プリプリのリーダー渡辺敦子 音楽専門学校長と障害者施設代表の二刀流「50歳を過ぎても挑戦できる」

一世を風びしたガールズバンドのプリンセス プリンセス。リーダーだった渡辺敦子は、2016年に地元の千葉・市原市で児童発達支援・放課後等デイサービス施設のダイアキッズを開設した。21年からは、バンド解散後から携わる東京スクールオブミュージック&ダンス専門学校のTSMで学校長を務めている。今も音楽に触れながら、社会貢献活動で多忙な毎日。その半生を本人が振り返った。バンド結成からブレークまでを語った「前編」に続き、今回は「後編」。バンド解散の理由、現在の仕事を始めるきっかけ、同じくエンタメと福祉の二刀流で活動する稲川淳二とのコラボについて語った。

バンド解散から27年、数多くのミュージシャンを育ててきた渡辺敦子【写真:荒川祐史】
バンド解散から27年、数多くのミュージシャンを育ててきた渡辺敦子【写真:荒川祐史】

インタビュー「後編」

 一世を風びしたガールズバンドのプリンセス プリンセス。リーダーだった渡辺敦子は、2016年に地元の千葉・市原市で児童発達支援・放課後等デイサービス施設のダイアキッズを開設した。21年からは、バンド解散後から携わる東京スクールオブミュージック&ダンス専門学校のTSMで学校長を務めている。今も音楽に触れながら、社会貢献活動で多忙な毎日。その半生を本人が振り返った。バンド結成からブレークまでを語った「前編」に続き、今回は「後編」。バンド解散の理由、現在の仕事を始めるきっかけ、同じくエンタメと福祉の二刀流で活動する稲川淳二とのコラボについて語った。(構成=福嶋剛)

 1989年にブレークすると、プリンセス プリンセスは1年先の予定まで決まる状態になりました。私たちはそれを順番に消化していきました。ライブもたくさんやれたので、うれしかったです。だけど、どんどん気持ちの余裕がなくりました。5人のアイデアもネタ切れ状態。世の中の音楽シーンは、バンドサウンドから小室哲哉さんの手掛けるダンスミュージックに変わってきて、メンバーそれぞれが「これでいいのかな」と思うようになりました。次第に周りも、「ずっと走り続けてきたから、いったん自分たちの好きな音楽を見つめ直す時間も必要だ」という空気になってきました。

 その流れもあり。94年にともちゃん(今野登茂子)、香(奥居香、現・岸谷香)、かなちゃん(中山加奈子)が相次いでソロ作品を発表しました。先輩バンドや海外のバンドが煮詰まり、「メンバーのソロ活動が始まると解散する」という軌跡をたくさん見てきました。なので、リーダーながら「私たちもヤバいかも」と思っていました。最終的には、解散へと進んでいったキッカケになったと思います。

 ソロから戻って来てみんなで集まった時、これからのバンドの方向性について話し合いましたが、「クオリティーを求めて新しいことに挑戦したいメンバー」と「プリプリサウンドの平行線上で音楽を積み上げていきたいメンバー」の2つに割れて1つにまとまることはありませんでした。私は今だったら、「新しいことに挑戦する」に1票投じるかもしれませんが、あの頃は現状を守る方でした。でも、自分の好きな音楽を追いかけていくと、それぞれのやりたい道に別れて進みたくなるのは自然なこと。なので、私は意外と冷静に受け止めていました。

 解散が決まり、3人は本格的にソロ活動を始めました。きょんちゃん(富田京子)は作家として活動。私はベースだけが取り柄で、「新たにバンドを組むにしても、プリンセス プリンセスで完全燃焼しちゃったからどうしよう」と考えていました。そしたら、所属事務所(シンコーミュージック)の会長だった草野(昌一)さんに「あっこちゃん、学校で音楽を教えたりするのはどうかな」と声を掛けていただきました。「専門知識がない」と言ったら、「プリプリを教えればいいじゃん」と。それで、「自分がやってきたことを教えればいいんだ!」と思えました。実際に学校に行き、学生さんたちの夢を追いかける姿を見て、「よしっ、やってみよう」と決断しました。

 TSMに入ってからあっという間に27年が経ちました。始めたばかりの頃は私の現役時代を知っている学生ばかりでしたが、今は学生のおばあちゃんと近い年齢になっちゃいました(笑)。最初の頃の卒業生は有名な音楽番組のチーフディレクターとか、みんな私よりも偉くなっちゃいました。うちの講師をやっている卒業生もいっぱいいます。私は21年10月に学校長に就任。今は学生だけではなくて、学校全体のことを考えなくちゃいけません。副校長の時とは全然違うプレッシャーがありますね。

 技術もすごい進歩で、AIが曲や歌詞を作れる時代になりました。ギタリストにとっての見せ場だったイントロやソロも、“飛ばし聴き”される時代です。職人的なミュージシャンが育ちにくい環境になってきました。今はダンスの分野に学生がたくさん集まっている状況なので、これから本格志向のミュージシャンをどうやって育てていくかが課題ですね。

