借金1億円、2児を育て上げたシングルマザーの覚悟 病魔に詐欺被害…それでも這い上がれたワケ

容姿コンプレックスの思春期、シングルマザーで子育てしながら起業、借金1億円でも子どもたちの学費を工面……。山あり谷ありの人生を歩んできた女性起業家がいる。激務に追われた大手メーカーの年収1000万円管理職を蹴って、一大決心でビジネスを立ち上げた。病魔にも見舞われても、再起を図ってきた。「それもこれも全部、無駄じゃない」。ピンチを原動力に変える壮絶半生に迫った。

どん底から再起した起業家の芹澤央佳さん【写真:本人提供】
どん底から再起した起業家の芹澤央佳さん【写真:本人提供】

「実は男女雇用機会均等法の総合職の“1期生”だったんです」

 容姿コンプレックスの思春期、シングルマザーで子育てしながら起業、借金1億円でも子どもたちの学費を工面……。山あり谷ありの人生を歩んできた女性起業家がいる。激務に追われた大手メーカーの年収1000万円管理職を蹴って、一大決心でビジネスを立ち上げた。病魔にも見舞われても、再起を図ってきた。「それもこれも全部、無駄じゃない」。ピンチを原動力に変える壮絶半生に迫った。

 オンラインによるパーソナルカラー診断認定のスクールを主宰する62歳の芹澤央佳(おうか)さん。髪をピンクに染め、ハキハキと明るい語り口調。パワフルに仕事をこなし、人生相談のオファーが絶えない。美容やファッションをアドバイスするYouTubeチャンネルは登録者数30万人。50代・60代の女性を中心に支持を集めている。

 現在の姿とは想像もできない過去を持つ。「人前に出ること、人とコミュニケーションを取るのが大の苦手でした」。10歳ごろまで肥満体型で、男の子にからかわれた経験から心を閉ざした。成長と共に体型の悩みが解消したのもつかの間、今度は顔全体ににきびができた。「高校生の時、にきびを隠そうとファンデーションを塗ったら、先生にこっぴどく叱られました。余計に傷付いて」。容姿を気にして他人と話すのが嫌になり、思春期は「暗黒の時代」を過ごした。

 勉強はよくできて、大学では理数系を学んだ。本当はファッション・美容の仕事がしたかったが、親の目を気にして、堅実な就職先を選んだ。それも、一流の大手メーカーだ。「実は私は男女雇用機会均等法の総合職の“1期生”だったんです」。コンピューター分野の開発を担い、特許取得などで活躍を果たした。

「仕事は男性と同じにやって、その一方で、灰皿の片付け、机拭き、お茶くみもやらされる。そんなハードな時代でした。当時は終身雇用の考えが強くあって『辞めたらもう人生終わり』という怖さもありました」。対等に扱われないという葛藤を抱えながら働く日々を送った。

 結婚して30代で子どもを2人出産し、育休を取って職場復帰。ここでも苦労を重ねた。「戻ってくると、自分の居場所がないんです。それでも、朝は子どもを保育園に送って職場に行って、夜8時に一度帰宅して子どもをお風呂に入れて寝かしつける。夜10時にまた会社へ戻って深夜まで働く。必死に食らいついていました。でも、本当に仕事が嫌で嫌でストレスがたまって、夫に当たって、会社の人間関係はぎくしゃくしていきました」。我慢し続けた結果、心も体も壊れていった。子宮筋腫を患い、自律神経も乱れ、家庭内別居の末に離婚。気が付けば、人生そのものが壊れ始めていった。

 40歳。離婚後に2人の子どもを引き取り、「これから頑張らなきゃ」と心機一転のスタートを切ろうとした矢先、それまで張り詰めていた糸がぷつりと切れた。うつ病を発症した。「なんとか働かなきゃ、と仕事に復帰しても、またすぐに動けなくなる。結局最後は寝たきりになってしまって……」。自分を責め続け、拒食・過食にもさいなまれた。

