小川直也が明かした“左足破壊”の真実 ファイトマネー5億円、K-1超え、吉田秀彦戦の裏側
小川直也のYouTubeチャンネル「暴走王ch」が13日、更新され、RIZINの榊原信行CEOとの再会動画の第4回にして最終回の映像が公開された。そのなかで語られたのが、2005年大みそかに榊原CEOがPRIDEのリングで実現させた、小川直也VS吉田秀彦戦の舞台裏だった。

「大みそかPRIDE柔道王対決に協賛殺到」
小川直也のYouTubeチャンネル「暴走王ch」が13日、更新され、RIZINの榊原信行CEOとの再会動画の第4回にして最終回の映像が公開された。そのなかで語られたのが、2005年大みそかに榊原CEOがPRIDEのリングで実現させた、小川直也VS吉田秀彦戦の舞台裏だった。(取材・文=“Show”大谷泰顕)
前回動画の終盤でも、この一戦について触れられていたが、その際、小川は「ふた昔か。20年、早いっすよね」としみじみ。これに榊原CEOも思わず「早い」と応じていた。
「10年ひと昔」と言うならば、たしかに20年は“ふた昔”。まさに光陰矢の如しであり、時の流れの速さを改めて感じさせるやり取りだった。
当時を振り返ると、一部スポーツ紙の一面にはこんな見出しが躍った。
「仰天ファイトマネー 小川対吉田 5億円」
紙面では、小川と吉田それぞれの写真に「2億5千万円」の文字が当てられ、記事内でも「主催するDSE関係者は『両者が受け取るファイトマネーの合計金額は5億円になる』と明言」と報じられていた。断定こそ避けていたものの、限りなく事実に近いニュアンスだった。
さらに「大みそかPRIDE柔道王対決に協賛殺到」という文字も並び、当時の注目度の高さがうかがえる。この時、小川は36歳、吉田は1歳下の35歳。ともにキャリアの円熟期にあり、まさに“最も脂が乗っていた”時期だった。
20年前の5億円とは、今だとどのくらいに価値に相当するのか。
この一戦をプロモートした榊原CEOは、当時を次のように振り返っている。
「それだけ市場が求めなければ、それだけの価値(5億円)はつかないわけで、ホントにオーちゃん(小川)も吉田(秀彦)さんも、普通、何かなければ避けて通りたいマッチアップだったかもしれないけど、自分がやりたいやりたくないよりも、人が見たいものをプロとしての意識で、禁断のパンドラの箱を開ける(決断をした)。あの時の決断は小川さんのほうが決断するのに大変だったと思いますよ。そこを一歩踏み込んでやったろうかって覚悟を決められるところがすごいですよ」
2003年、04年の大みそか格闘技戦争では、TBSがK-1、フジテレビがPRIDEを中継していた(※2003年のINOKI BOM-BA-YEは日本テレビ)が、視聴率ではPRIDEはK-1に及ばなかった。その構図を覆したのが、05年の小川VS吉田戦だった。

橋本真也の「爆勝宣言」で入場 最初のクライマックス
さらに榊原CEOは当時について、以下のように振り返る。
「あとにも先にも、あの時(小川VS吉田戦を中継した05年)はK-1を視聴率で超えましたからね。初めてですよ。PRIDEとして表裏でずっとやっていたけど、PRIDEもそれなりに数字を持っていたし、求心力もひょっとしたらPRIDEのほうがあったかもしれないけど、K-1には分かりやすいボブ・サップとかがいた時代だった。そこを(PRIDEが)ひっくり返した」
ちなみに、05年大みそかに中継されたPRIDEの視聴率は平均17%、瞬間最高27.7%。まさに時代を動かした一戦だった。
ここであらためて、両者の歩みを簡単に整理しておきたい。
小川は1968年3月生まれ。1992年バルセロナ五輪柔道95キロ超級銀メダリストであり、全日本選手権7回優勝という輝かしい実績を持つ。プロ入りは97年4月、MMA初戦は99年7月だった。