「チャンスをみつけたら、自分の可能性にフタをしないで」【写真:荒川祐史】
「チャンスをみつけたら、自分の可能性にフタをしないで」【写真:荒川祐史】

勢いとインスピレーションで生きてきた

 もう1つ私が取り組んでいるのが、福祉事業です。16年に地元の市原市にダイアキッズをオープンしました。きっかけは、プリンセス プリンセスの再結成後の出来事でした。

 東日本大震災の復興支援で義援金を募る目的で16年ぶりに再び5人が集まりました。みんな40代後半を迎えて衰えた体力と演奏技術を鍛え直し、12年の東京ドーム公演に臨みました。その2日間の演奏は、過去のどのライブよりも一番良い演奏ができました。私は96年の解散ライブで、リーダーとして最後の大切なMCの時に「みんなの笑顔」と言うところを「みんなのえがわ」と噛んでしまい、場内に笑いが起きました。その悔しい経験が残っていたので、MCが近付くにつれて緊張していました。結果、5万人の前で何とかトークを終えることができました。バンドの形は16年に収益金で建てたライブハウス・仙台PITのこけら落としライブまで残りましたが、プリンセス プリンセスとしては、あの東京ドームで「やり切った」「完全燃焼できた」という思いでした。

インドで孤児の壮絶リアルを目にし、「小さな子どもたちの可能性を開く支援がしたい」

 ところが、私の中で「やればできる」というエネルギーが満ちて、体中の細胞が活性化して「もっと新しいことに挑戦したい」という気持ちが湧いてきました。そんな時にインドの4000メートル級な山脈で有名なラダックのお寺にお坊さんの知り合いがいて、訪ねたところに孤児がいました。私には子どもがいないのですが、母親のような気持ちで専門学校の学生たちと接しています。「可能性を伸ばしてあげたい」といつも思っていますが、孤児の壮絶なリアルを目の当たりにし、「今度はもっと小さな子どもたちの可能性を開く支援がしたい」と思うようになりました。

 また、同じタイミングでインドをともにするはずだった友人が、障害を持った子どもたちを支援する活動を始めようとすることを知りました。業種は全く違いますが、『その子たちの才能を見つけ、スイッチを押してあげるような活動をやりたい』と思いました。私はこれまで勢いとインスピレーションで生きてきたような人間なので、今回も「思い切って飛び込んでみよう」と決めました。

 それからはいろんな情報を収集し、勉強しました。現場は知人が資格を持っているエキスパートを集めて、私は運営に関わることを進めました。行政や役所に掛け合ったり、提携医を探すために街の病院を回ってみました。これらを意外と受け入れてくれない現実にも直面しました。福祉を知れば知るほど国全体で考えないと前には進めないことも分かり、きれいごとでは済まされない現実も知りました。今は直面する全ての問題が学びになって1つ1つに向き合い、「子どもたちのために負けたくない」という気持ちで取り組んでいます。

 ダイアキッズを立ち上げて7年目を迎えます。今年は稲川さんが取り組んでいらっしゃる障害者アーティストの祭典「稲川芸術祭2023」で、稲川さんとコラボレーションさせていただくことになりました。私たち、ダイアキッズの子どもたちも毎回作品を送っていますが、パラアーティストのみなさんが描く作品は想像力豊かで他の人が真似できない才能にあふれていていつも驚かされます。まさに私たちもやろうとしている才能のスイッチを押してあげる取り組みで、稲川さんはすごい感性と先見の明を持ってらっしゃる方だと感じました。今回はTSMの学生たちも一緒になり、稲川芸術祭のテーマソングを制作させていただきました。8月8日に配信開始となりましたので、よかったら聴いてみてください。

 よく取材では「ここまでやってこれた秘けつは何ですか」と聞かれます。私は自信も準備もゼロだったけどやりたいことに迷うことなく飛び込んでみたら、いつも周りの誰かに助けてもらって、ここまで来れたと実感しています。バンドのオーディションでもギターが弾けないのに「弾けます」と言っていました。TSMもダイヤキッズも何の知識もなく飛び込んでみたら、不思議なことに前に進めました。仮に、全てをじっくり考えていたらやらない選択をしていたかもしれません。

 学生のみなさんには「自分から諦めたらそれ以上前には進めないよ」という話をしています。大事なことは前進することだから、「チャンスをみつけたら、自分の可能性にフタをすることなく、まずは飛び込んでみよう」と伝えています。失敗したって、格好悪くたっていいじゃないですか。また次のチャンスに飛び込めばいいのですから。50歳を過ぎても挑戦はできるし、いつ始めても遅くはない。私はそう思います。

□渡辺敦子(わたなべ・あつこ)1964年10月26日、熊本・水俣市生まれ。千葉県育ち。83年、赤坂小町でバンドデビュー。86年、プリンセス プリンセスのベーシスト、リーダーとしてメジャーデビュー。数々のヒット曲を残し。96年に解散。同年、東京スクールオブミュージック&ダンス専門学校(TSM)副校長に就任。2012年、プリンセス プリンセスを期間限定で再結成し、16年3月に活動終了。同年、児童発達支援・放課後等デイサービースのダイアキッズを開設。21年10月、TSM学校長に就任。今月、稲川淳二の「稲川芸術祭2023」テーマソングをTSMの学生コンペで選出する“稲川芸術祭meet’s TSM”と題したコラボ企画をプロデュース。

TSM:https://www.tsm.ac.jp/
ダイアキッズ:https://www.dia-kids.com/
稲川淳二の「稲川芸術祭」:https://www.inagawa-art-festival.com/

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