【電波生活】黒柳徹子が愛される理由 旧ユーゴでの軟禁で自ら交渉、常に優先してきたスタッフの命

人気番組や注目番組の舞台裏を探る企画。今回は、テレビ朝日系「徹子の部屋」(毎週月~金曜、午後1時)のプロデューサー・田原敦子さんに、司会・黒柳徹子の魅力と素顔を聞いた。田原さんは「徹子の部屋」に携わる15年前から、ユニセフ親善大使として海外で活動する黒柳に同行取材をしてきた経験を持つ。番組プロデューサーとしての20年と合わせると約35年の付き合い。今回は、田原さんだからこそ知るユニセフ親善大使としての黒柳の様子を聞いた。田原さんによると、訪ねる地は命の危険もある過酷な環境。「徹子の部屋」とは違う黒柳の姿が明らかになった。

スタッフから「神様のような人」と明かされた黒柳徹子【写真:(C)テレビ朝日】
スタッフから「神様のような人」と明かされた黒柳徹子【写真:(C)テレビ朝日】

「徹子の部屋」の田原敦子プロデューサーが明かしたユニセフ親善大使としての素顔

 人気番組や注目番組の舞台裏を探る企画。今回は、テレビ朝日系「徹子の部屋」(毎週月~金曜、午後1時)のプロデューサー・田原敦子さんに、司会・黒柳徹子の魅力と素顔を聞いた。田原さんは「徹子の部屋」に携わる15年前から、ユニセフ親善大使として海外で活動する黒柳に同行取材をしてきた経験を持つ。番組プロデューサーとしての20年と合わせると約35年の付き合い。今回は、田原さんだからこそ知るユニセフ親善大使としての黒柳の様子を聞いた。田原さんによると、訪ねる地は命の危険もある過酷な環境。「徹子の部屋」とは違う黒柳の姿が明らかになった。(取材・文=中野由喜)

「ユニセフ親善大使の黒柳さんの取材で、1994年に内戦で知られるアフリカのルワンダに行ったときのこと。現地は死体だらけでした。ある教会には約2000人が覆いかぶさるように亡くなっていました。あまりにも無残で、ユニセフの人は黒柳さんに『どうしますか。止めますか』と尋ねました。スタッフの若い男性も、ショック過ぎて止めましょうと言いましたが、黒柳さんは『こういうところを報道するのが私たちの使命。取材しましょう』と言ったのです。赤ちゃんの遺体や虐殺にはナタを使ったりするので、かなり悲惨な状況でしたが、全部取材しました。黒柳さんはプロデューサー的な感じで動き、当時、ディレクターの私が顔負けの感じで仕切っていました」

 日ごろ、100歳になったら政治記者になりたいと言っている黒柳だが、内戦の傷跡をしっかり伝えようとする姿勢は敬服に値する。

「他のアフリカの国に行ったとき、テントで寝ることがよくあるんです。普段、『徹子の部屋』で黒柳さんは、きらびやかな面しか見せていませんが、ユニセフのロケのときはそういうものを全部ぬぐって、水も出ないしシャワーもない所で一緒に生活します。テントでは私と黒柳さん、黒柳さんの助手の女性3人で泊まることが多く、一番若かった私に黒柳さんは『一番奥に行きなさい。私が入口で寝るから。ゲリラに急に襲われたとき、あなたには将来があるんだから一番奥に行くのよ』と言うんです。いえいえ、私はディレクターですからと言っても、聞き切れられませんでした。いつもそうでした」

 人としての器の大きさと強さ。「徹子の部屋」のきらびやかな黒柳とは違う顔。感心していると、田原さんは、もう一つ紹介したいことがあるとして語り始めた。

「1996年に旧ユーゴスラビアにも同行取材したことがありました。内戦が終わり停戦状態で安全だということで行きました。ところが、チトー大統領が最後に隠れた洞穴の撮影に行ったら急に拳銃を持った人たちに私たちは囲まれたんです。スパイだと疑われました。ユニセフ親善大使と言っても信じてもらえず、バスも乗っ取られて軟禁されたんです。持っている物を全部出せと言われました」

 命の危険を感じる状況。そんな中、黒柳がある驚く行動に出たという。

「英語もフランス語も話せる語学の達者な黒柳さんが『私、交渉してくるから』と言い始めたんです。私たちは絶対にやめた方がいい。とりあえず、相手の言うことを聞きましょうと言いました。それでも黒柳さんは交渉に行きました。そして戻ってきたら両手には食べ物がいっぱいだったんです。とりあえず空腹だと伝え、パンやミルク、リンゴなどもらってきたのです。他にも、荷物を全部渡す代わりに次の土地に移動するためのバスをチャーターして欲しいと交渉してくれました。私たちは1日軟禁されましたが、無事に別の土地に移動できました。多くのスタッフが、自分たちは殺されると思ったと話していました。黒柳さんも後で『殺されるかもしれないと思った』とおっしゃっていましたが、救われた私たちは神様のような人だと本当に思いました。芯の強い、絶対に恐れない強靭(きょうじん)な人」

 自分の命より若い人の命を大切にする。過酷な環境に負けず戦争の悲惨さを伝えようとする。軟禁され、命の危険を感じながらも恐れず相手と交渉する強靭な心。「徹子の部屋」では分からない姿だ。

「こうしたロケに行くとショッキングな現場を見るので、キャンプ地に戻ると、普通の人は2度と行きたくないと言ったり、食欲がなくなったりします。でも黒柳さんは、ものすごく食べます。生きる力がすごいです。『こういうときこそ食べないとだめよ』とみんなを励まします。持参したトランプでみんなとゲームをしたり、楽しい話をいっぱいしてくれたり、日本から持ってきたようかんを出してくれたりします。みんな黒柳さんについていこうと思いました」

 強さだけでなく、包容力と優しさも。多くの人に愛され、慕われるのは、こういう人だからこそとあらためて感じる。

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