青木真也はなぜ離婚に進むのか 語った「家族」と「ファミリー」の違い そして「再婚」

「おれたちはファミリーだ! 」
「おれたちはファミリーだ! 」

なぜ離婚に進むのか 3年前から妻と口論

 なぜ離婚に向けて針を振ることになったのか。具体的な原因は書かれてはいないものの、世界王者にまでたどり着いた一人の格闘家が連敗を経験した結果、「徹底的に孤独になることで慣れや慢心をなくして、闘争心をかき立てようとしていた」のがその理由らしい。もちろん取材対象として青木とは以前から付き合いがあるため、個人的にはそんなこともあるかな、とは思うものの、おそらく一般世間の常識ではそれが離婚の理由だと言われても決して合点がいくものではない気がした。

 実は今回、青木には1時間近く、話を聞かせてもらうことができた。当然、プロレスや格闘技にひもづく話も多々あったが、今回の記事を書くにあたり、どの視点から進めると、読者が他人事ではなく自分事に思ってもらえる割合が増えるのかを熟考してみた。その結果、やはり「家族」に関する話が最もそれに該当するのではないかとの結論に至った。そこで今回は「家族」に付随した話から“バカサバイバー”及び「距離思考」を論じていこうと思う。
 
 本書によれば、3年前の段階で「妻との口論も絶えなかった」青木は「深夜のマクドナルドで家族が寝静まるまで時間を潰すこともあった」ため、2年前には「家族」とは別れて暮らすことになる。つまり「家族」との生活を失った穴を埋めるために「家族」よりもゆるい「ファミリー」という概念が必要になったのではないか。そんな仮説を立ててみたが、青木は「リンクはしているけど、微妙に違っている」と話す。

「何かを埋めるものって働くとか動くっていう動作しかないんです。その動作を補っていくのに必要なのが『ファミリー』なんだと思う」

 青木によれば、「ファミリー」とはいわゆる「仲間」のこと。当然のことながらそれは「ファミリー」を和訳した「家族」とは違うものになる。

 ここで青木のインスタグラムをのぞいてみる。最初の投稿には2人の子どもの写真が確認できた。本書によれば「子どもの顔も別居以来ずっと見ていないし、声すら聞けていない」とある。青木に寂しくはないかと訊ねてみる。またもや意外な答えが返ってきた。
 
「家族に対して、あんまりいい感情がないんですよね、正直な話」

 それは、子どもは自由奔放で身勝手だからという意味かと訊ねてみた。今思えば見当違いなことを聞いたかもしれない。

 青木が口を開く。

「いや、子どもに意思はないから。でしょ。母親の意思になるわけでしょ。だから俺は、そこにはいい印象がなくて。子どもがあなたに会いたくない、って言われたってそんなことは思わないよ。そんなのだって、お前がそうやって育てたらそうなるやろ? って。だからそこには感情がないのよ、俺。それで家族に対していい感情を持っていないの。こいつら面倒くせえなあという感情しか持ってない」

 この回答も世間からすると、賛否のある返答かもしれない。それでも青木は続けた。

「それと(妻や親族と)揉めるじゃないですか。そこに対して面倒くせえなあって思うのが大多数だと思うんですよ。例えば会う会わないのことで言えば、子どもは俺と会っても得しないから。だって自分たちの生活がよく回らないですよ。日々の生活がある中で、忌み嫌う人間と会ってもうまく回ると僕は思えない。だからほっとけばいいなと思っていて」

 ここで青木は、家族と別れて暮らす際の別れ際の言葉を明かした。

「(子どもに向かって)ひと言、『たっしゃでな~』って言ったんですよ。まさにたっしゃでな~、なんですよ。そうやって別れましたけど。そんなもんスよ、別に。ツラいもんだと思って語るけど、ツラいからってこっちも生きていかなきゃだからさ。死ぬわけにいかないので」

 そうやって人間関係の核となるはずの「家族」を破綻させた話をあからさまにする青木だが、なぜかそこには人間的な強さを感じることができた。

 だが、そう思ったのもつかの間、青木がさらに驚きの言葉を口にした。

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