「近所でも嫌。恥ずかしい」妻は6年間乗車拒否 車を整備に出したはずが…別の車を買って帰宅

愛車を整備に出しに行ったはずが、別の車に一目ぼれ。結局、乗ってきた車を下取りに出してしまった……。そんなドラマのような出会いで愛車を手にしたオーナーがいる。妻にはあきれられ、燃費は良くてリッター4キロ。夏は暑く、冬はV8の熱で暖を取り、雨が降れば曇り止めが欠かせない。しかし、ハンドルを握れば、瞬く間に“あの頃”にタイムスリップ。そんな車なら、多少の不便も悪くないかもしれない。

圧倒的な存在感の1台【写真:ENCOUNT編集部】
圧倒的な存在感の1台【写真:ENCOUNT編集部】

【愛車拝見#385】 見た瞬間に「欲しい!」

 愛車を整備に出しに行ったはずが、別の車に一目ぼれ。結局、乗ってきた車を下取りに出してしまった……。そんなドラマのような出会いで愛車を手にしたオーナーがいる。妻にはあきれられ、燃費は良くてリッター4キロ。夏は暑く、冬はV8の熱で暖を取り、雨が降れば曇り止めが欠かせない。しかし、ハンドルを握れば、瞬く間に“あの頃”にタイムスリップ。そんな車なら、多少の不便も悪くないかもしれない。

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 9月20日に群馬県で開催された旧車イベント。数々の名車が並ぶ中でも、丸目のヘッドライトに迫力あるフロントマスクを備えた1台の車が圧倒的な存在感を放っていた。

 オーナーは島村浩さん、62歳。現在の愛車を手に入れたのは約6年前だった。

 もっとも、その日は車を買いに行ったわけではない。当時乗っていた1969年式キャデラックデビルコンバーチブルを、なじみの自動車店へ整備に出しに行っただけだった。

 ところが、店に置かれていた1台の車を目にした瞬間、予定が狂った。

「もう見た瞬間に、『欲しい!』と思って、だいぶ粘ってやっと買ったんです」

 売り物として店頭に並ぶ前の車だった。しかも、自動車店側はあまり売りたくなかった様子。島村さんにとって幸運だったのは、店を営んでいたのが地元の小学校の後輩だったことだ。その父親の代から付き合いがあり、子どもの頃には自転車を修理してもらったこともあった。

 長年の付き合いを武器に交渉した。

 その結果、整備に持っていったはずのキャデラックは下取りへ。さらに250万円を支払い、帰る頃には愛車が変わっていた。

 島村さんを魅了してやまなかったのは、1973年式ポンティアックファイアーバードトランザム。

 なぜ、それほどまでに欲しかったのか。実は、約半世紀をさかのぼる“伏線”があった。

「小学校3年ぐらいの時かな? たぶんこれが出たばっかぐらいだったと思うんですけど、プラモデルとか作ったり、憧れの車だったんです」

 とりわけ好きだったのが丸目のヘッドライト。「これがもう絶対」と力を込める。

 免許を取得してからさまざまな車を乗り継ぎ、アメ車だけでも5台を所有した。それでも、少年時代から憧れていたポンティアックとはなかなか縁がなかった。

「いかなかったっていうよりも、なかったんです。出会いが」

 売りに出ている個体を見かけることはあったものの、当時は手が届かない価格だった。それだけに、なじみの店で突然目の前に現れた1台にはあらがえなかった。

「見た瞬間に、『もうこれだ』っていう感じ」

 まさに運命の出会いだった。

オーナーの島村浩さん【写真:ENCOUNT編集部】
オーナーの島村浩さん【写真:ENCOUNT編集部】

妻の反応は…「バカじゃない」 空いた助手席

 乗り換え前のキャデラックも相当に気合が入った1台だった。塗装をやり直し、エアサスペンションを組み、ホイールやマフラーにも手を加えた。島村さん自身、「お金掛けたんです、それも(笑)」と振り返る。

 それを手放してまで選んだポンティアック。乗ってみると、キャデラックとはまるで違った。

「キャデラックから見ると小ぶりな感じです。小ぶりのスポーツカー。ただ、V8の排気音とかサウンドとか、あとは加速ですか。もう全然違いますね」

 特にお気に入りなのがエンジンサウンド。同年代のカマロやシボレーなどとも異なるポンティアックならではの音があるといい、「まさにスポーツカーっていう感じ」と表現する。

 購入後も手を掛けてきた。キャブレターやインテークマニホールドなどの部品を交換したが、インテークマニホールドは米国にバックオーダー。新型車のように「注文して数日後に到着」とはいかず、コロナ禍の影響も重なって、手元に届くまで約2年を要した。