一方の吉田は1969年9月生まれ。92年バルセロナ五輪柔道78キロ級金メダリストで、プロデビューは2002年8月である。
柔道時代、両者の直接対決は一度だけ。1994年4月、日本武道館で行われた全日本選手権準決勝で激突し、この時は吉田が旗判定で小川を破った。小川の全日本6連覇を止めた一戦としても知られる。
あれから11年。今度は舞台をPRIDEに移し、両者は再び向き合うことになった。試合当日、最初のクライマックスは小川の入場シーンだった。
小川は、その年の7月に脳幹出血で亡くなった盟友、“破壊王”橋本真也のテーマ曲「爆勝宣言」で登場。会場の空気は一気に熱を帯びた。この場面に触れると、榊原CEOは「あれは感動的だったなあ」としみじみ。小川と橋本の抗争、そして恩讐を越えたOH砲結成までを知る者にとっては胸を打たれる場面だった。事実、今映像を見返しても涙腺が緩む。
小川自身も、当時をこう振り返る。
「全部お任せだからさ。そういうのも好きにやらせてくれたからさ。それは感謝してるのよ。(榊原CEOは)一切、(こうしろああしろとは)言わなかったから」
小川は榊原CEOへの感謝を口にしたうえで、入場曲をいつ決めたか問われると、「何かあるんだよ、これしかないでしょ。あまりあれこれ考えないよ、パッと」と語っていた。
さいたまスーパーアリーナは超満員 見切れ席まで開放した熱狂
さらに小川は、「やるって決まってから」「増席したって」と当時の盛り上がりを回想。これに榊原CEOも応じた。
「それは(小川VS)エメリヤーエンコ・ヒョードルの試合(2004年8月)もそうだったかもしれないけど、吉田戦もそういう観客の熱があった。普通だったら入れない見切れ席も入れて。入場シーンは見れないけど、リングは見えます、みたいな」
実際、この小川VS吉田戦が行われたPRIDE大会は、現在でもさいたまスーパーアリーナの観客動員記録となる4万9801人を誇る。近年のRIZINでは、最前列100万円の席が設定される大会も珍しくなく、興行の売上ベースでは当時を超える大会がある可能性は高い。だが、動員数という点では、いまだ破られていない伝説的記録を残したことになる。
つまり、これまでにない観客の熱が会場を包み込むなか、ついにゴングが鳴ったが、試合は開始早々、衝撃的な展開を迎える。
吉田がヒールホールドで小川の左足を捉え、これを破壊。当時、試合映像の音声を注意深く聞くと、骨が折れる鈍い音が確認できる――そんな噂まで流れた。このアクシデントについて、小川はこう明かしている。
「まあね。アクシデントがつきものだから。早々にやべえなこれと思って。あとは時間をどう使おうか。そこの切り替えだから。これだけみんな集まってて。これは途中で無理だな。最後までは続けられないけど、行けるとこまで行くしかないな。そこしかないからさ」
記録的大観衆が見守るなか、途中で終わるわけにはいかない。小川はそんな思いで、少しでも試合を長く見せようと踏ん張っていたことを明かした。
結果は1R・6分4秒、吉田の腕ひしぎ十字固めで小川が一本負け。柔道王対決は、吉田に軍配が上がった。
動画内で榊原CEOは、辰吉丈一郎VS薬師寺保栄戦(1995年12月4日、名古屋レインボーホール)と那須川天心VS武尊戦(2022年6月19日、東京ドーム)と並び、小川VS吉田戦を「日本の格闘技史のなかでは記憶に残る日本人対決」と位置づけている。
5億円マッチと騒がれ、PRIDEがK-1を視聴率で上回り、会場は記録的な超満員と、さまざまな記録を塗り替えつつ、20年以上が経過しても未だに色あせず、当事者の口から新事実が語られ、ファンの記憶を揺さぶり続けている小川VS吉田戦。
それは単なる一試合ではなく、日本格闘技史に刻まれた“事件”だった。
(一部敬称略)
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