【オヤジの仕事】俳優・村上弘明が4人の子を育てながら感じる子どもの幸せにとって大切なこと

子どもから教わることも多いという【写真:荒川祐史】
子どもから教わることも多いという【写真:荒川祐史】

長男は市村正親さんの舞台に感激して芸能界入り

 長男は僕と同じ俳優の世界に入りました。僕があるドラマで市村正親さんと共演し、市村さんから舞台のチケットを2枚いただいたので、長男を連れて行くと、「おもしろい。自分もああいうことをしてみたい」と言い出したんです。よほど感激したんでしょうね。僕の作品を見て、俳優になりたいっていうことは一度もなかったのに(笑)。

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 長男が3歳になる前ですが、1979年にNHKが制作した脚本家・向田邦子さんの「阿修羅のごとく」を家で見ていた時のことです。佐分利信さん演じるお父さんが亡くなる時に、家族が「お父さん、お父さん」と言っているシーンの次に画面が変わって、壁に生卵がぶつかる映像になったんです。非常に前衛的な表現方法で、長男はその映像に衝撃を受けて、台所に走っていって、「ママ、ママ、おじいちゃん死んじゃったよ」と。僕なんかこの世界に入ってけっこうたっていましたから、「また妙な。普通の表現方法にすればいいのに」と思って見ていたんですが、長男は子どもなりにその映像に衝撃を受けた。その時の様子は今も印象に残っています。

 子どもの感性ってすごいんだなと思いました。同じ映像からでも、受け取り方が僕と違う。そんな感性を持つ長男が市村さんの舞台に感激して、「ミュージカルをやってみたい」と言うのです。子どもの頃から家で映画を見られる環境にあって、映像の組み立て方、どうなれば盛り上がるかとか、知らず知らずにわかっているのかもしれない。ですから、僕は俳優よりむしろ作り手側のほうが向いているんじゃないかなと思うのですが。

打ち込めるものを見つけてほしい

 次男は今、いろいろなことをやっています。スケボーとかスノボとかクライミングとかダンスとか。もちろん英語も。勉強は大嫌いですが、科学教室のようなところに通っていました。そういうものにはとても興味を持っているんです。好奇心が旺盛なんですね。それを生かす方法を見つけられればいいと思っています。可能性はいろいろあります。どういう方向に行くのか楽しみです。

 打ち込めることを見つけて、それに取り組めることがその人にとっていちばん幸せなんじゃないかと思います。ですから、子どもたちにはまず打ち込めることを見つけてほしい。途中で進路変更したとしても、それまでやってきたことは、決して無駄にならないし、必ずどこかで役に立つものです。

 4人の子どもを育ててきて、子どもからいろいろ教わることが多いし、子どもを通して自分の子ども時代を振り返らせてもらうこともあります。今も日々いろいろなことを子どもたちから感じさせてもらっています。

□村上弘明(むらかみ・ひろあき)1956年12月22日、岩手県陸前高田市生まれ。法政大学法学部政治学科在学中の79年、「仮面ライダー(スカイライダー)」(TBS系)の主役で本格デビュー。85年から“必殺シリーズ”「必殺仕事人」(テレビ朝日系)にレギュラー出演。「炎立つ」「元禄繚乱」などのNHK大河ドラマ、「腕におぼえあり」「柳生十兵衛七番勝負」(NHK)、「八丁堀の七人」(テレビ朝日系)などの時代劇や刑事ものなどの現代劇で活躍。映画「極道の妻たちII」(東映)では日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。10月9日スタートのテレビ朝日開局60周年記念 連続ドラマ「24 JAPAN」(テレビ朝日系)にレギュラー出演している。

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