「鮮血でトイレが真っ赤に…」32歳女性を襲った大腸がんの恐怖 「ステージ4でも人生謳歌」闘病発信を続ける理由

ラーメンは「白米のおかず」というぐらい、食べることが大好きな女性の人生が一変した。2025年5月、32歳で大腸がんステージ4の告知を受けた。「リンパ節と肺への転移が確認されました」。一時は絶望に打ちひしがれ、不眠にも陥った。がん告知から約1年がたった33歳の今、抗がん剤治療を続けながら、体調によってはラーメン・チャーハン・ギョーザのセットを食べられるぐらいまでになった。YouTubeを通して、闘病生活を発信し続けている。「ステージ4でもこうやって人生を謳歌(おうか)できることを伝えたいです」。確かな勇気を届けている。

大腸がんと闘う寝り子さん。体調によってはラーメンセットを平らげる【写真:本人提供】
大腸がんと闘う寝り子さん。体調によってはラーメンセットを平らげる【写真:本人提供】

「私のように、何も分からないうちにがんが進行してしまう人を減らすことができれば」

 ラーメンは「白米のおかず」というぐらい、食べることが大好きな女性の人生が一変した。2025年5月、32歳で大腸がんステージ4の告知を受けた。「リンパ節と肺への転移が確認されました」。一時は絶望に打ちひしがれ、不眠にも陥った。がん告知から約1年がたった33歳の今、抗がん剤治療を続けながら、体調によってはラーメン・チャーハン・ギョーザのセットを食べられるぐらいまでになった。YouTubeを通して、闘病生活を発信し続けている。「ステージ4でもこうやって人生を謳歌(おうか)できることを伝えたいです」。確かな勇気を届けている。(取材・文=吉原知也)

 女性は、寝り子(ねりこ)さん。経理事務で働くごくごく普通の生活で、ラーメンや激辛グルメ、焼き肉が大好物。お酒もたばこもやらない。大きな病気とは無縁だった。

 20代の頃、一度病院で「痔」と診断されたことがあった。それからは時折トイレットペーパーに血がつくことがあった。自分で対処して市販薬で「しのいでいました」。痔の検査が恥ずかしかったという理由も大きかった。

 明らかな体の異変が生じてきたのは、25年1月。便器が真っ赤に染まるほどの出血が出始めた。「鮮血でトイレの水が染まって。次第に、レバーのようなものと一緒に出るようになりました」。ただ、痛みに関しては「我慢できない痛みではなかった」という。痔の悪化だと思い込んでいた。本格的な受診は足が遠のいた。

 一般的に、大腸がんと痔の出血は見分けが難しい面があると言われ、勘違いに注意することが呼びかけられている。

 寝り子さんは、ある日突然に歩けないほどの体の痛みに襲われた。限界を感じ、4月下旬、町医者に駆け込んだ。医師が診察を進めると、空気が変わった。「できるだけ早く大きい病院に行ってほしい」。GW直前の時期だったが、がんの可能性を示され、「仕事を休んででも、すぐに検査を」と強く促された。その後の精密検査で判明したのが、大腸がんステージ4、肺とリンパ節への転移だった。

 告知を受けた日は「俯瞰(ふかん)して見ているようでした」と表現する。現実感がなかった。でも頭の中には、「余命」という言葉が絶えず浮かんでいた。

 3姉妹の5人家族。何よりつらかったのが、両親への報告だ。誰よりも家族思いの寝り子さんは「今もそう思って行動していますが、家族を悲しませたくないと心に決めています」。できる限り前向きな言葉を選んだ。「これから頑張っていくね」。母は「ドラマの世界だと思っていた」と絶句、家族みんなで泣いた。

 治療を始める一方で、当初は夜が怖かった。「目を閉じて、開けたらもう私はいないんじゃないか」。それまで死について深く考えたことのなかった30代前半の人生が急変した。一時は眠れなくなり、精神科のサポートを受けた。

 心が変わり始めたのは、ある思考の転換からだった。「死んだらどうなるんだろう」から「生きるためにどうするか」へ。夜もぐっすり眠れるようになった。昨年冬ごろには精神科の薬が必要なくなり、今は飲んでいない。「一皮むけた感じです」と笑みを見せる。

YouTubeを通して闘病生活を発信している【写真:本人提供】
YouTubeを通して闘病生活を発信している【写真:本人提供】

「応援してくれる声の多さが、悪意の言葉をかき消してくれる」

 現在の治療の考えは「できる限りのことはやっていこう」というもの。「私の場合、現状は手術が難しいため、抗がん剤に加えて、ハイパーサーミア(がん温熱療法)も併用しています。抗がん剤については在宅での方法も取り入れています」。

