これぞ“フォークダンス” 六本木の夜を彩った“黒い呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャーのお茶目なダンス

運動会といえば10月の秋開催が定番だった。俳句でも運動会は秋の季語。ところが昨今では、5月の春開催が増えている。この時期、校庭から聞こえてくる元気のよい声に、こちらの頬も思わず緩んでしまう。

マイフォークをくわえるアブドーラ・ザ・ブッチャー くりくりお目目で愛嬌たっぷり【写真:柴田惣一】
マイフォークをくわえるアブドーラ・ザ・ブッチャー くりくりお目目で愛嬌たっぷり【写真:柴田惣一】

怖いながらも子どもから人気だったブッチャー

 運動会といえば10月の秋開催が定番だった。俳句でも運動会は秋の季語。ところが昨今では、5月の春開催が増えている。この時期、校庭から聞こえてくる元気のよい声に、こちらの頬も思わず緩んでしまう。

 フォークダンスが楽しみだった人も多いに違いない。コロナ禍とあって、ここ最近は出し物から外されているのかも知れないが、好きな同級生と堂々と手をつなげる甘酸っぱい瞬間が蘇る。

 曲は世界各国の民謡で、日本でいえば盆踊りのようなもの。オクラホマミキサー、マイムマイム、ジェンカなどを聴けば、当時の懐かしい思い出が脳裏をよぎるが“黒い呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャーブッチャーのダンスも忘れられない。

 ブッチャーは凶器のフォークに加え、ギザギザの額、その風貌、地獄突き、毒針エルボー、凶器シューズ……何もかもが凄まじいインパクトだった。特に、1970年代後半、全日本プロレスのオープンタッグおよび最強タッグで“アラビアの怪人”ザ・シークと組んで臨んだファンクスとの抗争は忘れられない。テリーの腕にフォークを突き刺す姿は強烈で、当時プロレスをよく知らない人にもブッチャーの名前は浸透していた。

 悪党だったブッチャーだが、シークや“狂虎”タイガー・ジェット・シンとは違い、怖いながらも子どもに人気があった。くりくりした目に甲高い声、丸い体型、左右にお尻を振って歩く姿……。何とも言えない愛嬌があった。今なら「ゆるキャラ」だろう。

 リングを降りれば陽気で優しく、恐る恐る「写真を1枚お願いします」と声をかけたファンに「何で1枚なんだい。何枚でも撮ってくれよ。一緒に撮ろうよ。俺はOKだぜ」などと、ユーモアたっぷりにおどけていた。

 今は亡き、ジョー樋口レフリーに連れられ、ブッチャーが東京・六本木のディスコを訪れたことがある。当時はディスコ全盛期。しかも週末の夜で、ダンスフロアはとても混み合っていた。

 ブッチャーの巨体は目立ち、あちこちから「ブッチャーだ」の声が飛んだ。人々はしばらく遠巻きにブッチャーを見つめている。興味津々だが、どこかで恐怖心もあったのだろう。

 一瞬寂しそうな顔をしたブッチャーだが、レーザー光線の元、すぐに大きなお尻をプリプリ振りだした。それはそれは楽しそうに陽気に踊り出した。その姿に、安心したのか徐々に周りに人が集まって来る。笑顔全開のブッチャーは、持ち前のサービス精神からか、ズボンに隠し持っていたマイフォークを取りだすと、かざしながら踊り始めた。

「キャーッ!」。悲鳴が響き渡り、クモの子散らしたように逃げる客。ビックリして尻もちをつく店員。マイフォークを持ったまま、フロアに一人取り残されるブッチャー。くるくる回るミラーボール、変わらず流れる陽気なディスコサウンド……とてもシュールな光景がそこにはあった。

 寂しそうに「アローン……」と言いながら席に戻ったブッチャーは、マイフォークで食事を始めた。大きなため息をついて「みんな喜ぶかと思って、フォークを持ってダンスフロアに出たんだけど……失敗だったね。スプーンなら良かったかな」。目をくりくりさせながら苦笑するばかり。もちろん凶器として使用するつもりはなく、ちょっとした遊び心だったに違いない。

 今では懐かしいマイフォークを持って踊るブッチャー。まさに「フォークダンス」だった。

次のページへ (2/2) 【写真】リング上のアブドーラ・ザ・ブッチャーは迫力満点 馬場との死闘はいまだ語り草
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