警察特殊部隊→ITエンジニア、まさかの転身で案件を次々成功 弟はプロ野球選手…異色社長の素顔

特殊部隊を務めた元警察官がITエンジニアの世界に飛び込み、グローバルIT企業を立ち上げ――。そんなスピード感のある成長曲線を描く、若き経営者がいる。ソフトウェア開発などを手がけるLandBridge株式会社の三森一輝社長だ。不法滞在の外国人検挙の経験から、「日本人と外国人が共に働くことはできないのか」と問題意識を深め、持ち前の挑戦心から思い切って起業。ベトナム人エンジニア集団を抱え、順調に業績を伸ばしている。そんな異色の経歴を誇る28歳の若社長が見据える未来像とは。

元警察官でIT企業の経営者を務める三森一輝社長【写真:本人提供】
元警察官でIT企業の経営者を務める三森一輝社長【写真:本人提供】

埼玉県警では銃器対策部隊に抜てき プロ野球・ソフトバンクの三森大貴選手が弟

 特殊部隊を務めた元警察官がITエンジニアの世界に飛び込み、グローバルIT企業を立ち上げ――。そんなスピード感のある成長曲線を描く、若き経営者がいる。ソフトウェア開発などを手がけるLandBridge株式会社の三森一輝社長だ。不法滞在の外国人検挙の経験から、「日本人と外国人が共に働くことはできないのか」と問題意識を深め、持ち前の挑戦心から思い切って起業。ベトナム人エンジニア集団を抱え、順調に業績を伸ばしている。そんな異色の経歴を誇る28歳の若社長が見据える未来像とは。(取材・文=吉原知也)

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 印刷業を営んでいた一家に生まれ、少年時代から野球に熱中。高校卒業後は就職しようと考えていた。経営者だった父親からは「安定した職業に就きなさい。公務員になりなさい」と言われて育ってきた。体力自慢だったこともあり、警察官を目指すことを決めた。

 埼玉県警の警察官を拝命。最初に配属された交番で、人生の転機につながる経験をすることになる。外国人が多く住む地域。交番に来る人の8割近くが中国やベトナムの人たちだった。外国人との会話術、コミュニケーション手法を学んでいった。

 警察官の基本と言える職務質問。時には駅前に10時間以上立ち、不審なことがないか目を光らせ、職務にまい進した。少し近付いただけでちょっと挙動がおかしくなる。そんな些細な相手の変化も見逃さない。「人を見る目」を養った。

 一方で、不法滞在の外国人の摘発を重ねていくうちに、ある気付きに至るようになった。「多い時で月4、5人を逮捕していました。でも、外国人労働者たち個人個人の事情を聞いていくうちに、つらい状況に陥っている人がいることも分かってきました。『日本はいい国で、ぜひ働きたい』、そう思って来日するのですが、劣悪な労働環境に置かれるケースもあり、きつくなって逃げ出してしまう人もいます。もちろん、真面目に頑張っている人が多いことも知りました」。少子高齢化・人材難に悩む日本で、外国人とうまく協力していけないものか――。日本が抱える課題に真剣に向き合うようになった。

 その後、機動隊に配属され、走力を見込まれて県警駅伝チームの選手にも選出。そして、特殊部隊(銃器対策部隊)に抜てきされた。「銃器を持った犯人による立てこもり事案に対応する部隊です。テロ対策・警戒も主要任務でした」。幸い、特殊部隊を務めた3年半は立てこもり事件は発生しなかったが、2019年秋にラグビーW杯熊谷会場の周辺警備という重大任務に当たった。

埼玉県警の警察官時代は交番勤務から特殊部隊まで大活躍だった【写真:本人提供】
埼玉県警の警察官時代は交番勤務から特殊部隊まで大活躍だった【写真:本人提供】

陸自レンジャーの壮絶訓練参加「あの経験が生きています」

 陸上自衛隊の精鋭と言われる「レンジャー」の訓練参加も大きな糧に。「埼玉県警代表に選出されました。あれ以上きついことはないというぐらい過酷な訓練でした。30キロ以上のリュックを背負い20キロのポリタンクを持ちながら、昼夜、山中を歩いたり…。気絶した仲間もいました。レンジャー訓練を乗り越えることができ、自分の自信につながりました。『もう怖いものはない』と思えるようになりました。経営者となった今、いろいろな方と会って話をして、交渉するうえで、物おじしない。あの経験が生きています」と強調する。

 26歳を迎える年に、人生の決断をした。転職だ。しかも、警察官から専門職であるITエンジニア。そこには、持って生まれた「挑戦への欲求」があった。「特殊部隊から警察署勤務のタイミングもあり、『何かに挑戦したい』という思いが沸いてきました。実は少し時間をかけて転職の準備をしました。自分の中で、何ができるか、何がマッチしているかを考えているうちに、ITプログラミングをちょっとやってみたら『いける』と確信できたんです」。勤務後の時間や休みの日に猛勉強。夜勤明けにスタバに直行し、休日もパソコンとにらめっこ。独学から始め、オンラインスクールに通って知識を蓄えていった。県警を退職後、1社目の面接で合格。民間企業が新規事業として初めてITエンジニアを募集していたところ、未経験の新参者ながら、互いの「挑戦への情熱」が合致し、採用に至った。

