妻から突き付けられた「我慢の限界」 離婚→2児子育て→呼び出されて復縁…4姉妹の子煩悩パパに

会社に寝泊まりしながら働く、家庭を顧みない仕事人間の夫が、妻から突き付けられた「我慢の限界」。離婚が、結果的には“モラハラ夫”に陥りかけた人生を一変させた。2児のシングルファザー、まさかの復縁を経て、今では4姉妹の子煩悩パパに生まれ変わった。ビジネス面では古書店兼出版社と制作会社を経営。茶髪パーマの軽い見た目とは対照的に、社会派の題材に取り組んでおり、仕事と生き方をテーマに据えたノンフィクションシリーズが話題を集めている。42歳の異色編集者が歩む紆余曲折の人生に迫った。

異色編集者の伊勢新九朗さんは茶髪パーマがトレードマークだ【写真:ENCOUNT編集部】
異色編集者の伊勢新九朗さんは茶髪パーマがトレードマークだ【写真:ENCOUNT編集部】

「妻が出ていった日、娘たちは号泣していました」 42歳の異色編集者はブラック企業勤めでサバイバル

 会社に寝泊まりしながら働く、家庭を顧みない仕事人間の夫が、妻から突き付けられた「我慢の限界」。離婚が、結果的には“モラハラ夫”に陥りかけた人生を一変させた。2児のシングルファザー、まさかの復縁を経て、今では4姉妹の子煩悩パパに生まれ変わった。ビジネス面では古書店兼出版社と制作会社を経営。茶髪パーマの軽い見た目とは対照的に、社会派の題材に取り組んでおり、仕事と生き方をテーマに据えたノンフィクションシリーズが話題を集めている。42歳の異色編集者が歩む紆余曲折の人生に迫った。(取材・文=吉原知也)

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「生保レディー」の地獄のようなノルマ主義、認知症グループホーム介護職の過酷実態、40年間無職女性の壮絶半生…。新設の文学賞「気がつけば○○ノンフィクション賞」で取り上げた内容は、切実な社会課題ばかり。その仕掛け人が、編集者で自ら編集プロダクションを経営する伊勢新九朗さんだ。

 神保町に通う古本マニアで、“裏日本史”といったアングラなジャンルを嗜好する父の影響で、『月刊ムー』を愛読する本も映画も漫画も大好きな少年に育った。名門・中央大法学部に入ったが、1人暮らしが楽し過ぎて遊びほうけてしまう。勉強についていけず、2年で中退した。やりたいことは明確ではなかったが、映像の世界に進もうと、映画専門学校に入学して演出や脚本を習った。

 社会人になり、映像編集会社に就職したものの単純作業を強いられ、すぐに辞めた。カラオケ店でバイトをしていた時に、専門学校の同期に誘われて入ったのが、都内のある編プロだった。足を踏み入れた出版業界。そこが、とんでもない「ブラック企業」だった。

「編プロは過酷な職場だということを入ってから痛感しました。入社の次の日に社長から命じられた仕事は今でも忘れられません。『怖い話のまとめ本を作るから。1人10本ノルマだから探してこい』と。そこから泊まり込みで、いろいろな人に聞きまくって必死にネタをかき集めました」。

 入社したのは2006年、25歳の頃。リーマン・ショックが起きる前で、紙媒体がまだ元気な頃だった。仕事は山のようにあり、制作費も出版不況の現在と比べると2倍以上あった。グラビアやアダルト雑誌まで手がけ、業界の酸いも甘いもかみ分けた。

「新人の頃は常にお酒を飲んでいる女性上司から怒られまくりました。社長の罵声が響くオフィスで、女性従業員も関係なく、床に寝袋で寝て、終わらない仕事をこなす。出版関係者との飲み会もすごくて、朝まで飲んでそのまま会社に行ってパソコンを開く。はちゃめちゃな毎日でした。言ってみれば、昭和が残る職場。それに飛ぶ人も多くて、大事な校了日に連絡が付かなくなって消えた社員もいました」と、笑えない話を振り返る。それでも、“モノをつくる”やりがいと充実を感じながら、仕事に全力だった。

