時代を先取りしすぎた任天堂 40年前に発売された『ファミリーベーシック』のスゴさ

2020年度より小学校段階におけるプログラミング教育が始まっている。そんな未来を予言していたかのように、家庭にプログラミングを持ち込んだファミリーコンピュータ(以下、ファミコン)の周辺機器があった。1984年に任天堂から発売された『ファミリーベーシック』だ。本記事では、そんな『ファミリーベーシック』がどんな機器だったのか振り返っていく。

『ファミリーベーシック』【写真:ENCOUNT編集部】
『ファミリーベーシック』【写真:ENCOUNT編集部】

約40年前に任天堂が示した先見性

 2020年度より小学校段階におけるプログラミング教育が始まっている。そんな未来を予言していたかのように、家庭にプログラミングを持ち込んだファミリーコンピュータ(以下、ファミコン)の周辺機器があった。1984年に任天堂から発売された『ファミリーベーシック』だ。本記事では、そんな『ファミリーベーシック』がどんな機器だったのか振り返っていく。

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 本機器は、ファミコンが発売された83年の翌年に発売。任天堂とシャープ、ハドソンが共同で開発した周辺機器で、ファミコンに接続して使用するキーボードと専用ソフトがセットで販売された。本機器はプログラミング言語「BASIC」を使用して、オリジナルゲームや音楽の制作が可能で、ファミコンをパソコンに変身させるようなアイテムである。同年には任天堂から『ファミリーベーシック専用データレコーダ』も発売。これによって『ファミリーベーシック』で作成したゲームプログラムをカセットテープに記録できるようになった。つまり本機器は、自分が遊ぶゲームを自分で作るという発想を、当時の子どもたちに教えた革命的なアイテムだったのだ。

 ちなみにファミリーベーシックが発売された84年というと、アップルのパソコン・初代Macが発売された年。さらにその数年前にはNECのPC-6001やトミーのぴゅう太、MSXが発売され、高額なPCから比較的安価のPCが数々発売され、家庭にパソコンが徐々に普及し始めてきた時代だ。

 とはいえ、当時のファミコンユーザーにとって『ファミリーベーシック』を扱うのは難易度が高かったと予想される。この問題を打破するために、ハドソンは10本のゲームプログラムを収録した「ファミリーコンピュータ ファミリーベーシックがわかる本」という書籍を販売。また、パソコン専門紙「マイコンBASICマガジン」(電波新聞社)には、コアなゲームファンが投稿したゲームのソースコードが掲載されていた。このような書籍や雑誌が多く販売され、コードを打ち込んでオリジナルゲームを楽しむファンを徐々に増やしていったのだ。

 そんな『ファミリーベーシック』について、SNS上では「ゲームを買ってもらえず、やむなく、自作のゲームを作って遊んだ」「親が強制的に買ってきて、プログラムを勉強するきっかけになった」と、プログラミング教育を先取りした経験談が見受けられる。

 またゲーム制作会社「ハル研究所」在籍中に『星のカービィ』や『大乱闘スマッシュブラザーズ』などの大ヒットゲームを生み、現在はゲーム制作会社「有限会社ソラ」の設立者で代表取締役を務める桜井政博氏は、自身のYouTubeチャンネル「桜井政博のゲーム作るには」で、ゲーム業界に入ったきっかけは『ファミリーベーシック』だと語っている。現在活躍するゲームクリエイターのなかには、桜井氏同様に『ファミリーベーシック』の影響を受けた人がいるだろう。

 ゲームは遊ぶものという考えから、作るものという考えに変えた『ファミリーベーシック』は、任天堂の先見性を感じさせる周辺機器である。もしかしたら、この考え方は、『スーパーマリオメーカー』(任天堂)や『ナビつき!つくってわかるはじめてゲームプログラミング』(任天堂)、『RPGツクールシリーズ』(アスキー、GotchaGotchaGames)などに引き継がれているのかもしれない。これからも任天堂の先見性に注目したい。

次のページへ (2/2) 【写真】『ファミリーベーシック』本体の実際の写真
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