南野陽子、「人前で歌えない」と泣いた日から40年…徹夜続いた『スケバン刑事II』も良き思い出「青春でした」
1980年代、日本のエンターテインメント界はアイドルブームに沸いていた。そのど真ん中にいながら、「私はアイドルらしくない」と自信のない少女がいた。南野陽子だ。スカウトをきっかけに兵庫県から上京。18歳の誕生日、1985年6月23日に歌手デビューを果たした。フジテレビ系『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』で大ブレイク。自宅に帰れず、睡眠時間もほとんどない多忙な時期も乗り越えた。その後、俳優に専念した時期を経て、コンサートでファンと再会。アイドルだった日々を「充実していた」と実感している。そんなナンノ(南野)が、ENCOUNTに自身の現在・過去・未来を語った。

語った現在・過去・未来
1980年代、日本のエンターテインメント界はアイドルブームに沸いていた。そのど真ん中にいながら、「私はアイドルらしくない」と自信のない少女がいた。南野陽子だ。スカウトをきっかけに兵庫県から上京。18歳の誕生日、1985年6月23日に歌手デビューを果たした。フジテレビ系『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』で大ブレイク。自宅に帰れず、睡眠時間もほとんどない多忙な時期も乗り越えた。その後、俳優に専念した時期を経て、コンサートでファンと再会。アイドルだった日々を「充実していた」と実感している。そんなナンノ(南野)が、ENCOUNTに自身の現在・過去・未来を語った。(取材・文=柳田通斉)
6月18日。南野はNHKホールで開催した全国ツアー最終公演のラストに、感謝を込めてこう伝えた。
「私だけの40年ではなくて、皆さんがいろんなことを乗り越えて頑張ってきたから、こうして一緒に楽しめるコンサートができました。本当にありがとうございます」
観客は超満員の約3600人で客層は20代から70代。『スケバン刑事』のセーラー服、『はいからさんが通る』のはかま姿を着て、南野になりきった女性もいた。代表曲『吐息でネット』ではサビで大合唱が起きた。
感激した南野は声を詰まらせ、全曲を歌い終えると「本当に楽しかった」と叫んでいた。
「40周年コンサートができるとは思っていませんでした。1回で十分だったのにそれがツアーになり、昨年11月の追加公演で9回。満足していたのに、だんだんと『もう1回、40周年の期間内にできないかな』と思い始めて、スタッフさんにお願いしたんです。次はいつできるか分からないですし。でも、こんなに楽しいとまたみんなに会いたくなりますね」
昨今、南野だけでなく1980年代デビューのアイドル経験者が続々とライブ活動をしている。その中でも、南野の集客力はすさまじい。
「運が良かったんだと思います。今、昭和ブームみたいですし。ファンの皆さんも、40年間年を重ねられてもお元気な方が多い印象です。子育てを終えられて、仕事も落ちついて発散できる場として、見つけてくれたのかなと」
謙そんするが、コンサートチケットは即完状態。1年前に復活したファンクラブの会員数は増え続けている。文字通り、南野にとっては「第2次アイドル期」だが、デビュー時はCBSソニーとの契約は歌わずに決まった逸話を持っていた。
「レコード会社に連れて行かれて、『歌ってみる?』と聞かれて、『人前で歌ったことがないから無理です』と言ったら、『面白いね』となって決まったんです」
決めたのは、山口百恵さん、郷ひろみ、キャンディーズら数々のスターをプロデュースしてヒットに導いた酒井政利さんだった。
「独特の感性で決めてくださいました。酒井さんでなければ契約はなかったと思います」
その後のレコーディングでも、南野は「無理です」と言い、大人たちを困惑させていた。
「『キーを探るから歌ってみて』と言われても、ヘッドホンから返ってくる自分の声を聴いて『思っていた声じゃない』と感じて泣き出して……。なので、デビュー曲のタイトルは『天使のハンカチーフ』になるはずが、私が恥ずかしがって歌わないから『恥ずかしすぎて』になったんです(笑)。歌詞も少し変更していただいて」

