【オヤジの仕事】「浮浪雲」「銭ゲバ」の故・ジョージ秋山の息子が初めて語る父の酒、女性、仕事、家族

ドラマ化や映画化もされた「銭ゲバ」【提供:秋山命】
ドラマ化や映画化もされた「銭ゲバ」【提供:秋山命】

「浮浪雲」には家族へのメッセージが込められていた

 妹が生まれる前年の71年に連載がスタートした「浮浪雲」からは、新たな作風が加わったと思います。「浮浪雲」はオヤジにとって日記のようなところもありました。僕ら家族の姿がよく投影されています。だから「浮浪雲」を読むと、「オヤジはあのとき、こういう気持ちだったんだな」とか、主人公の雲や登場人物の渋沢先生や青田先生の口を借りて自分の思いを語らせているので、「家族にこういうメッセージを送りたかったんだな」と知ったことがよくありました。

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 ただ、母がモデルのかめ(主人公・雲の妻)は美人じゃないという設定ですが、母は美人でしたよ。明るくて天真爛漫で自由人。父のことは「勇スケ(本名は勇二)」と呼んでいました。両親は父がデビューした頃に知り合い、父のデビュー当初、母はアシスタントとしてベタを塗ったり、手伝っていたと聞いています。父はモテたので、その点では父と闘っていたと思いますけど、僕ら子どもの前ではケンカをしている姿を見せませんでした。

「あんちゃんが彼女連れて来たらオレがとっちゃうぞ」

 酒は、亡くなる3年ぐらい前からあまり飲まなくなりました。僕には「飲み過ぎるな」と言ってたかな。でも、僕のほうが強いんですよ。「結婚しろ」と言われたこともありません。僕が若い頃、男とばかり遊んでいたので、「ちゃんと女の子とも遊んでんのか」と聞かれたことはありますけど。父は僕のことを「あんちゃん」と呼ぶので、冗談で「あんちゃんが彼女連れて来たらオレがとっちゃうぞ」とも(笑)。自分のことはさておき、“女を泣かすな”というのが父の教え。子どもの頃、妹を泣かして柱に3時間も縛り付けられたり、中学時代に母とケンカして泣かせたら「謝れ!!」ってものすごく怒られたりしました。

 父にはもっと広い世界を見ろ、自立して生きろ、とも教えられたので、僕は中学の頃から自分の思ったように行動するようになり、高校卒業後は自分で留学しようと決めてすぐに海外へ。25歳のときに母が亡くなってから日本に腰を据えるようになり、それからはずっと父と妹と3人で一緒に暮らしてきました。母にオヤジのことを「頼む」と言われたことや、それまで父親と離れていた時間を埋めたい、という気持ちもありましたね。

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