 プライベートでは幸せが訪れた。学生時代から知り合いの舞台役者の女友達がいた。互いにお酒が好きで、遅くまで飲みに付き合ってくれた。徐々に親密になり、交際がスタート。「彼女はきっぷがいい人でよくおごってくれました。彼女の家が僕の職場に近かったので、泊めてくれて半同棲になって。あれ、ヒモと言われても仕方ないですね(笑)」。

 結婚のきっかけは、ちょっとした騒動だった。彼女の部屋が火事で焼け、「悲劇によって絆が深まって」、ほどなくゴールイン。08年に結婚し、翌年に長女、3年後に次女をもうけた。一軒家も買った。

 ところが、そこから伊勢さんの悪い癖が出てしまう。「相変わらず仕事は忙しくて、1週間帰らないことも普通にありました。それでいて、手取りは20万いくかいかないか。しこたま飲んで帰ってきても、妻の手料理を食べず、『俺だって大変なんだよ』とモラハラ夫の典型のような言葉を吐いてしまったり…」。妻は慣れない子育てに悪戦苦闘。それなのに、家事・育児にほとんど手を貸すことはしなかった。「もちろん子どもはかわいがっていましたが、育児は妻に任せっきりで、家族に向き合う時間がまったく作れなかったんです」。

 次女が生まれて1年後、妻に限界が訪れる。「私だって……」。声を張り上げる妻。伊勢さんも激しく言い返す。互いに暴力をふるうことはなかったが、食器が飛んで割れ、夫婦げんかの怒鳴り声が外まで響くこともあった。長女と次女はおびえて泣きじゃくった。

 子どもが大好きで子育てに労を惜しまない妻だったが、役者として表現の表舞台に立ちたいという希望も持っていた。「夜の仕事もやって託児所に預ければ私1人でも育てられるから」。「夫婦仲のせいで子どもの今の生活環境を変えてしまうのは間違ってる。なんとかやり直すことはできないのか」。何度も何度も夫婦で話し合ったが、平行線のまま。次第に妻は伊勢さんを生理的に受け付けなくなり、関係性は破綻した。

 結婚から6年を経て離婚が成立。妻が家を出ていくことになった。ただし、仕事を続けながらのいきなりの父子家庭生活は困難を極めるため、準備期間として、離婚後もしばらくは妻が同居を続けた。

 そこで編み出したのが、世にも珍しい生活スタイルだった。伊勢さんがこのまま自宅で2人の娘と暮らし、近くに住む元妻が週2回、子どもと会うために家に泊まりにくる、その日伊勢さんは会社や出先に泊まるという手法だ。「妻が出ていった日、娘たちは号泣していました。今でも忘れられないトラウマになっていると思います」。

 伊勢さんは15年に独立して、自らの編プロを立ち上げた。シングルファザーとなり料理を勉強しながら、朝はお弁当と夕飯を作って、2人の娘を幼稚園に送り、自分が帰れない日はベビーシッターにお願いした。夜は娘たちと一緒にお風呂に入って寝る。子どもたちと密に時間を過ごすのは、これが初めてと言ってもいい機会となった。

「それにウチの場合、大きかったのは両家の実家が近かったことです。両家の母親と叔母たちが夜ご飯を食べさせてくれたり、面倒を見てくれたんです。本当に家族総出。助けてくれる人が近くにいたことは本当に大きかったです」。伊勢さんは大きな感謝を示す。

4姉妹は「いろいろあった分、絆が深く、家族愛が強いんです」

 子どもたちの屈託のない笑顔、すやすや眠る寝顔を見て暮らすうちに、仕事一筋だった伊勢さんの人生観が変化していった。「子どもたちを守るために父としてどんなことをするべきか。子どもが人生の最優先事項になったんです。あのまま仕事人間だったら…想像するだけで冷や汗が出ます」。夫婦げんかではどうしても熱くなってしまうところがあったが、冷静になることができるようになった。独立してから仕事も順調で、収入も上がった。どん底すれすれの人生が持ち直した。