出版社に乗り込み、「悔しい」からの大特集
グラビア撮影でも、南野は独特な動きを見せていた。
「最初は週刊少年マガジンでしたが、当時の私は経験のなかったお化粧に違和感があったんです。なので、トイレに行ってペーパーで顔をふいたら目の下が黒くなっちゃいました(笑)。掲載された写真はやっぱり良くなくて、1人で講談社に行きました。その場で『悔しいです』って言ったら、『撮り直しましょう』となって36ページをもらったんです」
当時の南野は「このままでは地元には帰れない」の思いから1人で出版社、テレビ局回りをしていた。その行動力が実を結び、DELUXEマガジンで異例の巻頭36ページ特集が実現した。
「うれしかったです。でも、嫌だった水着撮影の時はそのカットを使われたくないから、白目になったり、ポーズも取らずにダラ~ンとしていたんです。そしたら、そのダラ~ンとか、ちゃんと目が開いてない顔のカットが使われているんですよ。ショックでしたが、それを褒められたり。自分とは違ういろんな見方があることを学びました。(笑)」
象徴的だったのが、連続ドラマ『スケバン刑事II』への抜てきだ。
「せりふを覚えなきゃいけないし、歌番組にもラジオ番組にも出ていたので、10か月ぐらいは家に帰れなかったです。ホテルで過ごす時もありましたけど、深夜2時までは仕事があって、シャワーを借りて、車内か楽屋で少し寝て朝6時からまた仕事という感じでした。ひどい時は徹夜が続きました。ドラマの後は映画の撮影でしたし、そんな日々が18歳から22歳まで続きました」
その最中、ヒット曲を連発。大規模な親衛隊が組織され、コンサートでの熱心な応援に加えてテレビ局の出入りなどでガードしてくれたという。
「親衛隊の人たちは全国にいて、すごく守ってくださいました。歌番組もたくさんあったのであの頃は楽しかったですし、青春でした。きつい時はありましたけど、とても充実していました。それが今につながっているわけですから」
だが、90年代に入って歌番組が激減。俳優業でも求められる役割が変わっていった。
「時代が変わりましたし、状況的にも『平成は冬眠していた』の感じがあります。でも、令和になった時に『あっ、頑張ろう』とすごく思いました」

想像できなった全国ツアー「幸せなこと」
平成の2015年12月にも歌手デビュー30周年記念盤をリリースし、16年2月と6月に30周年記念で約25年ぶりのコンサートを開催。ファンとの再会で幸福感はあったが、南野はこの場で「もう、コンサートはしないと思います」と発言していた。「やらせてもらえる機会はもうない」と思っていたからだ。だが、40周年ツアー最終公演では「そういうことは言わないようにします。この先、杖をつくようになっても、みんなの前で何かできたらなと思います」と伝え、観客を喜ばせた。
かつては「人前で歌う」ことに抵抗感があったが、それが仕事になり、喜んでくれる人が大勢いることが、「とても幸せなこと」と思えるようになった。
「私の同期は斉藤由貴さん、浅香唯さん、少年隊、中山美穂さん、本田美奈子.さん。私に限らず、アーティストではないけれど、今と違って『自分でアイドル』って言うものじゃなかったんです。それでも、ここまで長く応援してくださる方がいて、40周年ツアーができる未来は全く想像できませんでした」
デビュー前から自然体だった南野は、今もその生き方を続けている。
「山登りはしていますが、それ以外はトレーニングをすることもなく、好きなものをたくさん食べています。役柄によっては体を絞りますけど、全国の平均値がいいなと思っているので、あまり無理はしない(笑)」
昨年6月に神戸松蔭大客員教授に就任。カンボジア親善大使の経験から、他の大学や企業で講演を頼まれることもある。コンサートのステージでも、MCで観客を楽しませている。
「話の組み立ては考えますが、出たとこ勝負です(笑)。その内容を大学生や企業の方々が真面目にメモを取ってくださるので、すごく緊張します」
60歳まであと1年。今後の活動を問うと、「内緒」といたずらっぽく笑いながらもこう返した。
「健康でいてお声がかかるうちは、いろいろと続けていきたいです。全てにおいて、あまり上手にはできませんが、喜んでもらえて、自分の楽しいことをさまざまに企んで!(笑)」
12月には、昨年に続いてディナーショーを開催予定。イベント、歌番組で楽曲を披露する機会もある。そして、ファンはコンサート活動の継続を熱望している。
自然体で、見る者を幸せにできる選ばれし人。南野はこの先もその能力を生かし、前に進んでいく。
□南野陽子(みなみの・ようこ) 1967年(昭42)6月23日、兵庫県生まれ。85年、18歳の誕生日に『恥ずかしすぎて』で歌手デビュー。同年、フジテレビ系連続ドラマ『スケバン刑事II少女鉄仮面伝説』で主役の麻宮サキを演じ、トップアイドルに。オリコンチャート9曲1位。俳優としては、連続ドラマはNHK大河『西郷どん』、TBS系『半沢直樹』、日本テレビ系『ネメシス』などに出演。映画は『はいからさんが通る』『私を抱いてそしてキスして』『いのちの停車場』など。舞台は『細雪』『罠』『なくなるカタチとなくならないキモチ』など。近年は歌手活動にも精力的で、日本とカンボジアの友好を願う『明日への虹』、京都・舞鶴市の市歌『飛揚-Hiyoh-~再会の似合うまち舞鶴~』の作詞と歌唱を担当。2025年6月デビュー40周年を迎え、同7月から全国5都市でコンサートツアー、同12月にはディナーショーを初開催した。
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