長嶋茂雄さん、89歳で死去…読売新聞社が公表 日テレ出演のヒロミ「ゴルフ場で『ゴルフですか~』って」

プロ野球・巨人の長嶋茂雄終身名誉監督が3日午前6時39分、肺炎のため、都内の病院で死去したと読売新聞オンラインが報じた。長嶋さんは89歳だった。

長嶋茂雄さん(2017年撮影)【写真:産経新聞社】
長嶋茂雄さん(2017年撮影)【写真:産経新聞社】

山里亮太「長嶋さんの話をする時って、最終的にはみんなが笑顔になって…」

 プロ野球・巨人の長嶋茂雄終身名誉監督が3日午前6時39分、肺炎のため、都内の病院で死去したと読売新聞オンラインが報じた。長嶋さんは89歳だった。

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 巨人の元選手、監督で「ミスタープロ野球」と呼ばれた長嶋さんの訃報は、読売新聞社が記事で公表する形で広がった。テレビも相次いで報道。日本テレビ系『DayDay.』(月~金曜午前9時)では、コメンテーターのヒロミが「(接点は)ゴルフ場ですれ違うぐらいでしたけど」と前置きし、長嶋さんの人柄を思わせるエピソードを明かした。

「ハワイのゴルフ場でたまたま隣のホールにいらっしゃって、長嶋さんから『ゴルフですか~』って話しかけられました。『いや、ゴルフです』と返しましたが、長嶋さんから話しかけられたことでその後、みんなOBでした。浮かれ上がちゃって」

 MCの南海キャンディーズ・山里亮太は「長嶋さんの話をする時って、最終的にはみんなが笑顔になって。そんなスーパースターっていないじゃないですか」と振り返った。

 長嶋さんは1936年2月20日、千葉・臼井町(現佐倉市)生まれ。佐倉一高(現佐倉高)から立教大に進み、東京六大学リーグでは、57年秋に当時の六大学記録を破る通算8本塁打の新記録を作った。その後、巨人に入団。打点王、本塁打王の2冠に輝いて新人王を獲得し、スター選手に仲間入りした。

 翌59年には、初の天覧試合でサヨナラ本塁打を放ち、「記録よりも記憶に残る選手」と位置付けられた。王貞治とのコンビは「ON」と呼ばれ、65年からはチームの9連覇(V9)に貢献。背番号「3」は巨人の永久欠番となった。そして、74年に後楽園球場で「わが巨人軍は永久に不滅です」の名言を残し、17年間の現役生活に別れを告げた。

 同時に巨人監督に就任し、2度のリーグ優勝。93年には監督に復帰し、3度リーグを制し、94年と2000年には日本一に導いた。そして、01年に勇退し、終身名誉監督となった。

 03年にはアテネ五輪アジア予選で日本代表監督として指揮を執り、予選突破を果たした。しかし、04年3月、脳梗塞(こうそく)を発症。懸命にリハビリをする日々になった。13年には巨人で指導した松井秀喜氏と共に、国民栄誉賞を受賞した。21年の東京五輪では王氏、松井氏と3人で聖火ランナーを務めた。同年秋、野球界から初となる文化勲章を受章した。

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