三田佳子、竹山洋さん最期の脚本で主演「これで終わりかなと思うと寂しい」

俳優の三田佳子が、主演を務めるNHK-FM『FMシアター「失われた夢を求めて」』(24日午後10時)の取材に応じ、4月12日に亡くなった脚本家・竹山洋さんや作品への思いを語った。作品は竹山さんの最期の脚本をラジオドラマとして放送するもので、竹山さんの母の思い出をモチーフに、竹山さん自身の人生も色濃く投影されている。三田が竹山さんのラジオドラマの作品に出演するのは3作目。演出は過去2作を一緒に手掛けた小見山佳典氏が担当する。小見山氏によると脚本が出来上がったのは亡くなる10日前だったという。

収録に臨んだ三田佳子【写真:(C)NHK】
収録に臨んだ三田佳子【写真:(C)NHK】

NHK-FMのラジオドラマ『失われた夢を求めて』24日午後10時放送

 俳優の三田佳子が、主演を務めるNHK-FM『FMシアター「失われた夢を求めて」』(24日午後10時)の取材に応じ、4月12日に亡くなった脚本家・竹山洋さんや作品への思いを語った。作品は竹山さんの最期の脚本をラジオドラマとして放送するもので、竹山さんの母の思い出をモチーフに、竹山さん自身の人生も色濃く投影されている。三田が竹山さんのラジオドラマの作品に出演するのは3作目。演出は過去2作を一緒に手掛けた小見山佳典氏が担当する。小見山氏によると脚本が出来上がったのは亡くなる10日前だったという。

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 まずは三田に収録を終えた直後の心境を尋ねた。

「ほっとしました。竹山さんが急にお亡くなりなったので、ものすごいショックもありましたし、いつも竹山さんと小見山さんと3人で録っていたラジオドラマが、最後に竹山さんが欠けてしまった私の寂しさと無念さ、そして竹山さんの無念さも抱え、ちゃんとできるかなという気持ちもありました。終えて本当にほっとしました」

 作品にはいつも何か含みがあり、ベテランの三田にも難しいと言う。そんな三田に竹山さんがくれた手紙があるとして紹介してくれた。

「『三田さんはいつも難しいと言うけど面白い。だからまた難しく書いてやろうと思うんだ』というお手紙を頂いていました。そんな間柄でしたから亡くなったときは、奥さまに電話して、わ~っと泣いちゃいました。今回は『良かったよ』と言ってくださることを期待して演じました。きちんとやって喜んでもらいたいと思いました」

 物語は、90歳の主人公・ヨシコ(三田)が、不倫の末に家族を捨てた元夫の二十三回忌に墓参りをする様子が描かれる。67歳の息子(竹中直人)が付き添う中、元夫の好きだった太巻きを供え墓に向かって語りかける流れ。

「お墓でいろいろ言うんです。竹山さんもそこにいるような雰囲気で不思議な感覚でした。これで終わりかなと思うと寂しいです。また次をやりたいと思うぐらい、とてもいい本」

 主人公は竹山さんの母がモチーフ。どんな母ととらえて演じたのか。

「かわいい人。夫と子どもを愛した、いいお母さんだったと思います。やはり作家のお母さんだから、想像力もある、このお母さんにして、この子ありというような関係を思い描いていました。かわいいね、このおばあちゃんという感じが出せれば竹山さんの思っている主人公の姿かなと思います」

 90歳を演じる気持ちはどうだろう。

「最近、90歳の役が多いんです。全然、驚かなくなりました(笑)」

 収録中に竹山さんのことを思い出すことはあっただろうか。

「収録中は余裕がないです。でも終わった時『終わりました。どう?』と天に向けて声をかけました」

 過去2回の収録では竹山さんが同席していたという。

「会話はあまりしなんです。でもお手紙にすごくいい言葉を残してくれています。『芸の花がある』と書いてくださいました。今度も芸の花が感じられるようにかわいくお母さんを演じられれば竹山さんも満足してくれるかなと思います」

 ラジオドラマの魅力をどう感じているのか。

「好きですが、難しいです。体ごと全部で表現するのは楽ですが、音だけですからね。でも、そこに挑戦するのはいいこと。脳も表現者としても活性化します」

 竹山さんに聞いてみたかったことはあるだろうか。

「『どうだった?』と聞きたいし、喜ぶ顔も見たいです。作者は『やれるか』と言わんばかりに書いてきます。書かれたら私たちはやらないといけない。散々、作家たちには突き付けられてきました。今度も突き付けられて……だから終わったとき『どうだった?』と聞きたかったんです」

 小見山氏が、竹山さんとの亡くなる直前のやりとりを明かしてくれた。

「亡くなる10日前の4月2日に脚本が上がったと連絡があり、翌日、神楽坂の喫茶店で頂きました。竹山さんの原稿は手書き。数日かかりますが僕は印刷後の方が正確に読めると思い、印刷後に打ち合わせしましょうと話して別れました。数日後に印刷が終わり、何度か電話しても連絡がとれず、おかしいと思っていました」

 三田も竹山さんへの思いをあらためて語った。

「本当に最後の作品を、私に向けて書いてくださった作品を演じられたのは、悲しいけど誇りに思います」

 竹山さんは三田にとってどういう作家だったのか。

「“無頼”です。どんと構えていて、いたずらしてやれとか、難しいのを書いてやれとか、愛情とともに作家としてぶつけてくるものがあり、そこが素敵でした。人なつっこいし。またこんな難しい作品を書いてと冗談を言いながら会いたかったです。どこにもぶつけられず、奥さまに電話して2人で泣きました。奥さまは最期に手を握ってと言われ、握ってあげられて良かったと言っていました」

 三田にとって竹山さんのラジオドラマは3作目だが、意外な過去もあった。

「私の初めての芸能の仕事がラジオドラマでした。まだ10代の学生時代、森繁久彌さんの娘役でした。芸能界入りのきっかけがラジオドラマですから関わっていたいんです。竹山さんが私をラジオに戻してくださったのだと思います」

 小見山氏によると、竹山さんは生前、母と息子の話の映画を作りたいとの思いを持ち、タイトルも『八月十五日』と決めていたという。思いを感じた小見山氏は竹山さんが描きたかったすべてではないかもしれないが、今回のラジオドラマとして世に披露することになったと経緯を説明した。

次のページへ (2/2) 【写真】小見山佳典氏、竹中直人、三田佳子らでの収録の様子
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