【週末は女子プロレス♯35】カラーズ旗揚げのSAKI 「どん底」だった9か月前から今が一番充実しているワケ

昨年末でプロレス団体としての活動を終了、新体制でのエンターテインメント興行に移行したアクトレスガールズ。プロレス継続を希望する選手たちは退団し、それぞれの道を歩み始めたが、Beginning(ビギニング)との2本柱を形成していたColor's(カラーズ)ブランドが引き継がれることになった。カラーズの代表&象徴でもあったSAKIが12・13後楽園ホール大会で坂口敬二代表に直訴、カラーズはSAKI、清水ひかり、網倉理奈、櫻井裕子の4人でユニット化され、初の自主興行が2月12日、東京・新木場1st RINGにて開催される。

カラーズ旗揚げのSAKIは4人のユニットで始動する
カラーズ旗揚げのSAKIは4人のユニットで始動する

カラーズの代表&象徴でもあったSAKIが直訴してユニット化

 昨年末でプロレス団体としての活動を終了、新体制でのエンターテインメント興行に移行したアクトレスガールズ。プロレス継続を希望する選手たちは退団し、それぞれの道を歩み始めたが、Beginning(ビギニング)との2本柱を形成していたColor’s(カラーズ)ブランドが引き継がれることになった。カラーズの代表&象徴でもあったSAKIが12・13後楽園ホール大会で坂口敬二代表に直訴、カラーズはSAKI、清水ひかり、網倉理奈、櫻井裕子の4人でユニット化され、初の自主興行が2月12日、東京・新木場1st RINGにて開催される。

 そもそも、SAKIはアクトレスガールズでは異色の存在だった。というのも、「女優によるプロレス」をコンセプトとするアクトレスガールズにおいて、彼女はプロレスラーにもかかわらず、完全な外様だったからだ。ではなぜ、SAKIはアクトレスガールズのリングに上がるようになったのか。

「2017年12月、初参戦でそのまま所属になりました。当時はフリーとしてやっていたんですが、フリーとしてちょうど1年が経った頃で、絶対的に上がれるリング、守ってくれるものがほしかったんです。そんな頃に坂口代表から『新しい団体をやるから一緒にやらないか?メンバーは集めるから』と、声をかけていただいたのがきっかけですね。アクトレスの子って、プロレス以外に何か夢を持ちながら続けているじゃないですか。そんな環境に入ったら、自分にも新しい何かができるのかなって。だったら入ってみようかなと思ったんです」

「新しい団体」とは、ビギニングとカラーズの2大ブランド体制だった。そこでほしい人材として声をかけられたのはレスラーとして光栄なことだろう。が、入ってみれば通常のプロレス団体とは異なる側面に戸惑うことも多かった。

「私、外の世界を(デビューから)5年間ずっと知らずに育ってきたので、アクトレスの子たちがどんなふうに練習してるのかも知らないですし、自分がいた世界が当たり前だと思っていたので、入ってからの方がギャップが多かったですね。私は朝道場に行って朝練して、午後には午後練しての毎日だったので、まず道場がないということに驚きましたし、練習場を借りたとしてもリングを使う時間が限られてることにもメチャメチャ違和感がありました」

 アクトレスガールズはプロレスを知らない女優の卵がほとんどで経験者は皆無、他団体の道場を借り決められた時間内で練習をおこなっていた。すなわち、ハンディだらけの団体でもあったのだ。そんな環境において“女子プロレス界”からやってきたSAKIはかえって異端の存在だった。

「前の団体では同期が瑞希(現・東京女子プロレス)だけだったので、同年代がいっぱいいる控室がすごく新鮮でした。(女子プロ界ならではの規律も希薄で)なんか自由だなあって(苦笑)。ただそこはプレイングマネジャーの堀田(祐美子)さんがいらっしゃったので、(女子プロ界から来た)私の方(の事情)もわかってくださって、そこは大きかったです。それでもやっぱり、ビックリすることが多かったですよ。入ったばかりのアクトレスガールズはホント、ピンキリでした。正直、この人レスラーなの?って思う選手もいましたし、そういう人と一括りにされたくないと思いました。と同時に、自分ですごく頑張ってる人もいたし、ホント、メチャクチャ差がありましたね。ただ、時が経つにつれて、どうなの?という人はやっぱりいなくなるんですよ。プロレスと真剣に向き合い頑張る人たちについていけなくなるんですよね」

 SAKIが入団してから約束のカラーズができるまでには1年の準備期間が必要だった。「私、入ってからの1年間は誰にも心開いてないです、ハイ(苦笑)。そこはやっぱり、自分の(プロレスラーとしての)プライドもあったと思うんですけど」

 18年11月15日、アクトレスガールズがプロレスの聖地・後楽園ホールに初進出。初代AWGシングル王者が決まったこの日(安納サオリがトーナメント決勝戦でSAKI=当時・沙希を破り戴冠)、2ブランド制が発表され選手が振り分けられた。カラーズ所属になったのは、この日にデビューした4人を含む10人。キャリア6年目とはいえ、経験あるSAKIが新人ばかりを任された形である。

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