神田うの、篠山紀信さんへ「大好きです」 30年前の「秘密の撮影」告白「スタジオで2人だけで」
タレントの神田うのが6日、4日に老衰のため亡くなった写真家・篠山紀信さんへの思いを自身のインスタグラムでつづった。
「私にとって心のお父さん的存在だった」と思いつづる
タレントの神田うのが6日、4日に老衰のため亡くなった写真家・篠山紀信さんへの思いを自身のインスタグラムでつづった。
神田は「篠先生…報道で知ってから哀しみの渦…私にとって心のお父さん的存在だった篠先生…」と篠山さんの存在の大きさを明かした。
続けて、「篠先生とは今から30年前まだモデルをしていた18歳の時に出逢いました」と紹介。「幻冬社立ち上げの一発目(最初)の写真集を是非UNOで撮りたいとの事で話が進んでおりましたがその内容を知った父が『衣装もレオタードも着せないで撮影だなんてダメだ!!』と激怒し撮影は中止になりました…元々芸能界には大反対だった両親ですから無理もありません」と当時の修羅場を振り返った。
さらに、「これは肉体美を見せる芸術だと(決していやらしい目線の作品ではないと)篠先生始め、出版社側や事務所側もそう父を説得致しましたが『何が芸術だ何も着せないでトーシューズだけ履かせて撮影するだなんてバレエという芸術を冒涜している!!』と。更には『芸術を全く分かっておらん篠山紀信をここに連れて来なさい!!』とまで」と壮絶な事態となったようだ。
「途中で両親の猛反対を受けてしまい、でも話は進んでしまっていたので、その結果、37人のモデルとUNO含め38人のモデルの写真集『少女革命』の巻頭ページをするという事でなんとか着地致しました。まだ18歳だった私はもちろん成人前ですから親の管理下にある訳でして、ダメなものはダメと理解致しました。でも話が進んでいただけに篠先生や周りの大人達をガッカリさせてしまった事に対しては申し訳ない気持ちでした…」とその後の結末も紹介した。
そして、神田は当時の秘話を紹介。「しかし篠先生は世には出なくていいから、それでもどうしてもUNOを撮影したいとの事で両親、事務所、出版社の知らないところで、ヘアメイクもアシストカメラマンも(もちろんマネージャー達も)誰もいない篠先生のスタジオで2人だけで私はトーシューズを履いて伸び伸びと踊り(撮影し)ました。2人だけの秘密の撮影です」と告白し、素肌をあらわにしたバレエ衣装で伸びやかに踊るショットも公開した。
篠山さんとの思い出は多数あるようで、神田が『JESUS!JESUS!』でCDデビューする際には、「僕が撮影する!!」と「ほぼノーギャラで撮影して下さいました」と紹介した。
神田は「フィルターを通してお互い少年少女のように心を通わす事が出来た方。こんなカメラマンさんは後にも先にも篠先生だけでしょう。と大人になってから気付いた事です。そして若かりし頃何度もお食事にも連れて行って下さった事もとても懐かしい思い出です。神田うのが神田うのになる前から好きでいてくれた方。篠先生、UNOの事を見つけて下さり(関わって下さり)ありがとうございました。心からのご冥福をお祈り致します。どうかどうか安らかにお眠り下さい。大好きです」と感謝の気持ちをつづった。