17坪の狭い道場からUFCの頂点へ 平良達郎を「勝たせないといけない」…恩師が明かす挑戦の25年間

総合格闘技の世界最高峰の舞台・UFCで日本時間10日、日本人初の世界王者誕生という歴史的偉業に挑む平良達郎(26=THE BLACKBELT JAPAN)。前人未到の領域へと足を踏み入れようとしている若き至宝をTHE BLACKBELT JAPAN沖縄代表の松根良太氏とTBJネットワーク総帥・鶴屋浩氏はどう導いたのか。ち密なマネジメント戦略と2人のロマンに迫った。

松戸市根本の小さなジムから始まった――当時の鶴屋浩氏(左)と松根良太氏
松戸市根本の小さなジムから始まった――当時の鶴屋浩氏(左)と松根良太氏

さまざまなプロ格闘家を輩出してきたTBJネットワーク

 総合格闘技の世界最高峰の舞台・UFCで日本時間10日、日本人初の世界王者誕生という歴史的偉業に挑む平良達郎(26=THE BLACKBELT JAPAN)。前人未到の領域へと足を踏み入れようとしている若き至宝をTHE BLACKBELT JAPAN沖縄代表の松根良太氏とTBJネットワーク総帥・鶴屋浩氏はどう導いたのか。ち密なマネジメント戦略と2人のロマンに迫った。(取材・文=島田将斗)


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 平良がプロデビューから連勝を重ねていた時期、修斗王者はアジア最大の団体・ONEチャンピオンシップへ進出するルートが主流だった。しかし、松根氏の視線はそこだけを見ていなかった。

「プロ野球選手がメジャーリーグを目指し、サッカー選手がワールドカップを目指すように、この競技をやる上で『いかにUFCでタイトルを取るか』ということを鶴屋さんともよく話していました。達郎が6戦全勝した頃、当時UFCにいる日本人男子ファイターは佐藤天君しかおらず、どうやって契約するのかも分からない状況でしたが、『UFCを目指してもいいんじゃないか』と達郎に話したんです。当時は本人も『そんなことが許されるんですか』と驚いていました」(松根)

 松根氏が密かに描いていた「UFC挑戦」構想。松根の師匠・鶴屋氏が気づいた瞬間がある。平良が修斗世界王者となり、「Vale Tudo Japan 2021」での国際戦の相手としてアルフレド・ムアイアド(チリ)を迎えた時だ。

「その時に松根が『対世界に向けて外国人選手とやらせたい』と強く言っていて、この辺りからUFCを目指しているのかなと思いました。そこから、イリディアム・スポーツ・エージェンシーという素晴らしい海外マネジメント会社や、Leminoさんという強力なバックアップを見つけてきたのも松根です。それを見て、本気で目指しているんだなと分かりましたし、素晴らしいバックアップ体制を築いたなと感心しました」(鶴屋)

わずか17坪の空間に後のレジェンドたちがずらり、当時珍しかった昼練を行っていた
わずか17坪の空間に後のレジェンドたちがずらり、当時珍しかった昼練を行っていた

年間3分の1は米国で練習も拠点は沖縄に「地元愛が強く」

 現状、格闘技界ではスポンサー探しなどは選手自身が行っているケースが多く見られる。松根氏はこれをチームで行った。

「色々なマネジメントや事務所からお声が掛かりました。それを精査して選んだのが今のチームです。達郎が勝ち続けてくれたからこそ周りが信じてくれたという前提はありますが、良い縁に恵まれました。スポンサーへのあいさつ回りなどをしなくていい環境を作ったことで、達郎は練習の時間だけは絶対に削られない。マネジメントの方々の教えが本当に生きていると思います」(松根)

 UFCでトップを目指すとなれば、最先端の技術と環境を求めて単身アメリカのメガジムへ移籍し、住み込みで練習する選手も少なくない。平良陣営にもその選択肢があったが、本人があくまでも拠点は故郷の「沖縄」に置き続ける道を選んだ。

「今は年の3分の1ほどはアメリカで生活し、最先端の技術を学んでいますが、達郎には地元・沖縄への愛が強くありました。沖縄を拠点にしながらUFCのベルトを取ることができたら、後に続く選手たちの模範になる。『日本から、沖縄からでもUFCのベルトに手が届くんだよ』ということを証明できると思っています」(松根)

