中村勘九郎、400年の節目の『一番太鼓の儀』に感動「次に聞こうと思ったら100年後」

歌舞伎俳優の中村勘九郎、歌舞伎囃子方の十三世田中傳左衛門が2日、東京・中央区の歌舞伎座前で、十八世中村勘三郎十三回忌追善『猿若祭二月大歌舞伎』の初日を前に『一番太鼓の儀』を行った。

『一番太鼓の儀』に出席した中村勘九郎【写真:ENCOUNT編集部】
『一番太鼓の儀』に出席した中村勘九郎【写真:ENCOUNT編集部】

父・十八世勘三郎の十三回忌追善『猿若祭二月大歌舞伎』がスタート

 歌舞伎俳優の中村勘九郎、歌舞伎囃子方の十三世田中傳左衛門が2日、東京・中央区の歌舞伎座前で、十八世中村勘三郎十三回忌追善『猿若祭二月大歌舞伎』の初日を前に『一番太鼓の儀』を行った。

『猿若祭』の名前の由来である初代猿若勘三郎は、江戸で初めて官許を得て、寛永元年(1624年)の2月に、後の江戸三座の筆頭『中村座』となる芝居小屋『猿若座』を現在の京橋付近に建設した。その後、何度かの移転を経て、浅草聖天町に移る際に、勘三郎の本姓となる『中村座』と改称。『猿若祭』は江戸歌舞伎の発祥を記念し、昭和51年(1976年)に十七世中村勘三郎を中心として第一回が開催された。その後、十八世勘三郎や、勘九郎、弟の中村七之助、息子の中村勘太郎、中村長三郎と、中村屋ゆかりの演目で舞台を踏み、この度5回目の開催となる。今年は十八世勘三郎の十三回忌追善。また、猿若座誕生から400年の節目となる。

 また『一番太鼓の儀』は、江戸時代に芝居が始まる前に打たれた太鼓のこと。寛永元年に初世田中傳左衛門が、開場を知らせる太鼓を打ったのが始まり。十八世勘三郎と囃子方の当代・十三世傳左衛門が、「江戸の芝居小屋の雰囲気を伝えたい」という思いから、平成中村座立ち上げの際に古式にのっとり復活させた。現在の第五期歌舞伎座で行われるのは、2017年『猿若祭二月大歌舞伎』の初日以来、7年ぶり。

 歌舞伎座前には大きな太鼓が設置され、勘九郎と十三世傳左衛門、歌舞伎座支配人の千田学氏が登場。歌舞伎座前に集まった観客から、「中村屋ぁ~!」と大向うが飛んだ。千田氏から十三世傳左衛門へ撥(ばち)を手渡す『撥渡し』が行われると、撥を受け取った十三世傳左衛門が撥を掲げ、太鼓を打ち付けた。ドンドンッと低い音が響き渡り、約2分間にわたって太鼓が打ち鳴らされると、観客から拍手が沸き起こった。

 勘九郎は「いよいよ猿若祭が始まります。父・十八代目中村勘三郎の十三回忌追善ということで、興行をさせていただけること、本当にうれしく思います」とあいさつ。「なぜ2月に猿若祭かと申しますと、寛永元年に初代猿若勘三郎が、今の京橋あたりに櫓(やぐら)を建てて、そこから江戸歌舞伎がスタートしました。それが2月15日でございました」と説明した。

「しかも今年は、寛永元年から数えまして400年の記念すべき年でございます。この一番太鼓も、寛永元年に鳴り響いたわけでございますけれども、400年前にこの江戸の町に鳴り響いた音色が、400年の時を経ても、こうして鳴り響くことができるのも、皆さまのおかげでございます」と感謝。勘九郎は集まった観客に目を向け、「ラッキーですね! なかなかないですよ! 次に(500年の節目で)聞こうと思ったら100年後ですからね」と呼びかけた。

 また勘九郎が、「歌舞伎を愛し、江戸歌舞伎を愛した父・勘三郎の十三回忌追善ということで、ご出演してくださる先輩、後輩、老輩の皆さま方に力をいただきまして、中村屋一同、精いっぱい、来てくださったお客様に楽しんで帰っていただけるよう、一生懸命勤めますので、どうぞどうぞ、ご来場のほどよろしくお願いします」と頭を下げると、歓声と拍手に包まれた。

次のページへ (2/2) 【写真】歌舞伎座前で行われた『一番太鼓の儀』の様子
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