 リアバンパーも、磨いても取れないくすみが気になった。リクロームを検討していたところ、米国に新品が1本だけ残っていることが分かり、取り寄せて交換した。

 旧いアメ車だけに維持が大変そうだが、島村さんは「アメ車って古くても部品があるんですよ。ない部品は、バックオーダーじゃないけど、何個か注文が入ると作ってくれる」と語る。ないものでも、注文がまとまれば新たに製造されるケースがあるという。インテークマニホールドに至っては、1点物として作ってもらった。

 手間がかかる。それでも楽しい。独特のフォルムも、自分の好みにドンピシャだった。心をわしづかみにされた。

 車は移動の道具だけではない。

「ガレージの中で磨いたり、メンテナンスしたり」。眺めているだけでワクワクする。

 ただし、1973年式。現代の車と同じ快適性を期待してはいけない。以前のキャデラックは排気量7700ccだったのに対し、トランザムは5800cc。これで燃費も改善したという。

 実際には、どれくらい走るのか。

「リッター4くらいしか(笑)。よくって4くらい」

“改善”してリッター4キロ。さすがはアメリカンマッスルカー、規格外のモンスターだ。

 しかも、車にはエアコンもヒーターもない。以前のオーナーがレースに出ていたため、外してしまったのではないかとみている。

 冬はどうするのか。

「まあなくても冬場なんかね、エンジンが温まるんで。ほんのり暖かくなるから」

 5800ccのV8が、ある意味“暖房”というわけだ。

 一方で、困るのが雨の日だ。エアコンがないため、ガラスが曇っても簡単には除湿できない。そこで曇り止め用品を常備し、自らガラスをケアしている。

 燃費はよくてリッター4キロ。エアコンなし、ヒーターなし。雨の日には曇りとの戦い……マイナス点を挙げればきりがない。それでも手放したいとは思わない。

 ところが、そんな車への愛情を家族が共有してくれているかというと、話は別だった。

「バカじゃない」

 購入時に妻から返ってきたのは痛烈なひと言……。一緒に乗ろうと誘っても、返事はノーで、「絶対乗りたくない」と通告されてしまったという。

 驚くことに、購入から約6年。妻はまだ一度も助手席に乗っていない。

「どっか行こうと言って、この車で行くっていうと『行かない』。ちょっとそこまで買い物とか言っても『行かない』。『近所でも嫌だ。恥ずかしい』って」

 少年時代から憧れ続け、ようやく手に入れた夢の車。だが妻にとっては、近所への買い物すら遠慮したい車らしい。

丸目のヘッドライトは「絶対」【写真:ENCOUNT編集部】
丸目のヘッドライトは「絶対」【写真:ENCOUNT編集部】

「俺が死んだら…」 車の将来にぬぐえない不安

 島村さんは「まあ、いいですよ。そんなこと言っていたら乗れないから」と笑い飛ばす。

 そして62歳になった今、少しずつ愛車の将来についても考えるようになった。

「あと10年もしたら、もう免許返納とかそういうこと考えるようになるのかなと思うので、どうしても欲しいっていう人がいたら、大事にしてくれる人がいれば譲ろうかなと思ってます」

 ずっと所有していたい気持ちはある。だが、自分がいなくなった後のことを考えると、一抹の不安がある。

「たぶん俺が死んだら、これ片付けられるから」

 誰に?

 答えは言わなくていい。

「ゴミ扱いになっちゃうから」。そうなる前に、誰に継承するか、真剣に考えなくてはいけない。

「だから、もう大事にしてくれる人がいれば、その人に渡したいですね。いい状態で」

 もっとも、それはまだ先の話。エンジンは現在も「絶好調」だ。普段は手作りの“ロックンロール系”ガレージに格納。話題の1台は、地元紙に掲載されたこともある。

 小学校3年生の頃にプラモデルを作りながら憧れた車を、人生経験を重ねてから手に入れた。若い頃には子育てや仕事があり、経済的にも精神的にも余裕がなかった。

「今の歳になってきて、少しゆとりが出たんで買えたんだと思います。そうじゃなかったら、今でも買えなかった」。出会ったこと自体が奇跡だった。

 キーをひねれば今でも小学3年生に戻る。

「もうこれ乗ってる時はガキですね(笑)」

 半世紀以上前のアメリカンマッスルカーとの暮らしは刺激にあふれている。男がほれ込んだ1台の車。誰がなんと言おうと、こういう趣味があってもいい。

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