 世界の頂点を争う大一番を前にしても、鶴屋氏から平良に対する不安は一切聞こえてこない。そこには、弟子たちに対する絶対的な信頼がある。

「達郎に関しては松根と(コーチの)岡田遼がしっかり教えていて、2人に信頼を置いているので安心しています。マネジメントもスポンサーもしっかりしている。僕自身は口を出すことじゃないし、全部任せて見ています。今まで通り淡々とやってしまうんだろうなと思っていますから、不安は全くないですね」(鶴屋)

 まな弟子の大勝負を前に、松根氏の胸の内にはある熱い思いがあった。日本人初王者というだけではない。格闘技界の歴史と“パラエストラ”という系譜の証明だ。

「鶴屋さんが中井祐樹先生から柔術を教わり、1999年にパラエストラ松戸を立ち上げました。その技術の下で僕がチャンピオンにさせてもらい、僕の指導の下で岡田遼や達郎が育ってきた。ここでUFCのタイトルを取ることができれば、『中井先生や鶴屋さんから教わってきたことは間違っていなかった、本当に正しかったんだ』と証明できる。僕にとっては、それがすごく大きいんです。松根良太を作ったのは鶴屋さんですから、その血筋をしっかりとお伝えできるのはありがたいです」(松根)

 その言葉を受けた鶴屋代表の口から出てきたのは25年前の懐かしい記憶。THE BLACKBELT JAPANの前身であるパラエストラ松戸はJP松戸駅から徒歩10分、松戸市根本のたった17坪の小さなジムから始まった。

「松戸に道場を作った時は、17坪のすごく狭い道場だったんです。基本的には松根と僕の2人だけ。そこから始まって松根がチャンピオンになり、沖縄に道場を出して……。原点はあの小さな道場なんです。あそこからUFCチャンピオンが生まれるんだなと思うと、ちょっとすごいなと思いますね」(鶴屋)

鶴屋代表「実は内心、すごく興奮しているんです」

 表情ひとつ変えず淡々と語っていた鶴屋代表が思わず興奮を抑えられなくなった。

「私は古い人間なので、かつてムエタイの王座は外国人には絶対に獲れないと言われていた時代を知っています。それを黒崎健時先生が育てた藤原敏男先生が獲り、現実のものにした。今の達郎の挑戦は、あのムエタイの歴史的瞬間と同じぐらいすごいことの再来なんです。ついに日本人からUFCチャンピオンが出る。それがもう近くに来ているんだなと思うと……実は内心、すごく興奮しているんです」(鶴屋)

 この言葉を受け、長年平良の傍らで伴走してきた松根氏もまた、かつて自身が鶴屋代表から授かった“金言”を、平良にたたき込んでいると明かした。

「鶴屋さんが、僕が21歳で修斗のチャンピオンに挑戦する時にこう言ったんです。『これ取れなくても25歳とか30歳でまた機会は巡ってくると思うなよ。お前がベルトを取るチャンスは、これが最後なんだぞ』と。その言葉を、達郎にも伝えています。絶対にこのチャンスを逃さない。これが最後のチャンスだと思ってやるんだと、気を引き締めて言っています」(松根)

 本人の計り知れない努力と、マネジメントチームが引き寄せた縁と運。すべてが噛み合い、ようやくたどり着いた挑戦権。だからこそ、安易な言葉は使わない。最後に求めたのは、日本で戦いを見守るファンからの「念」だった。

「ファンの皆さんに『待っててくださいよ』なんて気楽に言える感じではありません。本当に気を引き締めて、達郎を勝たせないといけない。そのためには、やはり日本のファンの皆様の応援がとても必要です。目に見えないものですけど、『パワー』や『念』を送るということは、実際にあることなんです。地球の裏側での戦いになりますが、SNS等でも構いません。ぜひ達郎に皆さんの思いを送ってください。試合が終わった後、日本のMMAファンの皆さんに『良かったな』と思ってもらえたらうれしいです」(松根)

「この歴史的瞬間を、日本の格闘技の代表として試合をする平良達郎を、見逃さずに見てほしい」。そう力強く語る鶴屋代表の言葉には、熱が帯びていた。わずか17坪の道場から始まり、世界最強の頂へと手を伸ばすまで、実に四半世紀の歳月が流れた。

 平良のタイトル挑戦は、若き天才だけの物語ではない。最高峰の舞台へと導くために奔走した男たちのロマンもある。日本の格闘技界が待ちわびた、悲願のUFC世界王者誕生へ。松戸から沖縄へ。沖縄から世界へ。いま、歴史が動こうとしている。

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