【ズバリ!近況】「最初は誰にも言えませんでした」―美人バレーボーラーがLGBTを告白した理由

同性愛を告白してスッキリしたと語った滝沢ななえさん【写真:荒川祐史】
同性愛を告白してスッキリしたと語った滝沢ななえさん【写真:荒川祐史】

周囲に告白できない人のためにテレビで公表

 同性愛だと公表して、驚かれたファンには「ごめんなさい」という気持ちですが、私自身はスッキリしてポジティブになりました。きょうだいとか友人からは「早く言ってくれれば良かったのに」といった反応をもらえたし、同じ境遇の人たちからは、「ななえさんの告白を聞いて、私もすごく楽になりました」「周りには話せないけど、ななえさんにはメッセージを送れて良かった」というような声をSNSでもらいました。私が敢えてテレビで公表したのはまさにこのためで、私と同じ同性愛の人でも周りに言えない人もいる。そういう人たちのために何かできないか、と思ったからです。

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 もちろん、私も最初は誰にも言えませんでした。私が自覚したのはパイオニアレッドウィングスから上尾メディックスに移籍した22歳のときと遅くて、それまでは男性とお付き合いをして、ゆくゆくは男性と結婚するんだろうなと思っていたんです。でも、どうも変だな、とも思っていたんですね。周りと恋バナをしても何か違う。そんなとき、同性愛者が出てくるドラマ「ラスト・フレンズ」(フジテレビ系)を見て、フと「私も女性と付き合ってみたらどうなんだろう」と思ったんです。それで、実際に付き合ってみて、ようやく自覚できました。

黙っているのはウソをつき続けなければならず苦しい

 最初に話したのは母親。26歳の頃、初めて女の子と一緒に住もうとしたときに「やっぱりちゃんと言わなきゃ」と思って。「そうなんだね」というアッサリした反応でした。薄々わかっていたのかもしれません。

 それからは親友とかにもだんだん話すようになりました。ちゃんとそこを話さないと、周りの人にずっと自分を隠してウソをつき続けることになるので苦しいんですよ。やっぱり本当の自分をナチュラルに話したい。テレビで公表したときは、母親は「何もテレビで公表しなくても良かったでしょ」という反応でしたけど、親のために生きているわけじゃない、自分の人生ですからね。

 私が公の場にたって発信すれば私の存在をより多くの人に知ってもらえて、世の中の理解が深まる。いつかLGBTという言葉やカミングアウトという言葉がなくなって、私のように同性を好きになる人もいることが普通だと、みんなが思っているような世の中になってほしい。そうなるまで、発信したいなと思っています。

□滝沢ななえ(たきざわ・ななえ)1987年9月22日、東京・三鷹市生まれ。母親の影響で小2からバレーボールを始め、強豪・八王子実践中学・高校へ進学。リベロとして“春高バレー”で活躍した。2006年、高校を卒業しパイオニアレッドウィングス入団。“美しすぎるバレーボール選手”と注目された。2009年、チャレンジリーグの上尾メディックス移籍。2013年、引退し退社。美尻専門トレーナーに。2017年、テレビ番組で同性愛をカミングアウト。2019年11月、独立し「PERSONS Training Salon」開業。

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