など多岐にわたる。制限時間は、号砲(スタート合図)から7時間に設定されている。

 大会の「お祭り感」は数日前から始まっている。街中に掲げられた交通規制の垂れ幕や看板が、いよいよ本番が近いことを告げる。2月26日から3日間、東京ビッグサイトで開催されたランナー受付(東京マラソンEXPO 2026)では、本人確認と同時に、当日着用するビブスを受け取り、セキュリティー・不正出走防止のため、リストバンドが装着。さらに、給水所で紙コップが不足する問題、被り水などで使用できるよう、参加記念品として、「東京マラソンロゴ入りソフトカップ」が配付された。

当日の食事内容を公開

 会場には最新のスポーツギアやアパレルのブースが並び、オフィシャルパートナーであるアシックスのブースでは、限定アイテムを求めて2時間待ちの行列ができるほど。東京メトロのブースでは、フィニッシュテープを背景に写真が撮れるフォトスポットが人気を博し、撮影までに約40分を要した。このEXPOはランナー以外も入場可能で、3日間の来場者数は延べ7万6000人に達したという。

 レース3日前からは、エネルギー源となるグリコーゲンを体に蓄える「カーボローディング」を実施。米や餅、パン、OS-1などの摂取比率を高め、万全を期した。

 当日はスタート5時間前に起床。スパゲッティー、おにぎり、もち、バナナ、カステラを摂取し、こむら返りや筋肉のけいれんに即効性があるとされる漢方薬「芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)」も準備した。朝の気温は11度。ウエアはアシックスの“RUN TOKYO”ロゴ入りトップスに、シューズはNOVABLAST 5 TOKYOを選択。防寒用のビニールを羽織り、いざ出陣。手荷物はウエストポーチにスマートフォン、塩ジェル、塩熱サプリ、エナジージェル、ソフトカップ、漢方を収めた。

 大規模大会ゆえに、セキュリティーは極めて厳重。入場ゲートでは手荷物検査が行われ、瓶・缶・ペットボトルなどの持ち込みが厳しく制限される。男女一緒の仮設トイレは行列で、約30分の待ち時間が発生するため、時間に余裕を持って行動するのが鉄則だ。

 午前9時5分、車いすマラソンがスタートした。続いて9時10分、小池百合子都知事による号砲が鳴り響く。都庁前に舞い上がる紙吹雪。Jブロックに位置する私がスタートラインを通過したのは、号砲から約20分後。大規模大会ゆえのタイムロスだが、不思議と焦りはなかった。関門閉鎖のタイムリミットが頭をよぎるものの、今はそれ以上に「この祝祭の輪の中にいる」という幸福感が勝っていた。

 これまで横浜、大阪、名古屋と各地の都市型マラソンを走ってきたが、東京の景色はやはり別格だった。序盤、青梅街道を駆け抜け、新宿大ガードをくぐると、普段は車と人で埋め尽くされる歌舞伎町が目に入る。靖国通りを走り抜ける高揚感は、東京マラソンならではの醍醐味だ。

 大会では5~10キロ地点まで混雑に阻まれ、思うように走れないことも少なくない。しかし、東京の広い道は早い段階から自分のリズムを取り戻させてくれる。その走りやすさが、この大会の大きな魅力だと感じた。スタート直後から続く、沿道からの地響きのような声援、ボランティアの方々の「ファイト!」という笑顔に励まされ、一歩一歩、突き進む。

 アドレナリンも出ているため、「今日は行ける」とペースアップしがちになるが、序盤は脚を温存することを意識した。4キロ地点の防衛省前では、陸上自衛隊 第一音楽隊による『ロッキーのテーマ』『ライラック』『マツケンサンバ』といった力強い演奏が鳴り響き、自然と足取りがリズムに乗る。

 コース上には15か所の給水所があり、5キロ地点を皮切りに約2~3キロごとに設置されている。ポカリスエットと水が整然と用意され、脱水や熱中症の不安なく補給できた。おもてなしエイドでは「東京ばな奈」やスポーツようかんなども振る舞われ、ランナーの胃袋を満たしてくれる。

ランニング応援アプリも活用

 5キロ通過は31分17秒(キロ6分15秒)。ランニング応援アプリ「応援navi」を使えば、友人がリアルタイムでこちらの位置を把握できるため、複数の応援スポットで再会することも可能で、エールをもらえる。

 神楽坂、飯田橋、水道橋、神保町。秋葉原の電気街を抜けると10キロに到達。上野広小路で折り返すと、コースは南下して日本橋、蔵前、浅草エリアへ。雷門、そして青空にそびえる東京スカイツリー。名所を眺めるたびに疲れが吹き飛び、足が軽く感じられる・ランナーズハイの状態にも突入する。「オールスポーツコミュニティ」のカメラマンにレンズを向けられれば、苦しい場面でも自然と笑顔でポーズを作っていた。

 隅田川にかかる蔵前橋で20キロ。2時間4分26秒。ここからの清澄通りは折り返してきたランナーとすれ違うエール交換の区間。両国駅付近で中間点を通過し、門前仲町の富岡八幡宮先で折り返すと25キロ。

 再び蔵前橋を渡り、明治座付近で30キロを迎える。「30キロの壁」と言われる通り、ガクンと足が重くなった。それまでの貯金があったものの、ペースはキロ6分30秒台まで低下。それでも「歩かず、とにかく足を動かし続けること」だけを意識した。大阪マラソンでの激痛が頭をよぎるが、今回は事前の準備とこまめなジェル・水分補給が支えとなった。

 銀座四丁目交差点では、セイコーの”応援ウインドウ”に全ランナーの名前が掲出され、勇気をもらう。数寄屋橋を過ぎるとフィニッシュまで残り1キロ地点となる丸の内仲通りの入口が見えるが、ここからが本当の正念場。日比谷通りを南下し、新橋、そして東京タワーと増上寺を望む芝エリアで35キロ。田町を折り返し、40キロ地点の西新橋までくれば、フィニッシュはもう目と鼻の先だ。

 日比谷交差点を右折し、石畳が美しい丸の内仲通りへ。沿道を埋め尽くす観衆の大歓声が、残った最後の力を引き出してくれる。行幸通りに出ると、目の前にフィニッシュゲートが現れた。東京駅を背に、皇居を正面に見据えながら、栄光のゲートを駆け抜けた。

 走り終えた瞬間、こみ上げてきたのは目標をクリアした達成感よりも深い感謝だった。大会を支えてくれたボランティア、警察、消防、そして途切れることのないエールを送ってくれた沿道の人たち。まさにコンセプト通り、「東京がひとつになる日」を感じた。フィニッシュ後には、完走メダルや水、ポカリスエット、バナナに加え、保温用のアルミシートやボディメンテゼリー、入浴剤などの記念品が入った袋を受け取った。

 さらに、タオル生地の完走記念ポンチョを羽織ると、冷えた体に温もりが染み渡る。導線に従って進むと、預けていた手荷物も返却された。学生時代、あんなに走ることが嫌いだった私が、今は次のレースを心待ちにしている。これからも、この「祝祭の記憶」を胸に、走り続けたい。

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