歌謡曲からジャニーズまでヒット曲の秘密は「思い付き」68歳編曲家・船山基紀の流儀
ジャニーさんとの思い出「極彩色の服装」…「みんながジャニーさんのために」を述懐
船山氏と言えば、ジャニーズ事務所抜きには語れない。80年代は田原俊彦、少年隊、90年代のSMAP、Kinki Kids、2000年代にはTOKIOや嵐、Sexy Zoneなど、歴代のジャニーズ・グループのアレンジを担ってきた。
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今年7月に亡くなったジャニー喜多川さんとの思い出に触れ、「最初にジャニーさんに会ったのは、川崎麻世の仕事で、とっても印象的でしたよ。服装が極彩色で、お姿がすごかった。事務所の社長さんですと言われて、芸能界はすごいなと思った」と振り返った。「ジャニーさんにお会いしたのは何回もないんです。ジャニーさんはスタッフをとても信頼している方。だからみんなが『ジャニーさん』と言っていて、とても慕われていた。みんなが『ジャニーさんのために』という思いを心に持ちながら仕事をしていたと思います」と話した。
68歳の御大は「日常生活では物忘れがひどくて、人としてはボロボロ」と言うが、昨年にはKing & Princeの「シンデレラガール」をヒットさせた。「あれは誰が聴いてもいい曲。作品がいいと、どんどん独り立ちする。そういった時のアレンジは楽。たいしたことをやっていないんですけど、とってもおいしい仕事をいただいたということで」と謙遜する。
貫かれる職人気質。「なんで未だに仕事ができるのか、わからないんだけどね(笑)。でも、仕事をする時の脳は若い時と変わらない」と矜持をのぞかせた。
CD不況の過酷な時代でも「ライブが流行っているからいいじゃない」 カギは柔軟性
編曲家として第一線を走り続ける理由には、柔軟な音楽観と順応力があるようだ。アナログレコードからCDに移り変わっても、「当初は確かに音がスカスカというのを感じた。でもCDの音が良くなってきて悲観的なことはなかった」。CDが売れない音楽業界の厳しい現状であっても、「僕は物事を深くは考えない。音楽がこうなったら、じゃあそういう風に合わせますという考え。CDが名刺みたいなものになってきている。だからと言って嘆いてばかりでは前に進めない。CDは結構です、ライブが流行っているからいいじゃない。ライブのほうに行こうよ、と。僕は主義主張がないので、そういうときに楽ですよ」と前向きだ。
現代の音楽は複雑化し、サビに加えてDメロ(大サビ)を制作する必要もある。「あれ、アレンジャーとしては面倒くさいんですよ。どんどん単価が下がっている。要は働けってことかな」とチクり。それでも、意欲の衰えはまったくない。「今日は演歌やって明日はアイドル、明後日はシンガー・ソングライター。それは当たり前で抵抗はない。僕は、音楽を突き詰めてこうじゃないとやりたくない、というのはない。幅広く好きで、なんでもOK」と語る。飽くなき向上心だ。
今月に「ヒット曲の料理人 編曲家・船山基紀の時代」(リットーミュージック)を上梓した船山氏。最近、自身の楽曲を聴き直す中で、再発見した一曲があるという。キャリアの中でも「5本の指に入る」というのが、1976年に発表された殿さまキングスの「恋は紅いバラ」。ラテン音楽マンボ調の愉快な曲だ。「ニューミュージックから歌謡曲ど真ん中もあって、ジャニーズの作品もあって、殿さまキングスまでいく。何をやっていたんだか、と思うような自分の作品集ですよ」。稀代のアレンジャーはおどけてみせた。