【プロレスこの一年 ♯3】小橋建太と佐々木健介 15年前の7月18日ドームに鳴り響いた衝撃の“200発超チョップ”
女子プロレスは2つの団体が活動停止で冬の時代へ
橋本を輩出した新日本プロレスにとって、05年は大揺れの一年だった。まずは史上初のダブルタイトルマッチで波乱が起こる。2月20日の両国国技館でIWGPヘビー級王者・天山広吉と三冠ヘビー級王者で元・新日本の小島聡が激突。天コジ対決となった熱闘は時間切れドロー寸前の59分45秒で小島がKO勝利、天山が脱水症状により動けなくなってしまったからだ。これにより、小島は2大王座を同時に巻く初めての王者となったのである。
5月には草間政一社長が解任され、サイモン・ケリー・猪木が新たに社長に就任した。夏の「G1クライマックス」では蝶野正洋が藤田和之を破り3年ぶりの優勝。亡くなった橋本の技を使うなど、かつての同志に捧げるG1制覇を成し遂げた。小島から奪回したIWGPヘビー級王座を天山から奪取した藤田だが、10・8東京ドームで負けずして転落。3WAYでのタイトル戦はブロック・レスナーが蝶野を破り、王座が流出。この日は、長州力の現場監督復帰も発表されている。
そして11月14日、ゲーム会社のユークスが新日本を子会社とすることを発表。アントニオ猪木が株を売却し、創設者がオーナーの座から降りることとなったのである。
経営不振にあえいでいた新日本だが、この年の4月には「第1回ニュージャパンカップ」がおこなわれ、棚橋弘至が中西学を破り優勝。また、闘龍門メキシコでは当時18歳の岡田かずちか(現オカダ・カズチカ)がヤングドラゴン杯で優勝を飾った。生え抜き、後の移籍組が未来に向けての下地を着々と作っていった時期でもある。
なお、この年は女子プロレスで大きな変化があった。かつて何度も国民的ブームを作り出した老舗・全日本女子プロレス、当時一番人気のGAEA JAPANというジャンルの核となる2団体がともに4月で活動停止となったのだ。GAEAは半年前に解散を発表し手順を踏んでラスト興行を迎えるかたわら、半月前に倒産が明るみになった全女は大会当日の後楽園ホールにて突然の終焉発表。その後、女子プロレスは団体が小規模化、冬の時代を迎えることとなる。
また、この年にはWWEが日本で初めてのテレビ収録公演をさいたまスーパーアリーナにて開催(2月4・5日)。ロウとスマックダウンの2大ブランドが揃い踏みし、TAJIRIが世界タッグ王座を獲得。パートナーで師匠のウイリアム・リーガルの喜びようといったら、凱旋帰国のTAJIRI以上だった。