【オヤジの仕事】玉袋筋太郎さん 自ら命を絶ったお父さんは「腕からスルッと…」

「自分もうるせぇオヤジになった」と玉ちゃん【写真:山田隆】
「自分もうるせぇオヤジになった」と玉ちゃん【写真:山田隆】

ビールをお酌するのがオレの仕事だった

 オレは新宿で生まれ育って、両親はウチの2階で夜遅くまで商売をやってたから、朝、オレが学校へ行くときはまだ寝てた。朝は自分で起きて、前の日に両親が買ってきた寿司とか食って学校へ行ってた。

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 学校へ行く前にはオレの仕事があった。冷蔵庫の中を見てビールが減ってたら、家の外にケースで買い置きしているキリンラガーの大瓶があったから、それを冷蔵庫に入れて足すんだ。オフクロも飲むしオヤジはノンベエだったから、2人で、一晩で大瓶4~5本飲んでたんだよ。

 オヤジは食いもんは酒の肴が好きだった。オフクロは子供には子供用のおかずを用意して、オヤジには刺身とかウナギ、フグなんか用意してた。オレはオヤジに両手でお酌しながら、そのおこぼれにあずかってたな。そん時は何も考えずにお酌してたけど、後年、オレが息子にビールを注いでもらうようになったら、息子にお酌してもらうビールはこんなにうめぇもんか、と思ったね。

オヤジが教えてくれた野球や釣りの楽しみ

 オヤジとの思い出はたくさんある。オレが野球好きになったのはオヤジの影響。後楽園とか神宮とか野球場によく連れてってくれたから。後楽園へは球場へ行く道が応援のファンで大混雑でさ、まだ小学校の低学年だった頃は大きな大人たちの間に埋もれて怖くて、迷子になっちゃ大変だ、ってんで、必死でオヤジの手を握ってた。

 オヤジは熱狂的なジャイアンツファンだったから、後楽園では陣取るのは一塁側の外野席。「売り子のビール買うと高いから」って重たい思いして持ち込んだビール飲んで、酔っぱらうと「つまみ買ってこい」って命令するんだ。あるとき、センターの側まで買いに行ったはいいけど、帰りに間違ってライト側へ行って道に迷っちゃった。泣いてたら、オヤジが迎えに来てくれたっけ。

 釣りを教えてくれたのもオヤジ。杉並の「つり堀 武蔵野園」によく連れてってくれた。西新宿のウチから釣り堀まで結構な距離なんだけど、自転車こいで行くんだよ。オヤジは「危ねぇから気をつけろ」「そこでブレーキだ」ってうるせぇんだ。でも、やっぱり、のちに息子と自転車に乗ると、オレも同じこと言ってんだよね(笑)。オヤジも心配してくれてたんだなって思ったよ。

 釣り堀ではフナを釣るんだけど、「おまえは合わせの仕方がなってねぇ」って言って。やって見せてくれると、オヤジはやっぱりうまかったね。で、帰りは新宿の台湾料理屋「山珍居」で一杯やる。オレもその店で初めて豚の腸詰を食ったなぁ。

両親は仲良く雀荘を経営し、店の後はオールナイトで映画に行った

 オヤジとオフクロは仲が良かった。オヤジは遊びがひどくて、赤線が廃止になるってときは、一週間も家に帰ってこなかったっていうし、町内会のおじさん達と東南アジア売春ツアーとか行ってたのに、オフクロはオヤジがいかにもそういうツアーだっていう写真を撮ってきても、現像した写真をノートにまとめて、同行した人たちに回してあげたりしてんだから(笑)。

 一度、東南アジアから女性が訪ねてきたことがあった。そんときもオフクロはお茶出したりなんかしてさ。オヤジは「オレはハンサムだからモテるんだ」って言ってたけど、金払いが良かったからだろ、って(笑)。

 ほかにも千駄ヶ谷のプール、旅行……いろんな思い出がある。でも、小学校4年のときに教えられた麻雀は覚えなかったな。オヤジの教え方が横柄なんだよ(笑)。オヤジはオレと一緒に麻雀やりたかったんだろう。家の2階で雀荘経営してたぐらいだから。

 雀荘は全部で14卓あって、いつも満杯。オレがガキの頃は麻雀ブームだったから。店は午後2時から夜中0時まで、夫婦で切り盛りしてた。店を閉めた後は2人でオールナイトで映画観に行ったり、ウチで(石原)裕次郎の歌うたってテープに録音したりね(笑)。おいちょかぶもよくやってて、オフクロが「お父さん、見逃してくれなくてしっかりとられた」なんてブツクサ言ってたよ。

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