渡哲也さんは大門団長そのもの 部下を信頼し、責任は俺が取る…番記者が明かす“素顔”
「西部警察」の大門団長役などで知られる俳優・渡哲也(本名・渡瀬道彦=わたせ・みちひこ)さんが10日、肺炎のため都内の病院で亡くなった。78歳。青山学院大学在学中にスカウトされ、1964年に日活に入社し、翌年「あばれ騎士道」の宍戸錠とのW主演でスクリーンデビュー。今年が俳優55周年の節目で、名画座「神保町シアター」(東京・神保町)では今年1月、特集上映「俳優生活55周年記念 渡哲也――わが青春の日活撮影所」も行われた。
石原プロを担当した記者が悼む―印象的だったリーダーとしての姿
「西部警察」の大門団長役などで知られる俳優・渡哲也(本名・渡瀬道彦=わたせ・みちひこ)さんが10日、肺炎のため都内の病院で亡くなった。78歳。青山学院大学在学中にスカウトされ、1964年に日活に入社し、翌年「あばれ騎士道」の宍戸錠とのW主演でスクリーンデビュー。今年が俳優55周年の節目で、名画座「神保町シアター」(東京・神保町)では今年1月、特集上映「俳優生活55周年記念 渡哲也――わが青春の日活撮影所」も行われた。
25歳人気女優のクルマ愛…免許はマニュアル取得、愛車はSUV(JAF Mate Onlineへ)
日活時代の代表作は、吉永小百合との初共演作「愛と死の記録」(66年、ブルーリボン賞新人賞)、リメーク版「嵐を呼ぶ男」(66年)、「陽のあたる坂道」(67年)。1971年、裕次郎さんを慕って、日活を退社し石原プロモーションに入社。「ゴキブリ刑事」(73年、東宝)、「野良犬」(73年、松竹)、「仁義の墓場」(75年、東映)など各社の娯楽大作に次々と主演。テレビでは、石原プロ制作のドラマ「大都会」や「西部警察」が当たり役に。「わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語」(96年)で20年ぶりに本格的な映画復帰し、主演サスペンス「誘拐」(97年)では悲しい過去を背負った刑事役を好演。その後も、吉永との共演作「時雨の記」(98年)や「長崎ぶらぶら節」(2000年)も印象深い。
私は00年代に約10年間、石原プロを担当したが、当時は大型特別ドラマ「弟」(04年)、「マグロ」(07年)、「熟年離婚」(05年)、初のホームコメディー「おいしいごはん」(07年)などに出演。その名演は忘れがたいが、印象的だったのはリーダーとしての姿だった。
渡さんは裕次郎さん亡き後、石原プロ社長に就任。社長時代は、石原プロの番頭、コマサこと小林正彦専務(当時)との二輪態勢。自身の病気のことも大きかったのだろうが、経営の実務は小林専務に任せ、専務の大仕掛けの数々には「また、バカなことをやって……」とほほ笑ましく見ていた。それは部下を信頼し、責任は俺が取る、といった姿勢で、「西部警察」の大門団長そのものだった。