 数か月休んで復帰してはまた休むの繰り返し。ある日、腹が決まった。「自分の人生、こんなことで終わりたくない」「貧乏になってもいいから、子どもたちと夕飯を食べられる時間に一緒にいたい」――。20年間勤めた会社を退職した。最高時のポストは、年収1000万円の管理職。両親は絶句し、周囲の全員が猛反対した。「自分でも棒に振ったと思っています」。それでも、“誰かの期待ではなく、自分で選ぶ人生”を生きることを決意した。42歳の時だった。

 本来の自分を取り戻そうと、美容・ファッションの分野で起業。パーソナルカラー診断とメイクレッスンの事業を始めた。子どもたちのためにも、「本気でやり抜く。シングルマザーであることを言い訳にしない」。ここから起業家としての才能が開花する。

人工股関節置換手術のリハビリに励んだ当時の様子【写真:本人提供】
人工股関節置換手術のリハビリに励んだ当時の様子【写真:本人提供】

「お母さんは将来、“自由が丘の母”になるよ」

 人と話すことを“武器”に変えた。女性顧客と一緒に洋服を選ぶ同行ショッピングのサービスが人気になった。前職で培ったITスキルで自らホームページを構築し、事業を軌道に乗せていった。だが、再び試練が訪れる。生まれつき悪かった股関節に大きな異変が生じるようになった。「100メートル歩いたら痛くて立ち止まる感じで、スーパーの買い物もしんどくなりました」。51歳で人工股関節の置換手術を受けた。

 同行ショッピングができなくなり、休養中は無収入に。「神様って私に厳しいなあ」と落ち込みながらも、病床で起死回生の一手を考えた。そこで、個人レッスンからスクール事業への転換を思い付き、入院中に頭の中で新ビジネスを設計。リスタートを切った。

 ところが、思わぬ落とし穴が。今度は詐欺被害に遭ってしまったのだ。暗転して極貧生活へ。「だまし取られた金額は4000万円で、資金難が事業にも響き、借金総額は1億円に膨みました。当時住んでいたマンションも仕事スタジオも、子どものピアノも手放しました。子ども2人は理系の大学を卒業しましたが、当時大学生、高校生の子どもの学費の支払いがひっ迫しました。友人知人、あらゆる知り合いに会いに行ってお金を借りるために頭を下げました。なんとかお金を工面し、必死で学費を払い続けました。食事は文字通りもやし生活でした」。人生最大の苦境だった。

 その数年後にコロナ禍にも襲われた。だが、ピンチをチャンスに変える。スクール事業をオンライン化すると、これが大成功。さらに、豪快キャラを生かしたYouTubeもバズり、借金を完済し、V字回復を果たしたのだ。「うまくいきそうになっては、ぺしゃっとつぶされる。それでも、また新しいものを作って、前に進んでいく。そんな感じかな、私の人生って」。

 子どもたちは社会人になり、シングルマザーとして育ててくれた母を「人生の先輩」として慕っているという。「子どもたちのお友達が悩みを抱えると、『うちのお母さんに相談するといいよ』と連れて来るようになりました。東京・自由が丘エリアを拠点にしているのですが、子どもたちからは『お母さんは将来、“自由が丘の母”になるよ』と言われています(笑)」。

 何度も経験したどん底、人生の失敗。「でも、無駄なことは何一つないです。なかなかしんどめの人生ですが、全部無駄じゃなかった。本気でそう思っています」と実感を込める。

 人生を悲観し、絶望にあえぐ人たちに伝えたいことがあるという。「つらいことを我慢し続けなくていいんです。人は何歳からでも、人生を変えられるし、今どれほどつらくても、人生は絶対にまた明るくなるので。だから諦めないでほしい。このメッセージをこれからも伝え続けていきたいです」。その言葉は、幾度もはい上がってきた人生そのものが証明している。

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