6浪「医学部合格にあと2点」で泣いた37歳・原千晶アナ、玉川氏と安住アナに教えられて実感…「もう、孤独じゃない」

「6浪の元局アナ」。このパワーワードでお茶の間をざわつかせたフリーアナウンサーがいる。原千晶(はら・ちあき)。現在、TBS系『THE TIME,』(月~金曜午前5時20分)のレポーター、TOKYO FM『ラジオのタマカワ』(金曜午前11時30分)でメインパーソナリティー・玉川徹氏のアシスタントを務めている。「とにかく明るい」のが持ち味だが、医学部を目指して6年間の浪人生活を送り、最後には「あと2点」で涙を飲んだ過去があった。彼女はどうやって挫折を乗り越え、「天職」のアナウンサーにたどり着いたのか。本人がENCOUNTに明かした。

TOKYO FMのスタジオで生き生きとした表情を見せた原千晶アナウンサー【写真:増田美咲】
TOKYO FMのスタジオで生き生きとした表情を見せた原千晶アナウンサー【写真:増田美咲】

28歳でテレビ山口入社、34歳でセント・フォースに

「6浪の元局アナ」。このパワーワードでお茶の間をざわつかせたフリーアナウンサーがいる。原千晶(はら・ちあき)。現在、TBS系『THE TIME,』(月~金曜午前5時20分)のレポーター、TOKYO FM『ラジオのタマカワ』(金曜午前11時30分)でメインパーソナリティー・玉川徹氏のアシスタントを務めている。「とにかく明るい」のが持ち味だが、医学部を目指して6年間の浪人生活を送り、最後には「あと2点」で涙を飲んだ過去があった。彼女はどうやって挫折を乗り越え、「天職」のアナウンサーにたどり着いたのか。本人がENCOUNTに明かした。(取材・文=柳田通斉)

 TOKYO FMのスタジオ。原の表情は、生き生きとしていた。『ラジオのタマカワ』で玉川氏のパートナーを務めて約2年。テレビで見せる「社会派」な顔とは違う、気さくな玉川氏との掛け合いは、リスナーからの支持も厚い。

「ラジオは念願でした。言葉と声のトーンだけで情報を伝える難しさはありますが、とてもやりがいを感じています。玉川さんは元々ディレクターなので、『この流れにした方がリスナーさんは聴きやすいと思う』などと的確なアドバイスをくださいます。本当に面白い方で、私も自然体で接することができています」

 そんな原の知名度を上げたのは、異色の経歴。『THE TIME,』のVTRで、学習塾の生徒にアドバイスする際に出た「私、6浪してるけどね」だった。

「隠していたわけではないんです。ただ、テレビ山口時代は放送でそれを明かす場面はありませんでした。事務所に入ってからも6浪を公表するプランはなかったのですが、あの時、現役合格を目指して悩む生徒さんを前につい『私、6浪してるけどね』って。スタジオの安住(紳一郎)さんも素で驚かれていました」

 6浪は並みの精神力ではやり通せない。しかも、原は自らの意志で医師を目指し、福岡県内の高校を卒業後、予備校の寮に入った。1、2浪目は寮、3~5浪目は実家、「これで最後」と決めた6浪目は、親に頭を下げて京都の予備校の寮に入った。

「父は開業医、母は歯科医師で、両親の姿を見て育った影響もあったのかもしれませんが、友人の兄が医学部に合格したという話を聞き、高3の秋に医学部受験を自分で決意しました。1年目は記念受験でしたが、浪人に入ってからはテレビを見ることもなく、ひたすら勉強の日々でした。私立医学部を専願で受け続けました。成績は少しずつ上がり、最後の年に一番自信のあった久留米大学医学部からの不合格通知を見て、自分で点数の開示請求をしたら、合格ラインまで『あと2点』でした」

 6浪目で「あと2点」。残酷な結末だったが、原に「もう1年」の選択肢はなかったという。

「6浪に入る前に家族で話し合い、『これで最後』と決めていました。親からは『医学部じゃなければ、家から通えるところに』と言われ、後期日程で福岡大学理学部数学科を受けて合格しました。うれしくはなかったです。入学式にも行きませんでした」

 入学すると、周りは6歳下の18歳ばかり。仲良くしてくれていた同級生はいたものの、「どうしても自分の中で壁を作っていた」という。そんな原を救ったのは、父親の言葉だった。

「1年くらいは悶々としていました。でも、父に『浪人したくてもできない人はたくさんいる。やりたいことに何度も挑戦できたことに感謝しなさい。それは苦労ではない』と言われて、ハッとしました。そこからは『6年のハンデはあるけれど、今の自分にできる強みを見つけよう』と前を向けました」