 ここから「勢いと運」が運命を大きく導いていく。

 転職先の自社システム開発を一から行った。託されたのは、ベトナム人エンジニア20人を統括するマネジメント。エンジニアは現地にいるため、すべてオンラインだった。高校野球部で主将を務めるなど、子どもの頃からリーダーの心得があった。警察官時代に、組織で動くこと、チームの指示系統をしっかり構築することを徹底的にたたき込まれた。マネジメント業務はお手の物だった。そして、ずっと大事にしてきた、相手をリスペクトする思いやりの心でベトナム人エンジニアたちと接した。約1年間で無事に開発を達成できた。

 さらに人生が加速する。フリーランスへの独立だ。個人で請け負った案件に取り組む中で、さらなる気付きを得る。「日本のIT人材の単価の高さに驚いたんです。1年ほどの実務経験しかない私でも、50万円以上の報酬をもらうことができました。同時に、違和感を覚えました。勤め人時代に一緒にシステム開発を行った同い年のベトナム人エンジニアがいるのですが、彼は大学で機械工学を学んだ優秀なIT技術者です。正直、私よりできるのに給料が低い。できない私の方が高いお金をもらえる。その差はなんなんだろうと。技術力のあるエンジニアはベトナムにたくさんいます。彼らに頼めば、開発スピードも上がり、コストも抑えられます。じゃあ、自分がやってみよう。そう思って会社設立を決意しました」。

三森社長はベトナムの優秀なITエンジニア集団を束ねている【写真:本人提供】
三森社長はベトナムの優秀なITエンジニア集団を束ねている【写真:本人提供】

IT業界に入りベトナムへ飛んだ 信頼関係の仕事術

 民間企業を辞めてすぐに、飛行機に飛び乗った。向かった先はベトナム。世話になったエンジニアたちと顔を合わせ、技術者仲間を紹介されるなど約50人のベトナム人に会った。給料の話題や現地企業の待遇・労働環境など、“ぶっちゃけどうなの?”を聞きまくった。3日間の弾丸日程。「なぜいきなりベトナムに行ったのか、自分でもあまり思い出せないんです。とにかく、勢い。それだけでした。根拠なんてないです。でも、自信はあったんです」。

 27歳を迎える2か月前の22年10月、自らの会社をローンチした。日本企業の顧客から受けるシステム開発などの注文を、優秀なベトナムのエンジニア集団の力を借りて、丁寧に納品していくスタイル。現地と結ぶオンライン体制の業務フローを確立させている。大手の通信会社や新聞社の案件を次々と成功させ、1期目で年商3500万円を達成した。

 警察官時代の後輩が加わるなど日本人3人、ベトナム人38人(業務委託を含む)の陣容。同世代が多いという。貫くのは、“三森流”の仕事術だ。「クライアント企業と現地エンジニアのコミュニケーションにずれが生じないよう、必ず自社マネジャーを間に入れて、丁寧なやりとりで調整しています。ベトナムのエンジニアたちを信頼しているので、スケジュールを細かく事前に指定して『絶対に守れ』と押し付けるのではなく、納期の大枠と重要事項を伝えて、あとの細かい作業進行は現地に任せるようにしています。いい意味で口出ししない。これが私たちのやり方です。ベトナムのエンジニアたちは時に休日返上で作業をしてくれています。信頼関係があれば、しっかり物事は動いていくと考えています」と話す。

 実は、三森社長には“すごい家族”がいる。弟はプロ野球・福岡ソフトバンクホークスの三森大貴選手なのだ。「弟は良くも悪くも干渉しないといった感じです。警察官を辞めてITエンジニアに転職する時に連絡をしたら、『そうなの? 頑張って』とメッセージをもらいました」。その言葉は兄の原動力の1つでもある。ちなみに、三森選手の個人サイトは、兄が自ら運営。「いやいや、ただの趣味ですよ」と照れ笑いを浮かべる。

 経営者として「『こいつに任せよう』と、頼られる人になりたい」とさらなる気合いが入る。現在、日本国内のIT人材不足を解消するため、日本企業と外国人エンジニアのマッチングサービスの独自開発にも着手しており、2期目は年商1億円を目指している。

“多くの日本人が外国人と共に働くこと”を人生のテーマにも掲げる。大切なのはどんなことなのか。三森社長は「ひと言で、思いやりです。外国にはその国の伝統や文化があり、育った環境による違いが出てくることは確かです。『この国が上、あの国は下』というものはなく、同じ人間として接することが大事だと思います。なんとなく『外国人は時間にルーズ』という感覚があるかもしれませんが、どの国の人であっても、ルーズな人はルーズです。自分たちのやり方だけを押し通すのではなく、相手を人として見ていくこと、相手の状況や事情を想像しながら接していくこと。そうすれば、一緒にいい仕事ができると思います」と話している。

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