市川團十郎、篠山紀信さんを追悼 “巨匠”は「女性の扱い方、夜の遊び方に素晴らしく長けていた」

歌舞伎俳優の市川團十郎、長男の市川新之助、長女の市川ぼたんが5日、東京・中央区の新橋演舞場で、初春歌舞伎公演『平家女護嶋(へいけにょごのしま) 恩愛麻絆央源平(おやこのきずななかもげんぺい)―SANEMORI PARTII―』の公開稽古を行った。稽古前に行われた囲み取材で團十郎が、4日に亡くなった写真家の篠山紀信(しのやま・きしん、本名=みちのぶ)さんについて語った。自身のインスタグラムでも5日に追悼している。

囲み取材に応じた市川新之助、市川團十郎、市川ぼたん(左から)【写真:ENCOUNT編集部】
囲み取材に応じた市川新之助、市川團十郎、市川ぼたん(左から)【写真:ENCOUNT編集部】

2~3年前から体調不良「去年の12月3日に電話したんです」

 歌舞伎俳優の市川團十郎、長男の市川新之助、長女の市川ぼたんが5日、東京・中央区の新橋演舞場で、初春歌舞伎公演『平家女護嶋(へいけにょごのしま) 恩愛麻絆央源平(おやこのきずななかもげんぺい)―SANEMORI PARTII―』の公開稽古を行った。稽古前に行われた囲み取材で團十郎が、4日に亡くなった写真家の篠山紀信(しのやま・きしん、本名=みちのぶ)さんについて語った。自身のインスタグラムでも5日に追悼している。

 團十郎は、新之助、海老蔵時代から紀信さんと交流があり、数々の写真を撮ってもらってきたといい、「とてもかわいがってもらって、本当に若い時から連れまわしてくださって。本当に仲良かったんです、巨匠と」と紀信さんを“巨匠”と呼んで振り返った。「プライベートも仕事も、私が新之助、海老蔵時代から一番多く写真を撮ってくださってるのは巨匠でした」と語った。

「巨匠は、『カメラマンとはどういうものか』というのを明快に持っていて、それを人にはしゃべらず、『そこ(現場)で作っていく姿で学べ』というタイプで、僕はそれを感じていたので……ありがとうございます」と感謝。「僕はカメラマンじゃないですけど、歌舞伎でいかせるように、私の中で先生が生き続けられることを私自身が戒めながら、思い出しながら、忍びたい」と語った。

 思い出話を聞かれると、「ここじゃ言えないような、撮影時の秘話とか。女性の扱い方、夜の遊び方とか、そういうのに素晴らしく長けていた方。もちろん、アーティスト、芸術家として、クリエイターというか、最初の“そういう人たち”だった。『エネルギーの塊』である姿というのは、すごかった!」と語り、「どこでも、歌舞伎座の楽屋にも、ドドドドって入って来て、『今日やるからね! 撮るからね!』って。『何か飲みますか?』ってコーヒーを出して、一緒に話したりして、とにかく元気の塊だった」と懐かしんだ。

 22年に自身と息子が團十郎と新之助を襲名した際も、紀信さんに写真撮影してもらったという。「『先生に写真を撮ってもらいたい。必ず巨匠に撮ってもらいたい』と思って、その時は、(体調不良で)大変だったね」と新之助に語りかけ、「けど、一生懸命来てくれて、写真撮ってくれて。感謝しきれないくらいの方です」と忍んだ。

 紀信さんの体調が悪かったことも知っていたと明かし、「ここ2~3年ほど調子が悪かったので、去年の12月3日に電話したんです。でも珍しく出なくて、メッセージしたんです。(襲名の写真を撮ってくれた頃は)、一番悪かったと思う。この2~3年、すごく大変だったと思う」と振り返った。

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