 顔も見たくないと拒否していた元妻の心境にも変化が訪れたという。

「子育てに取り組む僕の姿を見てくれていたみたいなんです。それに、妻は当時、ある人から結婚を申し込まれたそうで、そのときに違和感を覚え、『私の家庭は1つしかない』と、娘たちのことをより深く思うようになったそうです」

 離婚から2年後のある日、伊勢さんは元妻から呼び出された。明け方のファミレス。親権のシビアな話になることを予想しながら約束の場所へ向かった。

「やっぱり私が育てたいと妻が言ってくると構えていました。そうしたら、いきなり『また一緒に暮らしたい』と言われて。僕は言葉を失ってパニック状態になりました」

 妻の一言は驚天動地だった。伊勢さんは「シングルファザーも楽しいな。自分が育てていくぞ」と気持ちを整理できた。その矢先だった。今さらという怒りの感情も沸いたという。それでも、伊勢さんは荒ぶる自分の心にこう言い聞かせた。「大事なのは娘たちの気持ちだぞ。俺のエゴとプライドだけで断っていいのか?」。実際に娘たちに聞いてみると、「ママが戻るんだ」と喜びの表情。結論は決まった。

 復縁をすると、夫婦は気が付けばラブラブに。再婚後に三女、22年には四女の子宝に恵まれた。中3の長女と中1の次女はつらい経験を分かち合っただけに特に仲良し。5歳の三女と2歳の四女の面倒を見てくれている。「いろいろあった分、娘たちは絆が深く、家族愛が強いんです」。父と娘はお出かけデートを楽しみ、次女とは一緒に通勤・通学している。「長女は母の影響で役者希望を持っていて、配信にも取り組んでいるんですよ。私も映像制作のノウハウがあるので手伝っています」。家族の夢は広まる。

 伊勢さんが家事・育児について身を持って気付いたことがある。「家事・育児は仕事と同じ、それ以上の大変さがあるということです。育児は24時間体制で常に気を張っていないといけません。仕事が終わって家に帰ってきてひと区切りではなく、ずっと続いている状態なんです。昔は仕事の後の接待で疲れて帰ってきた時、『飲み会でご飯を食べないなら先に伝えてよ』と言う妻に、『俺だって大変なんだよ』と言い返していました。あれは完全にモラハラ発言で、妻を傷つけていたんだなあと申し訳なく思うことが多々あります」と真剣な表情で語る。

 今では、育児・家事をしっかり分担して、互いの息抜きの時間をうまく確保。妻はプロデュースを手がける立場に回り、子どもたちの劇団を主宰するなど、子育てを両立しながら表現者として新たな活躍を見せている。

 伊勢さんは編集者・出版経営者として、挑戦を続けている。東京の下町エリア・浅草橋に、古書店「古書みつけ」を仲間と共にオープン。古民家を改築したレトロな雰囲気が魅力で、珍しい本や、伊勢さんの好みである「食」に関係する小説やエッセーなど、趣向を凝らしたラインアップをそろえる。昨夏にYouTubeチャンネルを立ち上げ、古書店を発信拠点として、「紙媒体を再び元気に」をモットーに数々の試みを打ち出している。

 仕事をテーマにした忖度(そんたく)なしのノンフィクションシリーズは今春で三部作の出版が実現した。著者3人は古書店で店番を担当しており、今年6月には3人がそろうトークイベントを都内の書店で開催することが決まっている。

 伊勢さんは4人の娘のためにも仕事にさらに気合が入る。「僕自身、人生の話を聞くことが好きなんです。仕事というものは、今の時代の生き方を反映するもので、社会性を伴います。山あり谷ありの人生ストーリーを知ることで、その人の失敗から学ぶこともあれば、勇気をもらうこともあります。何か人生の糧になるようなものを、紙媒体を通して届けたい。これが僕のやりたいことです。この古書店のファンを増やして、『伊勢がまた何か面白いネタを出したぞ』と楽しみにしてもらえるように進んでいきたいです」。トレードマークの爽やかな笑顔で語った。

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