 在学中、神社の「福娘」、宝くじの「幸運の女神」を経験した。人前で話すアルバイトで、「伝える仕事」へのやりがいを感じ、アナウンサーを志した。ただ、募集要項に「30歳以下」と書かれていた放送局は3社のみ。NHK、山梨の民放とテレビ山口だった。

「年齢制限が書かれていない社もありましたが、『きっと無理なんだろう』と思って受けませんでした。なので、6浪もしている私を採用してくれたテレビ山口には、感謝しかありません。そして、ポンコツな私を温かく愛を持って育ててくださいました。取材、原稿執筆、ディレクター業務の経験も財産になっています」

 転機は入社から6年半後に訪れた。

「テレビ山口で働き続けるつもりだったので、フリーアナウンサーは全く考えていない道でした。ただ、現在の事務所にご縁をいただき、『挑戦しないで後悔するより、挑戦して失敗して後悔した方がいい』と思うようになりました。6浪の経験が、ここでも背中を押しました」

大学時代、宝くじの「幸運の女神」を務めていた頃の原千晶アナ【写真:本人提供】
大学時代、宝くじの「幸運の女神」を務めていた頃の原千晶アナ【写真:本人提供】

「緊張せず」に2番組のオーディション合格

 2023年10月、セント・フォースと契約して上京した。すぐに受けた『THE TIME,』のレポーターオーディションに合格。翌24年4月からは『ラジオのタマカワ』でアシスタントを務めている。フリーアナが数多くいる時代に、原のこの状況は「奇跡的」だ。

「自分でも運がいいと思います。オーディションでは緊張せず、自分を表現することができました。先日、(日本テレビ系)『踊る!さんま御殿!!』に出させていただいた時は緊張しましたが、途中からしていなかったかもしれません(笑)」

 上京前、「フリーは孤独だ」と聞かされていた。現地集合、現地解散で「組織に守られていない不安」もあった。だが、待っていたのは「想定外に温かい世界」だった。

「『THE TIME,』も『ラジタマ』も、皆さんがファミリーとして迎えてくださいました。安住さんからは『視聴者の目線に立ちなさい』と何度も言われます。ある時、私がスタジオに入るのが遅れて走ってしまったことがありました。放送後、安住さんに『あなたが走ることで、カメラマンさんやスタッフさんが時間をかけて準備してきた調整が崩れてしまうこともある。スタッフの気持ちを考えなさい』と諭されました。外部の私を番組の仲間として、丁寧に指導してくださる。本当にうれしく思いました」

 「孤独」と闘い続けた6年間があったからこそ、今の「仲間」がいる環境への感謝は深い。

「6浪時代に得たものは、勉強の知識よりも『メンタル』かもしれません。落ちても落ちても切り替えて前を向く力、自分の軸を保つ力、孤独に耐える力。最近、自宅療養していた時期に孤独も感じましたが、『あの6年間に比べれば、スマホもあるし、ネットもあるし、全然平気』と思えました(笑)」

テレビ山口時代の原千晶アナ【写真:本人提供】
テレビ山口時代の原千晶アナ【写真:本人提供】

 今年に入ってからは「久しぶりの試験勉強」で日本遺産検定3級、世界遺産検定3級に合格。それを生かした旅番組、大好きな野球、スポーツ関連の仕事など、「活動の幅を広げたい」と意欲を燃やしている。そして、山口県産農林水産物などの情報を広く発信する「ぶちうまアンバサダー」を務めるなど、「第2の故郷」への恩返しにも注力している。

 振り返ると、20年前からの計7年は「桜散る(不合格)」この時期がつらかった。だからこそ、かつての自分と同じ立場にいる若者たちに伝えたいことがある。

「6浪もした私が偉そうなことは言えませんが、浪人の経験は『絶対に無駄にはならない』と伝えたいです。志望校に行けるのがベストですが、がむしゃらに頑張った時間、悔しさをバネに前を向いた精神力は、その先の人生のどこかで必ず役立ちます。実際に社会に出てみて、それはいろんな場面で身をもって感じています(笑)。私は遠回りしすぎてますが、その先の人生の方が長いんですから。だから、望まない結果になったとしても、下を向かないでほしいです」

 「あと2点」に泣いた当時には、考えられなかった今の姿。遠回りしたからこそたどり着き、見える景色もある。37歳になった原は、培った「強いメンタル」を武器に東京の空の下、たくましく生きている。

□原千晶(はら・ちあき) 1988年12月18日、福岡県生まれ。福岡大理学部応用数学科卒業後、2017年4月、テレビ山口に入社。情報番組『ちぐスマ!』『mix』などでMCやリポーターを担当。23年9月に退社し、セント・フォース所属のフリーアナウンサーに。現在はTBS系『THE TIME,』、TOKYO FM『ラジオのタマカワ』などに出演中。趣味は食べ歩きとスポーツ観戦。血液型O。

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