 過酷な闘病。抗がん剤治療を始めて最初の1週間は、食べることも飲むこともできなかった。また、手足のしびれが出始めた。冷たいものがしみるようになり、飲み物はすべて常温に変えた。アイスは食べられなくなった。

 体重は10キロも落ちた。「今までの人生でずっと『どうやったら痩せるか』を考えてきたのに、初めて『太る方法ってなんだろう』と考えるようになりました。私はもともと、食べるのが趣味ぐらいのところがあったので、具合が悪くて食事がままならない時は、大食い動画を延々と見て、食欲の刺激をいただいています」。

 大事にしたい食事。主治医に相談して、栄養面にも気を使いながら、今は体調のいい日にはラーメンセットまで平らげる。落ちた10キロも戻すことができた。「最近太り過ぎかなと思って先生に聞いたのですが、『がんにとって太れることはすごくいいことですよ』と言っていただきました。具合が悪くなった時に備えて、体力を蓄えておきたいです」と語る。

 YouTubeで闘病の記録を発信している。チャンネル登録者数は12万人を超え、「銀の盾」も持っている。YouTubeに最初の動画を投稿したのは、昨年8月。がんを受け止めきれず、精神的にも落ち込んでいた時期だ。独白のような形で、「今が一番、命に素直だなって思っています。私の軌跡をここに残しておきたいです」――。衝動的に撮影したという。「一人では抱えきれなくなっていた時に、ちょうど親友がお見舞いに来てくれて。『何か残したい』という思い付きで、10分ぐらいでスマホで撮ったんです」。

 反響は予想外で、登録者数が増え、数多くの激励のメッセージが届くようになった。動画のテーマは、抗がん剤治療のリアル、岩手への一人旅の様子、見逃してしまった大腸がんの前兆について……。「私のように、何も分からないうちにがんが進行してしまう人を少しでも減らすことができれば」という使命感を持って発信を続けている。

 一方で、チャンネルが大きくなるにつれ、誹謗(ひぼう)中傷を受けるようにもなった。「本当にがんなのか」「ラーメンを食べてたからでしょ」という心ない言葉もあった。

 悪意には動じない。「100人から好かれるということは絶対に無理なことだと思っています。私のことが嫌いな人からの言葉はそもそも受け取らない。気にしていないです。それに応援してくれる声の多さが、悪意の言葉をかき消してくれるんです」。毅然(きぜん)とした思いを明かす。

がんの病気が判明する直前の様子【写真:本人提供】
がんの病気が判明する直前の様子【写真:本人提供】

がんサバイバーの友人と「バンドを組もう」 新しい夢

 母や姉妹の前では気丈に振る舞うが、時折、父親の前で「なんで私だけが」と泣いてしまうこともある。

 それでも、「今、いっぱい夢が膨らんでいるんです」。今年に入ってからは月に一度、東京へ出て来て音楽ライブやお笑いの舞台を楽しんでいる。ピラティス・ジムに通い始めて体力トレーニング。バンド少女だったこともあり、得意のベースの練習を再開した。がんサバイバーの友人と「バンドを組もう」という新しい夢も生まれた。

 自分らしく、楽しいことを全力で楽しむ。「がんのステージ4でも、こうして楽しいことができて、人生を謳歌できる。私は転移があっても寛解を目指しています。腫瘍が小さくなったら手術もできるようになると聞いています。どんなにつらくても治療を続けていくことを心に決めました。幸せな人生を送れているということを報告していきたいです。今闘病中の方たちにもメッセージを届けていきたいです」と力強く語る。

 そして、「私自身、『自分の体の声をもっと聞いておけばよかった』と思うことは多々あります。でも、人生を振り返った時、不思議と後悔はあまりしていません。それは、これまで人生を目いっぱい楽しんで生きてきたからだと思います。だから、今元気な皆さんに伝えたいのは、一日一日を、自分が楽しいと思えることに費やしてほしいということです。仕事のストレスや、やらなきゃいけないことは現代社会にたくさんありますが、その中で少しでも自分と向き合い、楽しい時間を作ってほしい。それが私の考えです」と結んだ。

次のページへ (2/3) 【写真】大腸がんの闘病に取り組む寝り子さん。姉と二人でウイッグを被った時の写真などを寄せてくれた
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